第三十一話 アルカナ・アナクラ 1/3

 思わず叫んだニームの右手を、エスカはすかさず押さえた。こわばった表情のニームとは対照的にエスカの表情は実に落ち着いたものだった。

 エスカはニームに小さく頷いてみせた。落ち着けという合図である。ニームは開きかけた口を閉じると、結布に伸ばした手をゆっくりと下げた。エスカはそれでいいという風にもう一度小さくうなずくと海賊アナクラの首領に向き直った。そのまま自分に突きつけられた剣を素手で摑んでそれをゆっくりと押しのけると、ゆっくりと一歩進み出た。

「あぶねえあぶねえ。お前ら、今、命拾いをしたんだぜ?俺に礼を言ってもらいてえもんだな」

 エスカの一言に、その場にいた全員が低くどよめいた。

「どういう意味だ?」

「言葉通りだ。このちっちゃい美人を本気で怒らせたら、エライ事になっちまう。そうなる前に茶番はそろそろ終わりにしようや」


「茶番だと?」

 これは海賊から出た言葉ではなかった。ニームが不信感あふれる目でエスカを見上げてかけた言葉だった。

「やれやれ」

 ニームの言葉に反応したのは、これも意外な事に首領の副官らしき青年だった。

 青年はそう言って肩をすくめると、首領に向かって短く告げた。

「剣をおさめろ、イーフォック」

 副官であるはずの青年に呼び捨てにされた首領は、無言で剣を下ろすとそれをそのまま鞘にしまった。そしてなんと今まで自分が座っていた椅子の前を空けて、その脇に片膝を着き、羽織っていた船長服を脱いでうやうやしく掲げて見せた。それをデュナンの金髪碧眼の青年が受け取ったのだ。


「すまなかったね、エスカ・ペトルウシュカ少将」

 青年は船長服を羽織ると、エスカに向かってそう言った。

「ようこそ、我ら『黒のアナクラ』の旗艦、オイアーヴへ」

 驚いて目を見張っているニームににっこりと笑いかけた後、「副官だった」青年は改めてエスカに向き直り、右手を差し出した。その掌には鮮やかな海蛇のクレストの入れ墨があった。

「私が首領のアルカナ・アナクラだ」

「エスカ・ペトルウシュカだ。改めて条件を伺おう」

 エスカは素直に右手を出し出すと、アルカナと名乗った本当の首領の右手を握った。

「どうしてわかった?」

 右手を握ったままで、アルカナはエスカにそう尋ねた。

「まず、有能な副官というのは首領の動きを注意深く観察して、補佐するべきところを見極めるものだ。お前は首領を一切見ようとせず、終始俺達二人だけを観察していた」

「なるほど。だが私が有能な副官ではない可能性もあるだろう?」

「その若さでアナクラの首領の副官だとすると、無能な訳がないだろ」

「ふむ。他には?」

「その逆だ」

「逆?」

 エスカはやれやれという風に肩をすくませた。

「ここにいる乗組員の注意は、そこにいるイーフォックさんとやらじゃなく、副官の方に集まる事が多かった。それがどういう事かくらいは子供でもわかる」

「ほう」

 エスカの言葉にアルカナはにっこりと笑ってみせると、その笑顔をニームに向けた。ニームは少し顔を赤くするとアルカナをにらみつけた。

「だからコイツを挑発するなって」

 今度はアルカナが肩をすくませた。

「オイアーヴはグェルダンと違って『固定』されてないんだがな」

「コイツは規格外なんだよ」

 エスカはそう言うと懇願するように続けた。

「頼むからこれ以上ニームを刺激しないでくれ」

「エスカに指一本触れてみろ。私が合図したとたん、グェルダンに居る仲間がこの船に向かって一斉に攻撃ルーンを放つ事になる」

 アルカナとエスカの会話に、たまりかねたようにニームが口を挟んだ。アルカナは待ってましたとばかりにニームが向けた話に乗ってきた。

「ここはルーンの射程外だ。たとえ強化されて射程距離が伸びても的が小さすぎて当たるわけが無いだろう?」

「噓だと思うならやって見せるか?」

「面白い。出来るモノならやってみるがいいさ」

「三つ数えろ。数え終わる頃にはこの船のマストは無いものと思え」

「やめやめ。そこまでにしとけ」

 エスカはそう言うとニームの頭に手を乗せて軽くポンと叩いた。

「ニーム、俺との約束を覚えているだろうな?」

 エスカの言葉に、ニームはハッとした様な表情を浮かべたが、すぐに目をつり上げてエスカを見上げた。

「しかし」

「『しかし』も『かかし』もねえよ。とにかくお前は落ち着け」

 エスカはニームの頭をくしゃくしゃとかき回した後で、そっと撫でつけてやった。

「俺を信じろ。この場は全部任せるんだ」

 エスカはそう言うと改めて優しいまなざしをニームに注いだ。エスカは実のところつい今し方ニームが口にした言葉に、驚いていた。ニームは無意識に口にしたのだろう。だが、無意識だからこそエスカはその言葉の持つ意味は重いと感じていた。

 ニームはリンゼルリッヒとジナイーダの事を「仲間」と呼んだのである。


「さっきの話だが、決定的だったのは、俺に突きつけた今の剣だな」

「と言うと?」

「そのおっちゃんは、なかなかいい部下だな。俺が貴様に敵意を向けて一歩踏み出してみせると、思わず剣を突きつけた。貴様を守ろうととっさに体が動いたんだろうが、そのおっちゃんが本当の首領ならそんな動きはしねえだろ?」

「なるほどね」

 アルカナはそう言うと控えているイーフォックを見た。当のイーフォックは申し訳ありません、と小さく呟くとうなだれて見せた。

「部下を褒めてくれてありがとう」

 アルカナはエスカに向き直るとそう言ってにっこり笑った。

「こういう部下を持っている事を誇りに思うよ」

「条件を聞こう」

 エスカはそれには答えずに、真顔で再度促した。

「いや、目的を聞こう」

 アルカナはエスカがそう言い直すとうなずいた。

「二つある。一つ目はどうしてもお前に聞きたい事があった」

「なるほど」

 アルカナの言葉で、エスカは何かを納得したようだった。その様子を見たニームの中に、小さな違和感が顔を出した。



「どうしても直接会って聞いておきたかった」

「聞こう」

「俺達はどうなる?」

 アルカナは穏やかな微笑を消すと、その青い瞳でエスカを睨み据えた。それと同時に言葉遣いが変わった事にニームは気づいた。

「戦争が終わった時、俺達はいったいどうなるんだ?」

 エスカはアルカナにそう問われると、周りの乗組員達を改めて見渡した。

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