第十七話 セッカ・リ=ルッカ 3/4
「セッカ・リ=ルッカ!」
そう呼ぶニームの声にはあからさまに怒気が込められていた。
「覗きとは、相変わらず悪趣味にも程がある」
「ご挨拶だな。いつも通り俺は気配は消さずにやって来たんだぞ? なのに服を脱いだままあられもない格好でぼんやり鏡を眺めてたのはそっちだろ?うっとりする程自分の裸がお気に入りなのか」
「黙れ、この下衆(げす)。この間は風呂場に現れたではないか。狙っているとしか思えん」
「やれやれ、言っておくが俺はお前の都合なんてどうでもいい。あるのはこっちの都合だけだ。ああ、でもそうだな。そっちも言い分もわからないではない。だから先に言っておく」
「なんだ?」
「今度は便所に現れるかもしれない」
「な、なんだと?」
「それからこれは重要な事だけどさ」
「何なのだ?」
「俺、お前の体には全然興味ないからね」
「べ、別に私の体は貧弱ではないはずだぞ。確かに背は低いが、それ以外は普通より育ちがいい……はずだ」
ニームがそう言うと、セッカと呼ばれた声はため息をついた。
「いや、そうかもしれないけど、俺はそう言う事を言ってるんじゃないよ」
「では何の話だ。さっさと用件を言え!」
「そうムキになるなよ。大賢者ともあろう存在が、こんなつまらないからかいに全力で憤慨してる図なんて、賢者会の連中が見たらどう思うかね?」
「賢者会にどう思われようがかまいはせぬ。それより何の用なのだ?」
ニームは相手が誰かを特定できた事でひとまずは動悸が収まった。だが、セッカ・リ=ルッカの気配を察知できなかった事が不覚だった。
「彼」……いや、一人称は「俺」ではあるが、実際のところ彼か彼女かすらわからない。声が人工的なのだ。女の裸に興味がないとすると女である可能性も捨てきれない……の言うとおり、いつものように不意に現れただけなのだろう。そしていつもなら、現れる前に気配でそれと知れるはずだったのだ。
ニームは意を決したように立ち上がると、胸を隠していた手を伸ばし、クロゼットの中に畳んでおかれている白い服に手を伸ばした。
それはバードの執務服でも、祭礼服でもなく、佐官用の軍服だった。胸章で大佐である事がわかる。
その厚手の軍服に袖を通しながら、ニームは努めて冷静な調子で頭上の存在に声をかけた。恥ずかしそうな態度を見せる事は、ニームには屈辱だと思われた。それは相手を強く意識する事と同じだからである。相手の事など意に介さないという態度をとる事が、ニームの精一杯の意地であった。だからできるだけ堂々と着替えを続ける事にした。
「私も暇ではない。お前にしても年頃の娘の裸をのぞきに来たわけではないのだろう?」
「ご挨拶だな。お前に頼まれてた例の件の報告に来たんだよ」
「ああ……そうだったか」
「『ああ』じゃないよ。でも、あれだ。ただもんじゃないね、あいつ。俺でも近づけないよ」
「ほう」
セッカの報告に、焦りながらボタンをかけていたニームの手が止まった。
「それに屋敷の地下に妙な部屋があって、この俺ですらその中に入り込めない。そこの中に籠もられたら一切感知不能になる。あれはまるで」
「まるで?」
「エーテルの障壁だな」
「ふむ。興味深い情報だが、どちらにしろお前が手も足も出ないというのは痛快だな」
「それ、ドライアドの佐官用の服か?」
セッカは脈絡なく話題を変えた。
「いつもと同じ白だからわからなかったよ」
「白はバード庁所属である事を表すそうだ。要するに大佐や中佐と言っても実際の軍隊では客扱いで明確に区別されるという事だな。そんな事より前線でこんな服を着ていたら、ルーナーである事を敵にわざわざ教えて的にされるだけではないのか。全くドライアドの軍服は機能性という言葉とは最も遠くに位置していると言わざるをえんな」
「あははは。違いないね。ドライアドは陸軍は黄色と黒だし、将軍の軍服なんて真っ赤だしねえ。それにしても、お前のその軍服姿には感心したよ」
「ふん、柄にもない。世辞などよせ」
「いや、勘違いするな。よくそんな小さな佐官服があったな?」
「これはきっちり採寸した専用品だ!」
「ああ、なるほど。合う寸法の服が無かったって事だな」
「お前は私を怒らせに来たのか、報告を持ってきたのか、どっちだ?」
「いや、そう興奮しなさんな。要するに『バカ殿』なんて冗談も休み休み言えって感じだね。世間の噂なんて噓っぱちだって事だ。油断するなよ」
「そうか。ただのバカではないだろうと思ってはいたが、単純な方法では排除は難しいということだな。まあ、その辺は実の弟が一番わかっているだろう」
「俺が気をつけろと言ったのはそう言う意味じゃないんだけどね」
「ではどういう意味だ?」
「ぼやぼやしてると逆に足下をすくわれるぞって事だよ。お前達がやろうとしている事なんか、おそらくあいつは先刻承知だろうさ。それに暗殺なんて正攻法もまず無理だな。正体不明の護衛が四人いるようなんだが、全員が相当なエーテルを纏ってる強力なフェアリーなんだ。しかもその道の専門のようだよ」
「その道?」
「人殺し」
「……」
「まあ、もっとも噂通りの『バカ殿』ぶりもあながち噓じゃないけどね。鉱山町の居酒屋で繰り広げられた裸踊り大会は見物(みもの)だったねえ。またそれが、あいつ、上手いのなんの。その後、抗夫連中と大いびきをかきながら床でぐっすりご就寝。で、朝になってもなかなか起き出さないもんだから、店の女将さんに蹴り起こされてたよ」
「その手の噂話はよく聞くが、それだけなら憎めないただの愚者なのだがな」
「憎めないかどうかは別にして、事実、領民の人気はたいしたもんだよ。娼館の前を通ろうものなら、綺麗どころが自分の客を放り出してまで現れて拉致合戦が勃発する程だからね」
「そちらの人気か。兄弟揃って娼館通いが趣味とはな。まあ、腐っているとは言えエスタリアの領主だ。傾いたとは言え小金はいくらでも持っていよう」
「いや、それがさ」
「ん?」
「ヤツは居酒屋じゃ、抗夫に奢ってもらっていた」
「はあ?」
「娼館でも『持ち合わせが無いからまた今度』と言って断ろうとする公爵に女共が言うには『殿様からお金をとる娼館なんて、このエスタリアにはありゃしませんよ』だそうだ」
「公爵ともあろう者が領民にたかっていると言うのか?」
「いや、本人には払う意志は大ありのようだがな。居酒屋でも公爵が金を払おうとしたら、抗夫や店の主人に本気で怒鳴られていた」
「ふむ。どうせ後で始末をしに来る者がいるのだろう」
「俺もそう思ったから、居合わせた店の常連にそれとなく聞いてみたら、『殿様が居るってだけで普段の十倍も人が集まってきて店は大もうけなのに、そんなありがたい人からお代をいただいちゃ、ご先祖様に申し開きが立たねえだろ?』だとさ」
「本当の話か?」
「俺もはじめは疑ったけどね。しかしそう言われてみればあまり一つの店に長居はしないし、何件もハシゴしてたのも、バカ殿はその辺、つまり集客を考えてやってるのかもしれないよ」
「ふーむ。そんなおとぎ話の中の登場人物のような領主がこのご時世に本当に居ようとはな」
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