第二十話 疑問 3/4
「『ご存じない』ですか?」
アプリリアージェは新たな質問を投げかけた。
勿論、その意図は《真赭の頤》にも伝わった。
「ふむ……。余はあの方の師であると同時に僕(しもべ)でもある」
「しもべ?」
「遠い昔から我らの家系はそういう関係なのじゃ。そち達が気難しい我が主の機嫌を損ねなければいずれ詳細を知る機会もあるじゃろう」
アプリリアージェは小さくため息をついた。
「主に関係する事を臣下が口にすることは出来ない、ということですね」
「それほど大層な事ではない。むしろ我が主は余の口から語らせようとしているようなのでな。だからこれは余のちょっとした抵抗というか嫌がらせじゃ」
「は?」
アプリリアージェは思わず聞き返した。
「主への、ですか?」
「そうじゃな。では嫌がらせついでにそなた達にもちょっとした嫌がらせをしておこうかの」
そう言うとシグは持っていた精杖の頭をアプリリアージェに向けた。
それを見たファルケンハインの対応は早かった。エイルが瞬きをする間に大賢者と対峙するアプリリアージェの間に割って入ると、自らの体を楯にすべく、両手を広げて見せた。
ファルケンハインのその様子を見て《真赭の頤》は笑いを堪(こら)えるような表情を見せた。
ファルケンハインとアプリリアージェは顔を見合わせた。
「わっはっは。余の嫌がらせは成功じゃ。思った通りの反応で、愉快じゃのう」
そう言って笑うシグをアプリリアージェは不思議な感覚で眺めていた。
「笑う大賢者」というものを想像もしていなかったのだ。そのあまりの緊張感のない様子に毒気を抜かれた気分だった。同時に自分達が置かれている状況に対する危機感が喪失していくのを感じていた。
「いやいや。前振りだけで満足するところであった。さて、余の嫌がらせは今からそち達に贈る言葉じゃ」
シグは精杖を静かに下げるとそう言って一同の顔をゆっくりと見渡した。
「言葉?」
「『人として生きよ。しからずんば滅びの道を』」
「マーリン正教会の聖典にある一節ですね。確か第三聖典『プレザン』の中にある……」
アプリリアージェがつぶやいた。
「ほう」
シグは正解が返ってくるとは思わなかったのだろう。意外だという顔でアプリリアージェを見た。
「その様子だともちろん『アヴニル』も知っておろうな?」
「存じております、猊下」
マーリン教にはいわゆる教書として三つの聖典がある。それぞれ「パサト」「プレザン」「アヴニル」と呼ばれている。『アヴニル』とは第三聖典である。
「その内容に余がいま言った言葉の鍵がある」
「『プレザン』に、ではなく?」
シグはうなずいた。
「それからもう一言だけ言っておく。これは警告ではなく情報じゃ。マーリン正教会とは、実はエレメンタルを滅する為に遠い昔より存在している組織だと認識せよ」
「なんですって?」
さすがにその言葉にはアプリリアージェも動揺して、反射的にそう言葉が口を出てしまった。
勿論、ファルケンハインにも、そしてエイルにさえも大きな動揺が走った。
シグの一言はそれほどまでに意外で、言ってみればファランドールの現世界観を覆すような発言と言ってよかった。
「エレメンタルを滅する……そうおっしゃいましたか?」
アプリリアージェの問いには応えず、《真赭の頤》は視線を自ら握った精杖に注いだ。
「そして新教会はある意味真逆にある存在と言える。エレメンタルを信奉する為に……いやむしろ、マーリン正教会から保護する為に生まれたような組織じゃ。もっとも今は舵が壊れて暴走しているようだがの」
そこまで言うと少し間を空け、今度は言葉を選ぶようにゆっくりと続けた。
「シルフィード王家は過去の経緯でそれを知っているはずなのだが、その方の様子を見ると王国軍の中将という立場にあってもまだそのあたりは聞かされておらぬということだな」
「恥ずかしながら、今、私はいささか混乱しているようです」
