第十七話 セッカ・リ=ルッカ 4/4

 ニームはいつの間にかセッカの話に聞き入っていた。

「しかし、お前ならそんな無防備な状態のミリア・ペトルウシュカを仕留めるくらいは朝飯前ではないのか?」

「俺もそう思ったんだけどね」

 セッカはそう言うとこれ見よがしに大きなため息をついてみせた。

「最初に言った通り、そいつは無理だ。あの男は俺が普通の存在じゃないって事を気づいていた。いや、証拠などはないんだが。でも確信はある。間違い無いよ。あんな居酒屋の雑踏の中で、あまつさえしこたま酒を飲んでふらふらなのに、俺だけを特定して視線を合わせると意味ありげに笑うんだぜ。それも素面の目で、だよ。俺とした事が、あれには心底からぞっとした」

「ふ。《月白の森羅(げっぱくのしんら)》などとたいそうな名を持つ賢者がただのフェアリーごときにうろたえるとはな」

「まあ、それでも俺はたいそうな名前を持つ大賢者と違って『ひっ!』なんて声は上げないけどね」

「やかましい! そこで三つ数えろ! 数え終わる頃にはこの建物もろとも粉塵に変えてやる」

「とにかくそう言うわけさ。ミリア・ペトルウシュカ公爵は曲者だ。まっすぐな気質の弟とは全く異質な人間だという事は間違いない。エスカに肩入れしてあのミリアという男と戦うつもりでいるなら、簡単な敵だなどと思わず、心してかかった方がいいよ。そうだね、シルフィードのバード長あたりと戦う心づもりで丁度いいんじゃないか」

「何を惚けた事を。こちらはすでに戦争規模の行動に出ようとしているのに、軍隊も持たぬ一人の人間に何が出来る?」

「さあ、それはどうかな」

「だがまあ、その助言は忠告として胸に刻んでおこう」

「勝手にするさ。それから、これは別件だ。正教会(なか)で妙な噂を耳にした」

「聞こう」

「《蒼穹の台(そうきゅうのうてな)》が前座に存在していないらしい」

「何?」

「《蒼穹の台》の守護、大賢者菊塵の壕(きくじんのほり)が必死に隠しているようだが、俺が調べた限りでも前座に人がいる気配がないのは確かだ」

「お前の事だから裏はとったのだろう? 噂などどうでもいい。それを聞かせろ」

「まあ、急かすな。どうやらシルフィードの王宮内で客死したようだ」

「なんだと?」

 ニームは姿は見えないとわかっていても、声のする天井に顔を向け、一点をにらみつけた。

「という、噂もある」

「三聖が? ばかばかしい。あり得ない」

「そうかなあ? 三聖と言えど、死ぬ事はある」

「いや!」

 ニームはセッカの言葉を遮るように強い調子で怒鳴った。

「三聖がたやすく死んでたまるものか!」

 天井を睨み付けるニームの両の拳は、端から見ても痛いほどに強く握りこまれていた。

 セッカはわざわざニームに聞こえるように大きなため息をついてみせると、興奮気味のニームに言い聞かせるような調子でつぶやいた。

「お前がそう思う気持ちはわかる。だがあまり興奮するな」

「興奮などしていない」

「忘れたのか? 《蒼穹の台》が死んだと言われる場所には《深紅の綺羅》が居るんだぞ」

「何が言いたい?」

「あり得ない話ではないって事さ。あとはお前の想像に任せる」

「三聖同士が? 何のために?」

「さあね。だけどもう一つ忠告しておく。お前は人としては類い希な存在と言っていいほどに優秀だ。だけど今の状況を客観的に見てもわかるだろう?動揺の制御がまだまだだよ。普通の大人にも劣る。マーリンの座に賭けてもいい。それはいつか大きな弱点になるね。下手をすると大事な場面で取り返しの付かない事をしでかすぞ」

