第二十話 疑問 1/4

「エイル君……」

 どうするつもり? 

 そう声をかけようとしたアプリリアージェはしかし、口をつぐんだ。エイルはアプリリアージェの方は全く意に介さず、そのまま小走りにエルデの方へ駆け寄っていた。

「愚か者同士……という事か」

《真赭の頤(まそほのおとがい)》ことシグ・ザルカバードはそんなエイルの姿を見てそうつぶやいたが、その声は極めて穏やかなものだった。

「もう手遅れだが一応言っておく。エルデ・ヴァイスはお前のことを案じて憑依呪法を解いたのだぞ」

「わかってる」

「フォウに戻ってほしいと思っての事なのだぞ」

「わかっている」

「いや、お前はわかってはおらん」

「どのみち、憑依呪法を解かなければ、エルデも元の体に戻れなかったんだろ?」

 だが、シグは大きく首を横に振った。

「やはり貴様は何もわかっておらんな。憑依呪法とは本来解けるものではないのだ」

「どういう意味です?」

 大賢者はため息をつくと視線をエイルからエルデに移した。

「そのエルデ・ヴァイスの体は、ある場所で本人が捨てたものなのだ。放置されてぼろぼろになっていたものを余が回収してこの『時のゆりかご』で修復・安置していたものだ。エルデ・ヴァイスの魂を戻す入れ物として保管していたわけではない」

「え?」

「わからんか? お前にあの憑依呪法を使った者が自らの肉体を再利用するなど、本来ありえないのだ」

 エイルはこの大柄な禿頭のアルヴが一体何の話をしているのかわからなかった。

 いや、話の意味を摑みかねていた。

「戻るべき肉体ではないだって?」

 エイルは不安になって横たわり眠り続けるエルデの小さな顔に自分の耳を近づけてみた。

 少女はすーすーという規則正しい寝息をたてていた。上下する胸が呼吸の存在を証明していた。

 生きている。

 そして、さっきはちゃんとしゃべった。

 戻っているのだ。

「戻っているんでしょう?」

「……」

「エルデは、いつ目覚めるんです? 元の体に戻ったんじゃ?」


 一連のやりとりを見つめていたアプリリアージェは機会をはかっていたかのように、そこで鋭く声をかけた。

「恐れながら大賢者真赭の頤に伺いたい事がございます」

 その声に、今その存在をようやく認識したといった風情でシグが反応してアプリリアージェの方を見やった。

「おお、すまんな。そち達の事を忘れておった。エルデ・ヴァイスの仲間達よ」

 シグはあらためてアプリリアージェの方を向くと、両腕を体から少し開いて歓迎の意を表してみせた。もちろんその動作で一行がようやく少しホッとした気分になったのは言うまでもない。

「その瞳髪黒色の少女が目覚めるまでの時間をお借りして、よろしければ我々の質問にいくつかお答え願えませんか? 猊下」

 アプリリアージェははじめにエイルにチラと視線を走らせた後、大賢者に向き直りシルフィード海軍式の最敬礼をおこなってそう言った。

「よろしい。余が答えられる事は答えよう。我が弟子が信頼し、ここまでたどり着いた者への、それが当然の礼儀であろう。ただ、残念ながら残された時間はそれほどないがな」

 シグはそう言ってうなずくと手に持った精杖に寄りかかるように立った。


 エイルは静かに寝息をたてるエルデとアプリリアージェ達とを見比べていた。

 ファランドールに残る事は決めた。

 だがまだ混乱して頭の中が整理できていなかった。

 その整理の為にも、エイルとしてはアプリリアージェのシグへの質問はある意味ありがたいものだった。自分よりもより的確な質問と分析をしてくれるに違いない、そう確信していた。

 なぜこの少女がエルデ・ヴァイスなのか? 

 いや、それはいい。

 それよりもなぜこの少女の姿を実際は存在してもいない妹だと思いこんでいたのか? マーヤという名前で。

 それに……そうだ。なぜエルデは自分が女だと言わなかったのか。

 ずっと男言葉で話していたのはなぜだ? 

 それらの疑問は、もちろんエルデ本人に聞くのが一番いい。だが、まだ黒髪の少女はその瞼を再び開ける様子がない。

 そして今度はまた自分の右手の甲に視線を落とした。先ほどからエイルが気にしているそこには、彼の知らない痣が浮かび上がっていた。それは彼のものではない。少なくとも初めて見るものだった。

(そして、これが最大の問題だ)


 アプリリアージェはしかし、まずは極めて実務的な質問をした。

「我々はこの後どうなるのでしょう?」

 アプリリアージェの一番目の質問は、ファルケンハインにとって最も興味のある話題であったが、それはもちろんエイルの求めていたものではなかった。

 だが、エイルはそれでも黙って聞いていた。

 アプリリアージェのこの問いに、シグは即答した。

「好きにするが良い」

「と、申しますと? 来た場所へ出る通路があるのでしょうか? 往路の状況を考えると我々が単独で出られるとは思えないのですが」

 だが、それにはシグは首を横に振って見せた。

「悪いがそなた達に帰路を示す事は余にはもはや無理だ。帰り道はそこの小さな黒髪の賢者に尋ねるがよい」

 シグのその答えにアプリリアージェは返答しなかった。言葉の真意をはかりかねていたのだ。

 エルデでないと出られないのであろうか? 

 であれば《真赭の頤》はなぜここに出入りできるのか? 

 もしや《真赭の頤》が可能なのは特定の場所との行き来だけなのか? しかも転移は本人のみ。

 特定の結界を張った空間に転移できるルーンがあることは《蒼穹の台》の例でアプリリアージェも実際に見て知っていた。

 さらにジャミールで「龍の檻」を操るルーンの存在も知っていた。

 エルデであれば外界に通じる通路を知っているということなのだろうか? 

 ひょっとするとエルデが精杖に持つ「宝鍵」の力とはそういうものなのか? 


 そこまで考えるとアプリリアージェは次の質問に移った。

「その点は我らには不明瞭ながら、結果自体は保証されているようなので一応安心しました。では次の質問です。ご存じならお答え下さい。我らがシルフィード国王アプサラス三世宛に大賢者真赭の頤の名による密書が届きました。そこには複数の庵の場所が記されており、エレメンタルに会いたくば記した庵に来い、という旨の内容がしたためられていた由。猊下の手によるものに間違いございませんか?」

 シグはアプリリアージェの言ったことを咀嚼しているのか、しばらく返答に間をおいた。

「詳しく話を聞こう。だが簡潔に、な」

 アプリリアージェは心得た、という風にうなずいた。だが、アプリリアージェの問いの答えはその時点で出たと言えた。シグがそんな質問をして来るという事は、密書は彼の手によるものではないという証明であろう。

 彼女は国王宛に届けられたシグ・ザルカバード署名の怪しい文書について自らが知る限りの内容をシグに伝えた。隠す必要を認めなかったのだ。

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