アプリリアージェは軽い価値観の崩壊に襲われていた。
だが、持っている情報とシグの言葉との間に、実はまったく相容れない溝が在るわけではないことに、アプリリアージェは気付いた。
果たして口にしてもいい物かどうかの判断に苦しみ、しばし逡巡したが、アプリリアージェは既知の事実だと判断して、尋ねることにした。この場では沈黙よりも疑問をぶつける事の方が正しい行為だと思われたからだ。
「アプサラス三世が崩御された今、その情報の継承はどうなるのでしょうか?」
「なんだと?」
シグの表情がこわばった。
「今、何と申した?」
アプリリアージェの予想通り、外界と隔絶しているというシグは、この重大な事件の事を知らなかった。
「ご存じありませんでしたか?」
「いつの話だ?」
「我らも情報として得たばかりですが、つい先日の事と聞き及んでおります」
「ふむ」
「病死、と」
シグはアプリリアージェのその説明には何も答えず、眼を閉じてしばらくの間沈黙を守っていた。とは言え誰かが焦(じ)れて口を開く前に、大賢者の沈黙は自らの口で破られることになった。そしてそれはアプリリアージェの質問に対する真っ直ぐな回答であった。
「シルフィードの王が知るべき事柄は、『ある物』に封印されて守られておる。新しい王が正式に戴冠された際に、その『ある物』にかけられたルーンが発動し、その内容を認識する事になっているはずじゃ」
「ある物?」
「それを知るのは現王のみじゃろう。戴冠は終わっておるのじゃな?」
「王が誕生した際に宮中の主立った者の立ち会いにより滞りなく王位は継承されたと聞き及んでおります」
「ふむ。ではすでにエルネスティーネ様はその事をご存じであろう。そうじゃ、もちろんエルネスティーネ様はご健在なのであろうな?」
「――はい」
「ふむ。シルフィードは若い女王の下でこの難しい時代をゆくか」
アプリリアージェはシグの話で、いくつかの謎が一つの糸で繫がった事を確信していた。
「この事を知っているのは、シルフィードの上層部には多いとお思いですか?」
その問いにシグは首を横に振った。
「そこまで余は知るよしもない。少なくとも中将では教えてもらえぬ事のようじゃな。だが、この話はここまでじゃ」
アプリリアージェはシグのその言葉で、満足な答えを得たと思った。それにより深い緑色の瞳に一瞬暗い影がさしたが、すぐにもとの微笑を浮かべた。
「別の質問をします。猊下あるいはマーリン正教会……いえ賢者会と言った方がいいのかも知れませんが……『大地のエレメンタル』の所在はご存じでしょうか?」
シグはアプリリアージェのこの問いには、怪訝な顔をした。
「その問いかけの意味は深いぞ。なぜなら水のエレメンタルの所在をお主達は既に摑んでいるという事になる。さらに炎のエレメンタルの件すら知っていると申すか?」
アプリリアージェは素直にうなずいた。
「我らと同道していた賢者エルデ・ヴァイスもご存じでしょう」
「なるほど。それは驚きじゃな」
エイルはそのやりとりを聞くと何かを言いかけたが、右手の甲を左手で隠すようにすると、喉元まで出かかっていた言葉を飲み込んだ。
幸い彼のその様子は誰の目にもとまらなかった。その場で意識のあるもう一人の人間、つまりファルケンハインはアプリリアージェとシグの会話に意識を集中させていたからである。
シグはアプリリアージェの言葉を聞くと小さくため息をついた。
「おそらく今現在、マーリン正教会、新教会ともにシルフィードの女王であらせられる風のエレメンタルを除く三人の所在は摑んではおらぬだろう。中でも大地のエレメンタルはその存在自体がまだ確認されておらん」
アプリリアージェはうなずいた。
「炎のエレメンタルの件は残念です」
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