第三十話 交換条件 3/3

「なるほどな。とりあえず大義名分は取り付けるタチってことか」

 少し間を置いて独り言のようにそう言うと、首領は表情を崩し、ニヤリと笑って見せた。

「これだけの短時間で男爵から公爵に出世しちまうとはな。こんな奴は聞いた事もねえ」

 そして甲板にいる乗組員達を見渡した。

「だろ、お前ら?」

 首領のかけた言葉には、張り詰めた雰囲気で成り行きを見守っていた海賊達に少しだけ緊張を解く効果があったようだ。ほんの少し、ざわめく声がした。だが、それだけだった。大きなヤジも積極的な応答も何も無い。基本的にその場の成り行きを無言で見守る、その雰囲気は崩れてはいなかった。

「私の補佐官がおびえているようなので、出来れば手短に済ませてもらいたい」

 エスカはそう言うと周りの人垣を見渡した。

「彼女はこういうところに慣れていないのだ」

(別におびえてはおらん)

 ニームは表情は変えず、小声でそう抗議したが、エスカはそれについては無視を決め込んだ。黙っていろという事なのだろう。ニームは心の中でため息をつくと、右の手首に巻き付けた結布を確かめるようにそっと触った。

「せっかちは嫌われるぜ、公爵さんよ」

 首領はそう言ったが、エスカが全く表情を変えないのを見ると、つまらなさそうな顔に戻った。

「公爵様はあまりおしゃべり上手じゃねえようだな。じゃあ、用件に移ろう」

「助かる」

「そうだな。そこにいる特級バードを俺達に寄越せ。そうしたらお前達の船には手出しはしねえ」

「何だと?」

 あまりにその場の思いつきのような首領の申し出に、エスカは思わずそう聞き直した。

「いやあ、実はこいつがそっちのバードの娘をエキープ港で見かけて一目惚れしちまってな」

 首領がこいつ、と指をさした先には、先ほど耳打ちをしていた副官らしき青年がいた。彼は首領がそう言うと、にっこりとニームに笑いかけた。

「な……」

「それで皆が助かるなら、喜んで」

 ニームが抗議をする前に、エスカが即答した。だが……

「と、言いたいところだが、こいつだけはやれねえな」

 そう言うと、エスカはニームの肩を抱き寄せた。

「調べは付いてるんだろ? こいつは俺の女だ」

「エスカ……」

 ニームは自分の顔が瞬間的に上気したことを悟ると、思わず下を向いた。


「おやおや」

 首領は芝居がかった仕草で両手を広げてみせると困ったような顔をした。

「断るとどういう事になるのかわかって言っているんだろうな?」

「どうなるんだ?」

「その特級バードがかけたルーンが解けるのをまって、総攻撃に移るだけだ。ついでに言うと俺の合図があれば一瞬でお前らは惨殺死体に変わる」

「ふん」

 ニームは肩に置かれたエスカの手をそっと外すと、首領に向き合った。

「私が残れば襲わないと約束を守るんだな?」

「もちろんだ。海賊の掟を知ってるだろ?」

 海賊の掟、それは宣言した誓いを守らない場合、それが首領であろうが幹部であろうが、仲間から制裁を受けるというものである。つまり、首領が誓いを破った場合、部下に命を狙われる事になる。誓いを守らなかった海賊の首領は、たとえ部下から命を狙われなくとも、その事が知れた場合、他の海賊から制裁を受ける事になる。つまりは海賊同士の抗争に発展するのである。

