第二十三話 ピクシィの少女 3/3
アプリリアージェはエイルと目が合うと小さくうなずいて見せた。話を聞こうという合図である。エイルはうなずき返した。
「私は師を探す旅の途中で致命傷を負いました」
エルデは高いよく通る声で静かに話し始めた。
「すでにご存じのようですが、私はルーナーの中でも、治癒の力を持つ者。すなわちハイレーンです」
アプリリアージェはうなずいた。
「そう伺っています」
エルデは小さくうなずいた。
「理由は申せませんが、私は『授名の儀』と呼ばれる儀式の途中で我が師から空間転移にかけられ、遠い場所に飛ばされました。直前に我が師が叫んだ言葉、『我が庵にある宝珠を集めよ』を実践すべくファランドール各地を巡っていたのですが、ある場所でちょっとした罠にかかり、倒れたのです。私の記憶はそこで途絶えています。私が倒れた場所は、特殊で強力な結界が幾重にも複雑に張り巡らされていました。その中で履行された多くのルーンを自動的に解除するという、あまり例のない結界でした。私のルーンもそこではほとんど封じられてしまい、深手を負っていた私はそのままではそこで徒(いたずら)に死を待つばかりでした」
アプリリアージェは今し方エルデの口から出た「修復」という言葉を思い出していた。「致命傷」というほどである。その際、相当な外傷を体に負ったものと推理できた。
「その時の私に出来る事は限られていました。数少ない選択肢のうち、私は生き延びる為の唯一の選択肢……いえ、一つしかないのに選択肢とはいいませんね。ともかく残された唯一の手段である古の呪法を使うことにしました。それは私に与えられた特殊な力の一つで、およそ人が作る結界の影響など受けないものなのです」
そこでエルデはまた目を閉じた。
「そして、その呪法を発動した後、そのまま意識を失い……気付いたらこの場所にいた、という事なのです」
そこまで言うと、エルデはまた何かを唱えた。すると次の瞬間、エイルはバランスを失ってその場に倒れ込んだ。
「あ、ごめんなさい……大丈夫ですか?」
倒れ込んだエイルを助けようとしてエルデはあわてて寝台から起き上がった。だが、手を伸ばしたものだから、支えていた紗がまたもや体からずり落ちて、エイルの目の前にあられもない姿をさらすことになった。
「きやっ!」
悲鳴を上げてその場にしゃがみ込んで恥ずかしがる様子は、本当に普通の少女のようだった。
エイルはエルデのその姿を見て、思わず目をそらした。
「み、見てないから」
倒れたままの状態でエイルはそう言うと、腰をさすりながらゆっくりと立ち上がった。
自分にかけられた呪縛ルーンを、エイルは当然ながら何度も目撃していた。今まで自分自身が使っているようなものだったからだ。
だが、そこには大きな違いがあった。エルデはいまだかつて相手を「空中に」固定した事など一度もなかった。
「ごめんなさい。『時のゆりかご』の中はエーテルが少なくて、ルーンの制御がどうにも現世とは勝手が違うようなのです」
ルーンの制御もそうだが、何よりエイルはエルデの性格が自分の中にいた人格とあまりに違いすぎる事に対して混乱していた。目の前の瞳髪黒色の恐ろしい程の美貌を持つ娘がエルデだというのであれば、今まで頭の中にいた人格とは全くの別人と言うしかない。
つまり、今目の前でうすぎぬを纏っている少女に対して、エイルはいったいどう接していいのかが皆目解らなくなってきていた。
(こいつは、どう考えても『あの』エルデじゃないだろ?)
そこのところ、つまり何がどうなっているのかを問いかけたかった。
だがさすがにエイルもこの場はできればおとなしくアプリリアージェの指揮下に入った方がいいと感じていた。聞きたいことは山ほどあったが、それは後でもいい。なによりまずは冷静になる必要があった。頭に血が上って沸騰しそうな程混乱している。冷静になる時間が欲しい。客観的に現状を俯瞰する事が、混乱回避の近道だと自分に言い聞かせていた。そしてもう一つ。エイルは彼自身大きな問題に直面していたのだ。なぜなら彼の頭の中には戻ったフォウの記憶がどんどん流れ込み、それを受け入れるだけで手一杯だったのである。
よろよろと立ち上がったエイルに、エルデは心配そうな顔をして、小さな声で尋ねた。
「あの、どこか痛いところはありませんか?」
大きな黒い瞳で自分を見上げながら心配そうにそう尋ねる様子は、エイルの中にいたエルデとは完全に乖離した存在に思えた。
「あ、うん、大丈夫だ」
「さっきはごめんなさい。怖かったのでとっさに縛ってしまって」
「いいんだ。こっちもいきなり飛びつくようなマネをして悪かった。でもエルデの本体っていうか正体にはちょっと……いや、思いっきりびっくりしたというか、つまりオレは相当混乱してるんだ」
エイルは小さく手を振ってそう言った。
「あ、あの」
エルデはエイルの方を向いておずおず、と言った感じで声をかけた。
「あの、私、本当にあなたの体に意識を同居させていたんですか?」
「うん。かれこれ二年以上も、だ」
「二年も……そうですか」
エルデはまたうつむくと、もじもじとした動作を見せた。
エイルは言葉を待つことにした。
「あ、あの」
エルデは顔を上げてまたエイルに声をかけた。エイルはエルデが真っ赤な顔をしているのを見て少し驚いた。
「は、はい?」
エルデの表情に狼狽したエイルも、思わず赤面してしまっていた。
「そ、その……私、あなたにご迷惑をかけてしまいませんでしたか?」
「迷惑?」
「私は、この見かけと違ってかなりそそっかしいし……迷惑ばかりでしたか?」
「あ、いや、迷惑というか、ひどい目に遭わされたというか」
「やっぱり」
エルデは大きなため息とともに肩を落とした。
エイルは思い出していた。
何度言ったかわからないあの言葉。『いつか絶対ぶっ飛ばす』
同時に、それに答える『ぶっ飛ばせるならぶっ飛ばしてみろ』というエルデの台詞も。
考えてみれば、エイルは今、物理的にエルデを「ぶっ飛ば」せる状況下にあった。それはまさに積年の恨みを晴らせる絶好の機会と言えた。
(うーん)
「いや、そう言うんじゃないけど……。いや、迷惑っていうのは……うん。なかった」
エイルが言葉を選びながらそういうと、エルデの顔がぱっと輝いた。
「本当ですか?私、ちゃんとやってましたか?」
「あ、ああ。うん、そうだな。いや、どっちかというと」
「どっちかというと?」
「いつも罵倒……じゃなくて叱られてたな、エルデには」
エイルは頭をかきながらそう言った。だが、エルデは小さな口を右手で押さえると目を見開いて驚いて見せた。
「えええ?私が?そんな、叱るだなんて」
「うーん、まあ」
「そんな、私、一体何をやらかしていたんでしょうか」
アプリリアージェはそこまで黙って二人のやりとりを聞いていていたが、こらえきれなくなったようにクスクスと笑い始めた。
「あ、でもまあけっこう楽しくやってたと思う」
エイルはアプリリアージェが笑うのを横目で見ながらも、そう答えた。
「そうですか。良かった。少し安心しました」
「いや、本当に何度命拾いをしたかわからない。エルデのおかげでいつも助かっていたんだ」
「あ、いえ。よくわかりませんがそう言っていただけると、ちょっと肩の荷が下ります」
そう言うとエルデは心底ほっとしたという風にため息をついて肩を落とした。
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