第二十四話 失敗

「あの。いいかしら?」

くすくすと笑い続けていたアプリリアージェが、たまりかねたようにエイル達に声をかけた。そしてそのままゆっくりと二人がいる寝台に向かって近づいていった。彼女が声をかけたのはエイルではなく、視線を追う限りではどうやらそれはエルデのようだった。

その証拠にアプリリアージェはエルデの前で立ち止まった。

目の前の瞳髪黒色の少女を、アプリリアージェは改めてじっくりと見つめた。

黒い豊かな髪は腰までまっすぐに伸び、薄ぼんやりとした「時のゆりかご」の灯りを受け、上等なビロードよりもさらに深みのある艶を放っていた。アプリリアージェは自身がファランドールでは珍しい黒髪であるが、他人の髪の色を多少なりとも羨ましく思ったことはあったが、自分の髪の色を誇りに感じたことは無かった。だが、エルデを見て、初めて漆黒の髪がこれほど美しいものであることを知った。

その髪と同じ色をした闇を塗り込めたかの様に黒い瞳は濡れたような輝きを放ち、アプリリアージェをじっと見つめていた。その大きな瞳を見ていると、深遠に引きずりこまれるような足元が覚束ない錯覚を感じる程であった。それだけではない。エルデの切れ長の目はぞっとするほど美しい顔立ちと相まって、澄ましていると近寄りがたいほどの威圧感があった。

アプリリアージェは、隠そうとしても隠しきれない気品……それは時として長く続く貴族や王族に見られるようなものだったが……まさにそれをエルデの表情から感じていた。賢者という存在が只者であるはずも無いのだが、エイルの姿を借りていた時とは比べものにならない程の、それも通り一遍のものではなく、何か特別なものを感じさせる力に満ちたものだった。


だがアプリリアージェは今、その事について詳しい追求をするつもりは毛頭ないようだった。

彼女はエルデのさらに近くまで寄ると、その顔をのぞき込むようにしてにっこりと微笑んだ。それがアプリリアージェの特徴なのだということがわかってはいても、つい警戒を解いてしまうような、そんなすばらしい笑顔だった。

エルデに微笑みかけたアプリリアージェは、次にある行動を起こした。それはその場にいた誰もが全く想像もしないようなものだった。

アプリリアージェは右手をスッと無造作にエルデの方に伸ばした。

そして……

「あ!」

「え?」

それは文字通りあっと言う間の出来事だった。

アプリリアージェの目尻が普段よりいっそう下がったと思ったとたん、彼女はエルデが抱え込むようにしていた紗に手をかけると、あろうことかエルデが素肌を隠す唯一の物であるそれを一気にはぎ取ったのだ。


「きゃあああ!」

エルデは悲鳴を上げると、反射的にその場に体を丸めてしゃがみ込んだ。

「何をするんです!」

エルデは両腕で胸を隠しうずくまると再び顔を真っ赤に上気させ、自分を見下ろすように立っているダーク・アルヴの顔をにらみつけて抗議した。

だがアプリリアージェは、はぎ取った紗を後ろの方に投げ捨てると、彼女にしては珍しく悪意を含むようなニヤリとした笑いを浮かべ、自らのその、大振りで形のいい胸をわざと突き出すようにしてエルデを見下ろしていた。

「ふーん」

そしてエルデの体をじろじろと見回す様にした後で、バカにしたような声でつぶやいた。

「なんだ。顔はともかく、胸はティアナ並みですね」

そう言って、その大きさを見せ付けるように胸を反らせて見せた。それは言ってみれば挑発とも取れる行為であった。

「な!」

アプリリアージェのその行為はよほどカンにさわった様で、エルデは顔をさらに真っ赤にすると、アプリリアージェの挑発に即座に反応した。

「失礼な。どう見てもティアナよりはウチの方が大きいやろ!」

「へえ」

「あ……」

エルデはそこで絶句するとがっくりと頭を垂れた。それを見たアプリリアージェは、自分のマントをさっと脱ぎ、それをエルデの体にそっとかけてやった。そしてエイル達の方を振り向いて首を傾げる仕種をした。

そこにあったのは、普段の優しそうでおだやかな微笑だった。

「だ、そうですよ」

そのアプリリアージェの言葉に、ファルケンハインとエイルは顔を見合わせた。

「エルデの言うとおり、確かに結構ある方だと思うけど」

エイルはエルデから不自然に顔をそらせながら、そう言って頭をかいた。

「ウチの胸の話はもうええって。このスケベっ」

エルデのその言葉に、エイルはようやく気付いた。

「ああ!エルデ、お前!」

アプリリアージェはうなずいた。

「エルデは記憶をなくした『振り』をしていただけですよ」

アプリリアージェの言うとおりであった。ティアナの事を知らないはずのエルデが胸の大きさを比べられて憤慨する事などあり得ないのだ。確かにアルヴ族の女性は他の種に比べると極端に乳房が小さい。それは種の特性なのだが、会った事もないはずの人間の名前を聞いただけでそれがアルヴだと判断出来る人間などいない。

すなわちエルデはティアナの事をよく知っているという事になる。

「完璧な演技やと思てたのに」

エルデはアプリリアージェに掛けてもらったマントを羽織りなおしながら、そうつぶやいた。

「何でわかったん?」

「カン……でしょうか」

「カン?」

「確証はなかったんですが、間違いないとは思っていました」

そう言うと、アプリリアージェはいつもの微笑をエルデにむけた。


エイルは、アプリリアージェのマントをすっぽりかぶったエルデを見てあることを思い出すと、自分が着ている薄茶色のマントを脱いだ。そしてそれをエルデに差し出した。

エルデの長い髪の間からのぞいている耳は、その先端まで赤く染まっていた。唇をきゅっと結んでうつむいて座っているエルデはエイルが差し出したマントをじっと見た。

「お前のマントだ。この後に及んで忘れたとは言わせないぞ」

エルデはラシフのマントを手に取った。

「アホやな。忘れるわけないやろ」

地面に届こうかという程長く伸ばして、丁寧に手入れをしていた美しい髪をラシフは惜しげもなくバッサリと裁ち、それを使ってエルデの為のマントを織り上げたのだ。忘れるはずが無かった。