 それは「血の掟」と呼ばれ、海賊達が古くから守り続けている彼らの憲法であり信じる神の言葉のようなものであった。

「私をここに残してどうするつもりだ? その男の慰み者にでもするつもりか?」

「お嬢ちゃん、俺達を見くびってもらっちゃいけねえな。俺達ゃ、慰み物にする女は奪う事にしているんだ。だいたいなぜここにこんなに人が集まってると思ってるんだ?」

 首領はそう言うと改めて周りを見渡して見せた。

「会見を聞くためではないのか?」

 ニームの言葉に、初めて甲板の人間が大きく反応した。多くはせせら笑いで、それは一瞬でどよめきに変わったが、首領の合図で再び静寂が訪れた。

「知らねえようだから教えてやろう。海賊が持ち場を離れて全員甲板に集まる行事はたったの二つだ。そのうちの一つは船長が変わった時だ。そりゃわかるな?」

 ニームは頷いた。確かに船長が替わった時は乗組員全員に顔見せをして宣言する儀式が必要だろう。

「もう一つは何だ?」

 おそらくニームがそう問いかけるのを待っていたのだろう。首領は嬉しそうに笑って見せた。

「そりゃお前、結婚式に決まってるじゃねえか。だろ、おめえら?」

 首領がそう呼びかけると、乗組員達は一斉に「おう」と答えた。何人かは口笛を吹いたが、それらは例によって一瞬で止んだ。

「私は既にこのエスカと婚儀を上げている状態だ。重婚になる」

 ニームはしかし、冷静にそう返した。

「それでもいいのか?」

 ニームがそう言うと首領はもちろんだ、と言って頷いた。

「そんな事は俺達には関係ねえ。仲間の前で海賊式の結婚の儀をすりゃあ、俺達が認めた夫婦って訳だ」

 ニームは無意識に右手の手首の結布を左手でそっと撫でた。それを見ていたエスカが小声で囁いた。

(馬鹿な事を考えるなよ。ここは俺に任せておけ)

 だが、ニームは何も聞こえなかったように自分を見初めたという青年と、首領を見比べた。

「参考までに先に聞いておこう。海賊式の結婚の儀式とはどのようなものだ?」

「何、海賊式と言ってもそれほど風変わりなものではありませんよ」

 首領ではなく青年がそう答えた。微笑したままで、何も知らなければただの優しげな青年にしか見えない。

「ここに集まっている皆さんの前で夫婦の誓いを立て……」

「誓いを立てて?」

「皆の前で口づけを交わす」

「む……」

 その一言でニームの顔色が変わった。

「それも、五分だ。それが海賊式だ」

 首領が後を受けてそう言うと、ニームは動揺を隠せなかった。

「ご……五分だと?」

「ええ。五分間、周りの盛大なヤジに耐えられる、いえ、周りのヤジが聞こえない程口づけにのめり込めて初めて夫婦と認められるのですよ」

「口づけの間は無礼講でな。どんな罵詈雑言をぶつけてもいい事になってるんだ」

 首領がそう補足したが、その時にはニームの顔が再び上気していた。

「いやあ、一目惚れでしてね。是非我が妻に」

「いや、それは……」

「それに、特級バードが私たちの仲間になってくれるなら、戦力としてこれほど頼もしい事もありません。船を一瞬で岩のように動かなくできる程の力を持つルーナーなど、聞いたこともありませんからね」

 デュナンの青年はそう言うと恭しくニームに礼をして見せた。

「ちなみに、私はあなたと違い、まだ独身です。ご安心下さい」

 青年がそう言って顔を上げると、ニームは思わずエスカの袖を摑んだ。

「残念ながら、その条件は飲めねえな」

 エスカはそう言うと再びニームの肩を抱いた。

「俺達ゃ新婚なんだ。寄越せと言われてハイそうですかって妻を差し出せるわきゃねえだろ」

「ほう。ではここで仲良くあの世へ行きたいと?」

「あの世へ行くのはお前達かもしれねえぜ?」

 エスカはそう言って睨んだが、副官の青年は微笑を崩さないままで肩をすくめて見せた。

「これはこれは。何か企んでいらっしゃるというわけですか?」

「別に企んじゃいねえよ」

「ふむ。であれば、あなたを始末した後、ゆっくりとバードのお嬢さんを懐柔することにしますか」

「やめろ」

 ニームは低い声を絞り出すようにそう言った。

「お前の慰み物になるくらいなら、舌を嚙んで死んでやる」

「おやおや」

 自分を睨み付けるニームを見て、青年は困ったような顔をした。

「いや、あなたの夫は、そもそもあなたと結婚しちゃまずいんですよ。だからここは私が助け船を出して、筋書きを元通りに……」

「黙れ!」

 エスカはその言葉を遮ると、青年に向かって一歩足を踏み出した。だがその足はすぐに止まった。

 片手剣の切っ先が素早くのど元に突きつけられたのだ。その鈍い輝きを放つ剣の柄を握っていたのは、首領だった。

「エスカ!」

 ニームの悲鳴は甲板に反射し、明けたばかりの空に吸い込まれていった。

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