第三十三話 交錯のヴェリーユ 2/2

 ヴェリーユは宗教の本山がある街である。それはつまり巡礼者の街でもあると言う事になる。そこには当然ながら多くの人が集まる。従ってヴェリーユは観光都市としての側面も持ち合わせていた。

 もちろん異教徒は大聖堂をはじめとする宗教的な建物に入る事は制限されるが、開放的な新教は異教者に対して比較的鷹揚で、いわゆる観光客を普通に街には受け入れている。巡礼自体を観光として捉えている者も多く、新教側もそれを咎めるどころか、各地の教会では巡礼の団体旅行を企画するなどという事もすでに行われていたようで、その受け入れ体制をヴェリーユがちゃんと行っていたと伝えられる。秘密主義・排他主義とも揶揄される正教会に比べると、それだけ間口が広く懐が深い宗教であるとも言えた。

 アキラは言わば純粋な観光客であるから、巡礼の列に並ぶ事はない。しかし多くの観光客の中に紛れる事はいともたやすい事だった。

 ティアナにはそれなりの警戒をしていたものの、アキラは提督を名乗るテンリーゼン・クラルヴァインに対してはあまり問題を感じていなかった。少年提督はたとえそれが仲間であっても自分の容姿を人前にさらす事をよしとしないようで、ヴェリーユ入りしてからは一歩もあの瀟洒な部屋から外に出ようとはしなかった。アキラがティアナに行く先を告げて出かける時にもまったく姿を見せようとすらしないほどで、あまりあからさまな行動をとらない限りは気にしなくて良い存在だとアキラは判断していたのである。総合的な判断として、既にヴェリーユ入りをしていたミーヤ・ブライトリング大尉との情報交換には何の障害もなかった。


(それにしても)

 アキラはその日のミヤルデの私服姿を見て感心していた。観光客として不自然でない程度の、言ってみれば普通の年頃の娘の姿なのだが、ドライアドの陸軍の軍服姿か、そうでなければ一切飾り気のない旅装のどちらかの姿しか見た事がなかったアキラにとって、いかにも年頃の娘といった格好をしている副官は新鮮に映った。

 それにはさらにその服装が本人に実によく似合っているという点を強調する必要があった。

 アキラの記憶によるとミヤルデは幼い頃に母を亡くしてから、父親と数人の兄に育てられていた。その生い立ちもあってお洒落や化粧っ気というものを今まで感じた事がなかったのだ。

 だがその日のミヤルデの出で立ちは念が入っていた。服だけでなくちょっとした髪飾りや装飾品、さらには手回り品にも不自然なところが無いどころか、一見何の変哲もなさそうに見えて、わかる人間には品の良さを感じさせるようなものばかりで揃えられていた。

 おそらくそれらの見立ての全てはもう一人の副官であるセージ・リョウガ・エリギュラスによるものだろうとアキラは確信していた。

「その化粧は?」

「お、おかしいでしょうか。なにぶん不慣れなもので」

 アキラが唐突にそう言って化粧について触れると、それまで無表情を装っていたミヤルデの顔が一瞬で真っ赤に染まった。

「いや。よくもまあそこまで上手に出来たものだと感心した」

「これは、その……」

 どうやら化粧もセージの手によるものらしかった。

 アキラはその時の様子を想像すると、笑いがこみ上げるのを押さえるのに苦労した。苦虫をかみつぶしたような不満顔で鏡に向かい、セージに紅を引いてもらっているミヤルデの姿は普段の彼女を知っている者には相当な見物に違いなかった。

「いやいや。ミーヤ、君が社交界に現れてもおかしく無いどころか、ダンスの申し出を断るのに苦労する事になるだろうという事は請け負うよ」

「お戯れを」

「ミーヤも知っている通り、私は世辞など言わぬ男だ」

「……」

「だが、ダンスの相手には是非中尉を選んであげるべきだろうがね」

「は?」

「いや、そうすればエリギュラス中尉が喜ぶだろうという話をしている」

「それは、どういう意味でしょう?」

「いや……」

 アキラは嘆息した。

「この話はここまでにしよう。あまり長居しても妙に思われる。それよりそのペトルウシュカ男爵の新しい幕僚長についての情報はどうなっている?」

「ここは思ったよりも検閲が厳しくて、我々も下手な動きができなかったのですが、暗号伝信が何とか機能し始めましたので、続報は来ています。エスカ様……いえペトルウシュカ男爵はペシカレフ公爵の供としてエッダへ向かわれたようです。もちろん新しい幕僚長連れです」

「ペシカレフ公だと? 五大老はあのマルクを国王の代理として大葬に列席させるというのか」

「公爵とは名ばかり。資産どころか借金まみれで既に領地も全て五大老の息のかかった連中が担保として抑えていると聞き及びます」

 アキラはうなずいた。

「マルク・ペシカレフという男は人格的にも問題がある上、女にだらしが無いことにかけては知らぬ者もいない。さらに嫉妬心と名誉欲だけは一人前以上という絵に描いたような小物だ。そんな人間を名代に据えたのには訳がありそうだな」

「ペシカレフ公爵家はペトルウシュカ公爵家の縁戚にあたる家柄ですが、五大老がペトルウシュカ男爵を護衛に指名したのはその関係もあっての事でしょうか?」

「エスカはあの性格だからな。口ではマルクをなじってはいるが、何度となく資金の援助をしていたはずだ。とは言え戦略的に言えば、この時期エスカが自ら進んでエッダ行きを志願するなどあり得ん。断ろうにも断れない命令だったのだろうな」


 アキラはアプサラス三世崩御後の自陣営の情報が少なすぎる事に苛立ちを募らせた。もちろん原因はミリアの指令を遂行する為に本来の立場を放棄している事にあるのだが、既に大きな動きを始めたファランドールを俯瞰できないのは辛かった。

