第三十三話 交錯のヴェリーユ 1/2
図らずもアプリリアージェと別行動をとった事は、アキラ・アモウル・エウテルペにとっては歓迎すべき事態と言えた。
もちろん、仲間との連絡がとりやすくなったという意味であるが、なにより能動的に情報の収集活動がしやすくなった事がアキラにとっては重要であった。とは言え、さすがにこれ見よがしに行動するわけにも行かなかった。ティアナの存在があったからである。
だが、アキラのそれは杞憂と言えた。
共に「龍の道」を通って先にヴェリーユ入りした一行にあって、ある意味で唯一の軍人らしい軍人とも言えるティアナだったが、彼女は少なくともアキラを自分達と別の陣営の人間だとは露ほども考えていなかった。ヴェリーユでアキラが単独行を行う事を全くとがめる事がなかったばかりか、そもそもヴェリーユに共に留まってくれている事に感謝の念を隠さない程であった。疑い深い性格ではあったが、一度信じてしまうと今度は二度と疑う事をしない気質でもあったのだ。
そんなアキラ達一行はヴェリーユで想像もしなかったような待遇を受けていた。
アキラの持つ「エスタリア公爵符」の効力はティアナやエルネスティーネの想像を遙かに超えて、ヴェリーユで絶大な効果を発揮していたのである。
実のところその効力には持ち主であるアキラですら舌を巻いていた。
ウンディーネ連邦共和国の中央南端、ノーム山脈の麓にあるヴェリーユは、いわゆる新教会の本山が置かれている一大聖地である。
新教会の聖地ヴェリーユはマーリン正教会の聖地であるヴェリタスと同様、ウンディーネ連邦共和国内に位置するが、共にただの街ではない。どちらも自治国家の形をとっていた。つまり領土が存在するのである。
そう言うわけで国境線でもある町の全ての出入り口には物々しい関が設置され、出入りが厳しく監視されている。町は広大であるにも関わらず、その周りは全て頑強な石の壁で囲まれていて、街全体が難攻不落の要塞のようであった。まさに要塞都市である。
独立自治国家であること、砦のような長い石積みの壁と並び、ヴェリーユには大きな特徴がある。それは冬に街を訪れる者はいやでも目にする事になる光景である。
ヴェリーユは冬季に入り気温が下がると、町全体が常に白い蒸気で覆われるのである。
それはこの町の融雪設備の仕業であった。豊富にある温泉を町の道路の下に流している関係で、方々でその湯気が地上に漏れる。結果として町の至る所で白いもやが発生しているような状態になり、別名「冬霧の町」とも呼ばれている。
宗教そのものが維持・運営する街であるから、いわゆる軍隊は存在しないが、その代わりに「僧兵」と呼ばれる出家信者による訓練された武装部隊が警察組織として町の治安維持を担っている。
僧兵達はそれぞれ腰に片手剣を下げ、手には長槍を握り、町中の角という角に立って睨みをきかせている。彼らはすべて目の部分だけを切り取った黒い布で顔を隠しており個人の特定を困難にしている。それが意味するのは僧兵達には警備以外に顔を見せる業務に就く事があるという事であろう。アキラはそう推測していた。
決して排他的ではない新教会だが、さすがに新教会の最高権力者である堂頭(どうとう)のお膝元では、それなりの「示威行為」は必要なのであろう。
アキラやエルネスティーネ達は「龍の道」からヴェリーユにほど近い山中に出ると、一番近い門からヴェリーユ入りしたのだが、そこではまず懐剣以外の武器と呼べるものは全て没収された。
両手を上げさせられ体を探られたティアナは憤然とした顔で抗議したが、エルネスティーネに窘められたおかげで大きなもめ事になる事はなかった。
それは形式的なもののようで、エルネスティーネとテンリーゼンに関してはマントを脱ぐように命じられたのみで、エルネスティーネが腰に懐剣をぶら下げているのを見ても、特に何もとがめられる事はなかった。
むしろ、エルネスティーネの喪の徴を見て、その意味を知る門番達は軽く礼をし、悔やみの言葉を告げた程であるから、ティアナの興奮もすぐに収まる事になった。
没収された武器は門の横にある保管庫で預かる事になっており、出る際に返されると説明を受けた。つまり大きな武器を持つものは、入った門からしか出られないような決まりになっていたのである。ヴェリーユの街に続く門は全部で三つあるが、それぞれは石の壁に沿って掘られた運河を兼ねた堀で行き来する事になっていた。入ってきた門からしか出る事は出来ないが、違う道に通じる門へは、その堀を使って連絡されていたのである。
初めてヴェリーユに来たアキラはだいたいの様子と仕組みを確認すると、そこでようやく公爵符を門番の中でも責任者と思しき男に恭しく差し出した。
「我らはこういうお許しを持っておりますが、何かの役には立ちませんかな? お預けしたものは、実は恩人の形見の剣。できれば常に我が身の側に置いておきたいのですが」
門番は差し出されたペトルウシュカ家のクレスト入りの公爵符を隅から隅まで眺め回した末、アキラ達に最敬礼をするとしばらく待てと言ってどこかに姿を消した。そしてティアナが眉間に皺を寄せる前になんとか戻ってくると、新教会の天真星紋が縫い取られた光沢のある青い布を広げ、それで今没収した剣を一振りずつ丁寧に包んで金の紐でしっかりと結び閉じ、その状態でアキラ、ティアナ、メリドにそれぞれ返した。