「さすがにそこまで不義理やない」

ぽつんとそう言うエルデに、エイルはうなずいて見せた。

微笑みながら、そして小さくため息をつきながら。

「さて、一通り落ち着いたところで、続きの話と行きたいところですが、とりあえずここを脱出しませんか?残してきたリーゼ達のことが気になります」

「あ」

エルデは思い出したように顔を上げた。

「そやね。もうずいぶん経ってると思う」

「帰る方法はあるのです……よね?」

アプリリアージェの問いかけに、エルデは力強くうなずいた。

「それを聞いて安心しました。私とファルはそれでいいとして、賢者ヴァイスとエイル君はこの後どうしますか?」

「え?」

アプリリアージェのその言葉に、エイルはハッとした。

そう。シグ・ザルカバードが消滅した時点でル=キリアにとってエイルやエルデと一緒に行動する理由も同様に消滅したと言えた。

「とりあえずヴェリーユまで行こ。ここから出るのは普通の人間には不可能やから、どちらにしろそこまでは一緒や」

エルデはそう答えたが、もちろんそれはアプリリアージェが望んでいた明確な回答ではなかった。


「オレ、この後もリリアさん達と一緒に行かせてもらえませんか?」

エイルはアプリリアージェにそう言った。

その回答はアプリリアージェとしては予想していたものだった。

自分の居た世界に帰ることを放棄してまでファランドール残留を決意した理由。その一つはル=キリアと行動を共にするエルネスティーネの存在なのであろう、と。

だがアプリリアージェがエイルの申し出を受け入れる為には一つ大きな問題があった。

「賢者ではなく、ルーナーでもないただのエイル・エイミイがネスティを守れると?」

アプリリアージェはエイルからその申し出があった場合に問うべき言葉も既に用意してあったのだ。

もちろんそれは一つの部隊を預かる立場として当然の問いと言えるだろう。

その、当然ではあるが厳しい問いかけにエイルは思わず唇を嚙んだ。

アプリリアージェが言うようにエルデが離れた今、エイルはルーンが使えない。ルーナーではない、ただのエイル・エイミイだ。剣が使えるだけで、フェアリーでもない。

だがその事はエイルとしてもすでに理解していたことだった。彼はアプリリアージェにそう問われた時の言葉を彼になり用意していた。

「剣士エイルとしてでは……駄目ですか?」

そしてエイルのその答えまではアプリリアージェの予想通りであった。

「そうですね。難しい問題なので少し考えさせて下さい。それでいいですか?」

「はい」

「賢者ヴァイスはもう身の処し方を決めているのですか?このまま正教会に戻られますか?」

エルデはアプリリアージェの言葉に再びうつむいた。

「それは……でけへん」

「――事情がありそうですね。お聞きしてもいいですか?」

「それは……」

エルデはうつむいて迷った様子を見せたが、マントの前をかき合わせると立ち上がった。

「どちらにしろ話は長くなるから、とりあえずここを出ることにしよ」

エルデの提案にアプリリアージェがすかさず賛成した。

あれから現世(うつしよ)でどれくらい時間が経ったのかがわからない。どちらにせよエルネスティーネやティアナが心配しているのは間違いない。だから、出来るだけ早く戻った方がいい。

そう、彼女の本能が告げていた。



「ウチは、名前を明かしたとたん、正教会からも新教会からも追われる立場になる。師匠はウチの名前を隠すためにウチを逃がした。それだけやない。ウチの『授名の儀』に立ち会ったばかりにその名を知ってもうた賢者を数人、その場で手に掛けたんや」

エルデの先導で、倉庫、いや『時のゆりかご』の中を一行は歩いていた。エルデはその道すがら、ぽつぽつと今まで一切口にする事がなかった自らの事を話し始めていた。

「大賢者があなたを教会から……逃がした?」

「大賢者が賢者を、殺したって?」

アプリリアージェとエイルの両方の問いに、エルデはうなずいた。

「ウチを教会から逃がす。それだけの為に師匠は命を落としたんや」

そう言ったあとエルデはうつむいた。

「命を……落とした?」

「さっきあそこに居たのは賢者ザルカバードだったじゃないか?」

ファルケンハインが思わず声を出した。

「うん」

力のない声でそう答えると、エルデはすこし間を置いて続けた。

「ラウに話を聞いたからうすうす感じてたんやけど、あれはエーテル体。精霊が作る力に人間の精神や意志を封じ込めて実体化させる事ができる特殊な術や。ウチも始めて見たから、生きてるものやと信じてたわ。あの姿はたぶんこの『時のゆりかご』でのみ維持できる姿と言いかえた方がわかりやすいかもしれんな。おそらくは三聖蒼穹の台ことイオス・オシュティーフェがやった事やろうと思う」

「なぜそう言うことに?」

「だから言うてるやん?ウチの名前が原因や」

「名前?先ほど呼ぶなと言った《白き翼》という名前ですか?」

エルデはアプリリアージェの問いにうなずくと、歩みを止めて一行を振り向いた。

「もういっぺん言うとく。現世(うつしよ)に戻ったら二度とその名を口にしたらあかん」

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