「私見ですが」

 アキラが黙り込んだ所へ、ミヤルデが声をかけた。

「かまわん。言ってみろ」

「おそれながらペシカレフ公は体のいい捨て駒なのではないでしょうか?」

「捨て駒?」

「政治的にも軍事的にも、また内政的にも外交的にも全く必要のない駒であるペシカレフ公を名代としてアプサラス三世の大葬に列席させる事でシルフィード側を挑発しようとしているのではないかと」

「シルフィードがそんな幼稚な挑発に乗るものか」

「そこです。捨て駒は幼稚な方がいいのではないでしょうか?」

「ほう。面白い意見だな」

「セージ……いえ、エリギュラス中尉と組むようになって、アルヴ族の持つ気質というものがわかってきたと申しますか……」

「アルヴ族の気質?」

「気位だけが高く、攻撃的な性格と評判のペシカレフ公が幼稚で単純であれば、エッダでアルヴの気質と対立しやすいのではないかと」


 ミヤルデの説はこうだ。

 大葬に参列するペシカレフ公爵は名代という大役を仰せつかって得意になっているはずである。何せ、国王の代理である。シルフィード王国では文字通り自らを国王としてもてなしてもらわねば彼の虚栄心は満足しないだろう。そしておそらくアルヴ族はそんな底の浅い人物を必要以上に丁重にもてなす事などはなく、そこにペシカレフ公爵の気に入らない対応が一つでもあれば……。

「ちょっとした小競り合いや言い争いが生じるのは必定かと」

 つまり、そのつまらない事件とも言えぬ事柄を問題視して高圧的な外交の口実、いやきっかけにしようとしているのだというのがミヤルデの説だが、アキラは首を横に振った。

「君の推理は間違ってはいないと思うが、五大老はもう少し狡猾で冷酷だ。そしておそらく偶発など期待してはいないだろう」

「と、言いますと?」

「エスカの手勢はどうなっている?」

「ペシカレフ公爵の世話係を別にすると、ペトルウシュカ男爵と共にミュゼを出たのは幕僚長と下士官を含め、総勢三十名程度のようです。その辺りについても報告書に詳細にまとめてあります」

「わかった。まずそれを読ませてもらおう」

「いつもの花屋でカラーを注文して下さい。その際『黄色いのがあると嬉しい』と申し添えて下さい。それから大佐には副司令からの矢のような帰投要請が来ています。そちらについては左隣のパン屋の……」

「そっちはいい」

「私が叱られます」

「すまんが読みたくない」

「大佐!」

 ミヤルデは思わず上官を責める言葉を発したが、一拍おくと小さなため息をついた。

「わかりました。サンサ副司令に叱られるのは慣れています」

「いつもありがとう、ミーヤ」

 スプリガンの実質的な運営をしている堅物で有名な老副司令官、ヤリキィ・サンサ中佐の苦虫を嚙み潰したような顔を思い浮かべると、アキラは心の中で深々と頭を下げた。

「それから、私の伝信はミュゼにはいつ頃届く?」

「そうですね。おそらく明後日には」

「いいだろう。どちらにしろぐずぐずしてはいられないようだな。人待ちで滞在が延びているが、どうやら限界のようだ。私への返答を待って次の動きを決める」

「了解しました」


 その時、午後の礼拝が始まる鐘の音が街に響き渡った。ヴェリーユの市街地にある鐘楼という鐘楼の鐘が一斉に五分間鳴り続ける、ヴェリーユ名物の「鐘の唱和」が始まったのだ。

「では私はこれで。明日は中尉を寄越します」

 背中合わせに座っていたミヤルデ・ブライトリングは、それを合図にすっと立ち上がった。

「どうした? 大尉は何か別の用事があるのか?」

「いえ」

 ミヤルデは背中を向けたままで小さくつぶやいた。

「こういう服装はどうも苦手です。化粧にも時間がかかりすぎて……」

「そういう理由では許可できない。命令だ。明日も君が来い」

「大佐!」

「いつまでもそんなところに突っ立っていると目立つぞ」

「むむ……」

 アキラとミヤルデは通りに面したカフェの、別々のテーブルに背中合わせに座って会話をしていたのである。アキラはヴェリーユの観光案内の小冊子を広げ、ミヤルデはテーブルで手紙をしたためる振りをして、小声で話し合っていたのだ。

 寒気が入り込む窓際の席は人気が無い為に客の姿もなく、二人の会話が誰かに聞かれる心配はなさそうだった。


 アキラは不機嫌そうに去って行くミヤルデの足音を背中で聞きながら小さく微笑むと、テーブルの上で冷え切ってしまった紅茶のカップに手を伸ばし、一口すすった。

 予想以上にそれは不味かった。

 アキラは花屋に向かう前に熱い紅茶で口直しをしておこうと顔を上げた。給仕に注文しようと思ったからだ。

 だが、給仕はすでにアキラの目の前で恭しく礼をしていた。

 よく見れば、手には紅茶のポットとカップが載った盆を持っているではないか。

「頼んではいないが?」

 当たり前のようにそのポットをテーブルに置こうとした給仕を制するとアキラは尋ねた。

「あちらのお客様からです。紅茶が冷えているようだから換えて差し上げろと」

 給仕はそう言ってチラリと後ろを振り返ったが、すぐにテキパキとテーブルの上のカップ類を新しいものに取り替えて去っていった。

 アキラは白い湯気が盛大に立ち上る熱い紅茶の事はすっかり意識の外に飛んでいた。

 その視線は二つほど離れたテーブルに座ってこちらに微笑みかけている「あちらのお客様」に釘付けになっていた。

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