「堂頭様の賓客とは知らず失礼をいたしました。ただ、これは決まり事ゆえ、ヴェリーユ滞在中はその紐を解くことなく、そのままお持ちくださいますよう」
制限を設けられはしたものの、公爵符を見せただけで、倉庫行きになるはずの武器は返ってきた。
「言って見るものだな」
「ええ。さすがに驚きました」
あらためて公爵符の効力に感心しながら、アキラ達一行は門番達に会釈をして立ち去ろうとした。しかし彼らは慌てた門番に止められた。
「しばしお待ち下さい。じき、迎えの馬車がまいります」
公爵符はアキラの想像を超えた効力を発揮しており、その後の展開に一行はただあっけにとられるだけであったのだ。
迎えの馬車は、天真星の意匠、すなわち新教会のクレストを大きく掲げた大型の馬車で、それなりの位にあると思われる僧服姿の案内を伴って現れた。
案内役はデュナンの青年で、クランス・アライバルトと名乗った。彼ら一行の滞在中、専属案内係を勤める旨を告げると、市街地の中心部にある、見るからに特別な人間の為の建物といった風情の石造りの重厚な造りの宿に一行を案内した。
部屋の準備が整うまでしばし待つようにと言われた一行は、一階の大広間にあるゆったりしたソファに案内され、透かし模様が入った瀟洒な磁器のカップで薫り高いお茶が振る舞われた。
「アモウル殿。これはいったいどういう事だ?」
あまりに慇懃で仰々しい歓迎振りに面食らってそう尋ねるティアナに、アキラもしかし的確な答えを持っている訳ではなかった。
「おそらくペトルウシュカ公爵は、新教会に寄進をしているんでしょうな。しかもこの厚遇振りからすると、並の額ではなさそうだ」
だからアキラはそう言って頭をかくしかなかった。
ドライアドの有力な貴族は、国教である正教会にはもちろんそれなりの寄進をしているものだが、ミリア・ペトルウシュカはそれに加えて新教会にも「それなり」の心付けを行っていたのだという事をアキラは一連の対応で初めて知る事になった。
(いや)
色が薄いにもかかわらず、甘みの濃い上等なそのお茶を飲み干す頃、クランスが部屋の準備が出来た事をつげに来た。案内されるままに足を踏み入れた客室を見回したアキラは、そこでさらに頭を搔く事になった。
(訂正だ。これは「それなりの額」などではなさそうだ)
ヴェリーユ大聖堂を正面に眺める事ができる最上階のその部屋には大小取り混ぜて十ほどの独立した扉がある部屋があった。うち五つには附室が設けられていると言えばその広さの程がうかがい知れるだろうか? それぞれの部屋に通じる通路は居間に通じ、部屋の主同士が顔を合わせる場所になっていた。いや、そこは居間と言うよりはむしろ広間と呼んだ方がいいほどの広さがあった。
「アモウル殿……」
通された部屋を見渡した後でそう声をかけてきたティアナに、アキラは両手を振って皆まで言わせなかった。
「部屋代なら心配無用です。どうやら一エキュも払う必要はないようです」
アキラは、ここへ来る途中で部屋付きの世話係にその旨を尋ねた際の事情をティアナに説明した。
相当上等な宿であることは出されたお茶の質でわかっていたから、アキラは気になっていた部屋代について世話係にそれとなく尋ねたのだ。すると彼は立ち止まり極めて慇懃に一礼した後で「一切のお気遣いは無用でございます」と答えたのだ。さらに続けて、
「アライバルト様からはくれぐれも粗相の無いようにと言い含められております。どうぞ我が屋敷のようにごゆるりとおくつろぎくださいませ」
とも。
「いや、そうではなくて……いや、それも気にはしていたのだが」
「わかっています。私とてあまり目立った事になるのは避けたいと思っています。だが、まさかこんな事になるとは露ほども思わなかったもので」
ティアナの心配をよそに、エルネスティーネは目を輝かせながら見慣れない飾り棚や家具、掛けられた絵画などを眺めていた。だが一カ所にはじっとしておらず、気付くと既に別の部屋の扉を開け放ってそれぞれ違う調度にいたく感心していた。
この状況を素直に受け入れているのはどうやらエルネスティーネだけのようだった。
「驚きを通り越しています。もはや呆れてものも言えません」
「不可抗力だ」
「まったく、肝を冷やしましたよ」
「実は私もだ」
「――」
「いや、続けてくれ」
「――それにしても大佐は妙なものをお持ちですね。紙切れ一枚で国賓級の扱いとは」
「これも役得と言うやつなんだろうな」
「ペトルウシュカ男爵ですか?」
「いや。変人の方だ。さすがに男爵程度では国賓とはいくまい。あれはエスタリアの公爵様がこのしがない旅芸人に下さった褒美のようなものだ」
「――開いた口がふさがらないとはこの事です」
「ふむ。彼女ならこのような場面では『書いた鯨にブタが鳴く』とでも表現するのだろうな」
「何の話です?」
「いや、続けてくれ」
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