「余計な世話だ」

「余計なお世話なもんか。お前はこちらの思惑通りにちゃんと『性能』を発揮してもらわなきゃ困るんだ。何度も言ってるだろ、一蓮托生ってやつさ」

「一蓮托生などと口にするのは、お前の黒幕の正体を明かしてからだ」

「そいつは出来ない相談だね。言っているだろ、時が来ればわかるって」

「もういい。この話題は時間の無駄だったな」

「まあ、お前のその弱点についちゃ、エスカ・ペトルウシュカに期待しておくよ」

「どういう意味だ?」

「さあね。ただ、凶と出る可能性もあるからね。両刃の剣というやつだ。もちろん、吉と出る事を俺は願ってるよ」

「話はそれだけか?」

「今のところはね。エッダに行くのならとりあえず《蒼穹の台》の件は頭の隅に入れておくんだね。たとえ噂だとしても、物事には意味がある。ましてや三聖の存在を知っている人間からしか出ない噂だという事を忘れるな」

「一応心に留めておこう」

「素直でよろしい。それより」

「何だ?」

「下ばき、早く履いた方がいいんじゃないか? 風邪をひくぞ。お前の部下は二人ともエクセラーで、治癒能力は持っていないんだろ」

 ニームは上着を羽織った後、ボタンをかける手を止めたままで、まだ下履きすら履いていない状態でセッカとの話に熱中していたのだ。

「い、いらぬお世話だ!」

 慌てて棚からひったくるように下履きを摑むと、上着と同じ白いそれに乱暴に足を通した。そしてややダブつく裾を整えた後で鏡を見て、細かい部分を点検した。

「さっきはああいったが」

 セッカがそんなニームに声をかけた。

「噓だろ?」

「何の話だ?」

「その服、寸法なんて計ってないだろう? どう見たってぶかぶかじゃないか」

 セッカの指摘はまさに常識的な価値観に照らして正しい指摘だった。

 ニームが着用した「ちゃんと採寸した」特務佐官用の白い軍服は、どう見ても一回り大きいようで、特に上着の肩は落ち、手を下げると袖は指先すら完全に覆うほどであった。

 下履きはもともとゆったりとして足首を紐で締めるような作りになっているため、少々大きくても調整はできたが、体に合わない上着はさすがに借り物のようでみっともない事この上なかった。

「お前、少なくとも軍服を作る人間には歓迎されていないようだな」

「そもそも高級軍人の側女(そばめ)風情のくせにバードというだけで将校待遇だというのが気に入らないのだろうな。狭量な人間がそう思うのは自然なことだ。だがこの程度は何の問題もない。私を誰だと思っている?」

 ニームは憤然とそう言い放つと、右手を横に伸ばして精杖を取り出した。

「セ=レステ」

 そして少しの間何事かをつぶやくと、軍服に変化が起きた。ぶかぶかだった服が、一瞬で縮んだのだ。

「せっかくだ。ついでに『不滅』も施しておくとするか」

 ニームはそう言うともう一種類のルーンを唱え、事が終わると姿見の前で一回りして全体を確認した。

「これでよし」

「『不滅』か。とんでもないルーンだな。さすがは《天色の槢》を継ぐ者。あっぱれな能力と言いたいところだけど」

「何だ?」

「才能の無駄遣い、という言葉を知っているか?」

「どうせこのルーンは私には一日に一度くらいしか使えん、たいして役にも立たぬルーンだ」

「だが、先代の《天色》でも使えなかったほどのルーンだぞ」

「先代の事など私は知らぬ。実の姉とは言え、一度も会ったことがないのだからな」

「あはは。まあいい。じゃあ、今日のところはこれで引き上げるさ」

「ふん。まあお前も次に会うまで達者でいろ」

「あ、言い忘れた。言っておくけど俺はペトルウシュカ男爵の閨(ねや)には一切入らないよ。マーリンの座じゃなくて今度は《月白の森羅》の名にかけて誓おう。大賢者ともあろうお前のふやけた顔なんかとてもじゃないけど見たくもないからね」

「な、何を言っている?」

「伝えたぞ。じゃあ」

「待て、セッカ!今のはどういう意味だ!」

 しかし、うろたえたニームの声はがらんとした部屋にむなしく響いただけだった。彼女以外の人の気配は、既にその部屋から消えていた。

 しばらく待ってもセッカの気配が戻らないのを確認すると、ニームは姿見の中の自分の顔を見た。

 そこには頬が少し赤くなっている焦げ茶色の髪の小柄な少女がいた。

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