第二十話 疑問 2/4

 本文は見てはいないが聞かされた内容がどうであったか、記されていた庵の場所、国王の命でシルフィードでも選りすぐりのフェアリーの小隊が各庵に向かった事。しかし庵付近から死体で発見された事。自分たちもその小隊の一つである事。そこへ向かう途中でエルデ一行に偶然出会い、事なきを得た経緯。何より賢者シグ・ザルカバードに会いたいが為にエルデと一緒にここにやってきたことなどである。

 シグの要望通り簡潔ではあったが、要点を押さえて時系列に沿った内容で、きわめてわかりやすい説明になっていた。

 もちろんそれはアプリリアージェの情報処理能力のなせる技、感情を含めない客観性のたまものであった。

 だが、その話の中にはエルネスティーネの名前は挙げられてはいなかった。


 シグはアプリリアージェの話を一切中断させることなく聞いていたが、「以上です」とアプリリアージェが話の終結を告げると、用意していたかのように回答を告げた。

「結論から述べよう。お前も既に認識しているとおり、それは余が認(したた)めたものではない」

 アプリリアージェはうなずいた。

「だがそれ以上の事はわからぬ。余はすで三年以上現世(うつしよ)に下っておらんのだ」

「と、いいますと?」

「そちは聡明な人間のようだ。ならば薄々は感じておろう? この空間は現実の世界とは切り離された場所にある。あの世の一つとでも言えばわかりやすいかの」

「あの世、ですか?」

「そう言うわけだ。ここは現世に対して何も干渉はしておらぬのじゃ」

「なるほど」

「一つ忠告をしておこう。悪いことはいわん。この件には深入りせんほうがいい」

 その言葉を聞くと、アプリリアージェはごくんと唾を飲み込んだ。

「わけをお聞かせ願えませんか?」

「ユグセル将軍……いや提督、じゃったかな」

「はい。我々は海軍籍です」

「たとえそなたが提督だろうと将軍だろうと大元帥だろうと、あるいは国王であったとしても、もはや普通の人間がどうこうできる問題ではないだろうという事じゃ」

 だがアプリリアージェは引き下がらなかった。

「私はその庵といわれる場所に出向いた部下をすべて失いました」

 シグはしかし、アプリリアージェの言葉を遮った。

「この件に拘泥するなら、もっと多くの部下を失うことになろうの。何千倍、何万倍もの、な。そして自らの命も」

「それはどういう……」

「世界は大きく動き出した。しかも動かしているのはもはや人ではない」

「人ではない?」

「この話はここまでだ」

「猊下!」

「もう一度言おう。もはや普通の人間の力が及ぶ事柄ではないのだ」

 最後のシグの台詞は強い調子で放たれた有無を言わせぬ一方的な終結宣言であり、アプリリアージェはその口調からたとえそれ以上食い下がっても良い結果にはならないと判断した。


「では違う質問をします。『合わせ月』とは何でしょうか?」

「それを聞いてどうする?」

「知りたいのです」

「知ってどうする? こちらも普通の人間がかかわる事柄ではない」

「我々は関わっております」

「何だと?」

 シグは目を細めてアプリリアージェをあらためて見つめた。

「なるほど。シルフィードには風のエレメンタルがいらっしゃるのであったな」

 アプリリアージェはうなずいた。

「我らはその露払い」

「露払いだと?」

 大賢者はアプリリアージェの言葉に初めての反応を見せた。

 声を出して笑ったのだ。

「わっはっは。なるほどなるほど」

 アプリリアージェは何も言わず、ただいつものように微笑んでいた。

「あのエルデ・ヴァイスに仲間と呼ばせるだけの器だということか」

「お教えいただけませんか?」

 だが、大賢者は首を横に振った。

「知らぬ方がいいこともある」

「それはあまりに上からの物言いというものではありませんか」

 表情は穏やかだったが、アプリリアージェの口調には厳しいものが微妙に含まれていた。それはエイルにも、ファルケンハインにも感じることが出来るほどであった。もちろんシグに向けた「ただ言いなりになっておとなしく引き下がる人間ではない」という意思表示に他ならない。


 シグはそのあからさまなけん制を含んだ言葉を受けて、少し間を置いた。

 大賢者という立場であれば各国の情勢にも長けていてなんら不思議はない。シグももちろんシルフィードの秘密部隊の名は知っていたし、その司令官についての一通りの知識は持っていた。だが一般の知識とマーリン正教会の最高幹部が知る事実とは多くの点で違いがあった。つまり、普通の人間とは違う視点、価値観で彼らを観察することがシグには出来たという事は特記しておかねばならないだろう。

 シグはル=キリアの「噂」ではなくル=キリアが行ってきた「事実」を組織独自の情報網で「得て」いたのである。


「ふん。それにしても『白面の悪魔』とは随分な通り名をつけられたものじゃな、アプリリアージェ・ユグセル提督」

「軍人としては名誉なことだと思っていますし、実は結構気に入っているのです。が……」

「が?」

「訳あってその名前はもう返上しました。今は味方に付けてもらった通り名の方が気に入っております」

 シグはアプリリアージェのその言葉を聞いてニヤリとした。

「『笑う死に神』か。確かにそちらの方が多少なりとも気が利いておるな」

 アプリリアージェはシグの態度の変化を見て内心ホッとしていた。

 相手は普通の人間の価値観などとは全く違った地平に立つマーリン正教会の黒幕の一人である。気に障ったというだけで首を落とされてもおかしくはないだろう。勿論そうなったら精一杯の抵抗はするつもりだが、そもそも抵抗できる余裕があるのかすらわからない。おそらくフェアリー一人ごときでは蚊が刺すほどの痛みすら与えられないであろう。だが一寸の虫にも五分の魂があることは彼女の尊厳の問題として言っておきたかったのだ。彼女の中に流れる血もまた紛う方なきアルヴ系のものだということであろう。


「取るに足らぬ路傍の石には何も話すことはないという態度だと思われたのならばそれはそれで仕方あるまい。賢者とは元来そういうものじゃからな」

 アプリリアージェは微笑んだまま何も答えなかった。そのアプリリアージェの態度を見てシグは言葉を続けた。

「だが今、余は提督を友人として認めたからこそ警句を告げたまでじゃ」

 アプリリアージェは微笑んだまま少し目を伏せた。

「その気になればそなたらの別の友人が語るやもしれぬ」

 アプリリアージェは顔を上げた。

賢者白き翼は全てを知っていると言うのですか?」

 だがシグは首を横に振った。

「その名を軽々しく口にしてはならん。本当に命を落とすぞ」


(まただ)

 エイルは唇を嚙んだ。

《白き翼》という名前が一体どんな意味を持っているというのだろうか? 

 エイルは全ての謎はそこに収れんされるような予感がしていた。


 おそらく同じ事をアプリリアージェも考えていたのだろう。

「では言い換えましょう。賢者エルデ・ヴァイスはそのことを知っているのですか?」

「今はまだ全てをご存じというわけではないであろうが、いずれ知ることになろう」

 アプリリアージェの眉がピクリと動いた。

 もちろん、師が弟子に対してまたもや敬語を使ったからである。

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