第二十九話 爵位返上命令 1/4

 船長室に入ったニームとジナイーダは、マルク・ペシカレフ公爵の耳障りな叫び声に出迎えられた。

「いったいどうするのだ?そもそも我が方に軍船がたったの三艘しかないとはどういうつもりだ、男爵?」

「いや、面目次第もございませぬ」

「国王名代の護衛ともなれば、百や二百の軍船に守られているのが当たり前ではないのか?お前は儂を守るのが務めであろうが?いったいどうしてくれるのだ、この役立たず」

 膝を床に突き、マルクに頭を下げているエスカの姿を見たニームは、思わず手に持っていた精杖セ=レステを思い切り床にドンと突き立てた。

 その音に、船長室にいた全員が入り口の二人組へ顔を向けた。


「これはこれはタ=タン大佐。いち早いご活躍にこのフェルン・キリエンカ、感服いたしましてございます」

 ニームが言葉を発する前に、大きな声でフェルンがそう声をかけた。

「いやはや。誰もまだ海賊の来襲に気づかぬうちに防御陣を敷かれるとは、さすがは我がドライアド王国が誇る特級バード。お噂通りの凄腕に名代であるペシカレフ公爵も一安心されていらっしゃいます」

 フェルンはそこまで一気にまくし立てると、眉間にしわを寄せて自分を睨んでいるニームに目配せをして小声で告げた。

(『ゴミのような男に短気を起こすな。ここはひとまず俺に任せろ』とまあ、血相を変えたあなたが現れたら、真っ先にそう伝えるように指示されております。要するに『騒ぎを起こすな』ということです)


 改めてよく見れば、マルクは実にひどい格好であった。

 よほど慌てて部屋を飛び出したのであろう。しかもそれが昨日の晩餐の格好のままなのがマルクのだらしなさを如実に表している。上着の首や腕周りに豪華な金糸レース飾りが付いているのはいいのだが、それがしわくちゃになって一部はほつれてぶら下がっていた。中途半端に脱いで眠り込んでいたところをグェルダンの急停止で目を覚まし、慌てて着直したのか、はたまた昨夜のらんちき騒ぎで飲み過ぎ、食い過ぎてはち切れたのかは不明である。だが上着からのぞく真っ赤なチョッキのボタンが掛け違っていて、そもそも二、三カ所しか止められていないところを見ると、どうやら前者であろう。ズボンは止め帯が外れて垂れ下がり、裾を止める紐はほどけたままで床を引きずっていた

 対してその前に立っている軍服を纏ったエスカの隙のない様はどうだ。

 ニームは惚れ惚れとするような我が「夫」の姿を見て冷静さを取り戻した。憮然とした表情でマルクを一瞥する事は忘れなかったが、すぐに頭を下げて辞儀をした。

 フェルンが言うとおり、ここでかんしゃくをぶつける事は簡単だったが、それではニームの上官であるエスカの立場がなくなる。とは言ったものの、そもそもニームは当然それをわかった上でマルクを恫喝しようと思っていたのだ。その後の収束案も構築済みだった。だが敢えてエスカがフェルンにニームの制御を言い含めてあったという事を考えれば、それを尊重するのが補佐官としての当座の役目であろう。

 ニームはそう自分を納得させることにしたのである。

 そうなると、ニームとしてはエスカのこの後の立ち居振る舞いに興味が移った。

 大型客船グェルダンは南回りでエッダに向かっていた。

 途中、ツゥレフ島の首府レナンに寄港して護衛の軍船を三艘とも大型の快速船に入れ替えた後は、何事も無ければ一気にエッダまで航海をする予定だったのだ。

 南回りの航路を選んだのにはいくつか理由がある。

 一つは北回りよりも遙かに距離が短く、時間が稼げる事である。ツゥレフ水道を抜けて南海に出れば、季節風に乗ってあっという間にエッダに到着するはずであった。

 もう一つの理由が、海賊の回避である。南海には海賊達が隠れ住める場所が少ない。そもそも島が少なく、あったとしても単純な海岸線の島ばかりで、逃げ込むべき場所の確保が容易ではないのだ。

 問題もある。常に強い季節風が吹いている関係で、相当に大型な船でないと安定した航海ができない。また、暴風雨の頻発地帯でもあった。

 どの商船も海賊の少ない南回りの航路を取りたいのは山山だが、力の強い風のフェアリーが乗務員としていない限り、安全な航海が保証される航路ではないのだ。したがって多くの船は護送船団方式をとり、比較的穏やかな北回りの航路を選ぶ事が多かった。

 つまり、この海域で海賊、それもここまで大規模な船団が活動している事がそもそも不可思議であった。少なくとも近年海賊がツゥレフ水道付近に出没したという情報は事前の調査でも全く出てこなかったのだ。

 しかも中型とはいえ軍船が三艘も護衛しているのは、たった一隻の客船である。戦闘による海賊自身の損失を考えると、差し引きして彼らが得るものはほぼ皆無なのではないかと思えた。

 そうなると次に考えられるのは、圧倒的な数の船団にスタンセイルを掲げるという示威行為により、相手の戦意を喪失させ、早期の降伏を目論んだ軍船三艘の奪取という皮算用だが、そもそも相手は軍船である。三艇のみとはいえ、そのムーンセイルにオオワシの旗を掲げた軍船が、いったいどういう素性なのかは海賊とてよくわかっているはずであった。

 オオワシの旗、すなわちファルナ朝ドライアド王国の威信を掲げている船団である。一戦も交えず降伏する事など、まず考えられないのである。

 つまり相手の海賊、アナクラには船や武器・財宝の略奪といったものとは別に、何らかの意図があるに違いないと考えられる。この船に乗っている人物に用があると言い切ってもいいだろう。


 海賊に襲われた事を認識した後、ニームは即座にそこまでは考えを巡らせていた。問題は目的である。身の代金を狙った拉致か、あるいは怨恨か。

 どちらにしろたいした話も出来ないままエスカが部屋を出たものだから、その点についてエスカがどう考えているかまでは、ニームにはわからない。

 ただ、事に当たろうとするエスカにとって、場違いで珍妙な格好をしたマルクの存在が好ましいものではない事だけは確かだった。

「特級バードというのは、船の上でルーンが使えるのか?」

 グェルダンにはニームによって大規模な防御ルーンが既にかけられているというフェルンの言葉に、マルクは反応した。もちろん、今初めて知ったことであった。

 彼の疑問はもっともであった。

 それはマルクやフェルンのみならず、エスカにとっても常識を越えたものだった。エスカは改めてニームの能力に脱帽するしかなかった。


 水に浮かぶ船上ではルーンは使えない。それは常識であった。

 ルーンの決まり事の一つである「詠唱中は座標軸を固定しなければならない」という項目が満たされないのである。そう。水の上に浮いている状態の船は揺れていて、たとえ床とルーナーの固定関係が築かれていようが、そもそもその床が動いていてはルーンは発動しない。

 今日では廃れたが『船上のルーナー』という古い言い回しがある。「宝の持ち腐れ」と同義で使われる事が多いが、もともとは「ご大層な名目の割に、まったく役に立たないもの」と言ったような軽い侮蔑が入った言葉である。

 だが、その常識をニームが根底から覆したというのである。

 いや、そうではない。依然として船上でルーナーが使い物にならないというのは間違いのない事である。「ニーム・タ=タンに限ってのみ、それは当てはまらない」と特記するべきであろう。

 もちろん、ニームとてファランドールの理(ことわり)に反する事はできない。船上で普通にルーンを唱える事はできないのだ。だが、彼女の特技である「精霊陣」はそれを可能にした。

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