第十六話 リリとジーナ 2/5

「その辺にしておいてやってくれ」というエスカの頼みで、冷やかし大会はようやく終了し、大勢で大テーブルを囲む食事が始まった。

 用意された料理にしても、ニームは好ましいと感じた。贅をこらした晩餐会用のごちそうなどではなく、普段よりも少し豪華、という料理が並んでいた。

 エスタリアで客をもてなす時に用意される、これら少しだけよそ行きの料理達はニームの歓迎の意味はもちろんあるが、エスカの屋敷の使用人達を慰労する意味もあった。「歓迎会」という晴れの行事は倹約を旨とするロンド・キリエンカの指揮の下、普段は贅沢なものをそうそう口に出来ない屋敷の住人達に「それ」を提供する大義名分になるのである。

 エスカにしてみれば、エスタリアの郷土料理を出すことで、ニームに対する歓迎ぶりを表すと共に、エスカの屋敷の人間を自己紹介する意味も含めたのに違いない。


「この米粥の味付けはオレがしたんだぜ」

 自らよそった皿を手渡しながら、エスカは自慢げな顔をしてニームにそう言った。

「食ってみろ。豪華料理じゃねえけど、こっちじゃなかなか食えねえ代物だ。けっこうイケるぜ」

「エスタリアの貴族は男でも料理もするのか?」

「いや、他人の事は知らんが、作った物をうまいって言われるのがうれしくて、つい、な」

「やめて下さいって言ってもきかないんですよ」

 二人の会話に女の老デュナンが割って入った。文句を言う割に、顔は笑顔だ。それがうわべの笑顔でないことは、ニームにもすぐにわかった。その丸い顔は穏やかで、他人を安心させる力を持っているようだった。

「この屋敷の家事全般の指揮を執ってもらってるアンナばあちゃんだ」

 エスカに紹介された『アンナばあちゃん』はにっこり笑ってニームにそのしわだらけの手を差し出した。

 ニームはその手をおっかなびっくりといった体でそっと握りしめた。ニームの小さな手を握り返す老婆の力は予想外に強く、ニームを驚かせた。

「オレの楽しみを奪うんじゃねえよ。って言うか、最近は控えてただろ?」

「まったくね。もう一年ぶりくらいかね、自分で絶対味付けさせろなんて駄々こねたのは」

「一年ぶり? それは本当か、アンナ殿?」

 ニームの問いに、アンナ殿と呼ばれた『アンナばあちゃん』は大きくうなずいた。

「本当ですよ。『今日は絶対オレが味付けをするんだ』ってね。それから『殿』はいらないわよ。アンナでけっこう」

「そうか、わかった。では私もこれからはアンナばあちゃんと呼ばせてもらう。よろしく頼む」

「そう言ってもらえると嬉しいねえ。他人行儀はなしでお願いしますよ。エスカ様があんなにそわそわしてまで歓迎する人ですもの。私こそ、これから末永くよろしくおねがいしますよ」

「そわそわなんてしてねえ!」

「やだよ、この男爵様は。がらにもなく照れてるよ」

「照れてねえっ」

「よっ、この果報者!」

「やかましい!」

 拳を握りしめて抗議をするエスカと、それを見て肩をすくめるアンナの姿を見て、ニームは図らずもクスクスと笑い声を漏らした。

 それを見たアンナはエスカとの言い争いをやめて、目を細めるようにして小さなニームに笑いかけた。

「あらまあ、なんて可愛らしい顔で笑うんでしょうね、このお嬢さんは」

「いい笑顔だろ?」

「おやおや。エスカ様が自慢する事ですか?」

「オレの家族になるには条件があるんだよ。お前も知ってるだろ?」

「はいはい、知ってますとも」

 ニームは尋ねた、条件とはなんだ、と。

 その問いに、エスカとアンナは顔を見合わせるとニームに向き直り、同時に答えた。

「笑顔が似合う人間」


 立食形式で中央のテーブルから思い思いに食事をとる形式で、歓迎会は続いた。

 ニームの前には入れ替わり立ち替わり、順番に屋敷の人間が自己紹介を兼ねて挨拶にやってきた。

 アンナは厨房を取り仕切る役目だった。

 馬と馬車の責任者はピョートルという老デュナンで、エデンと名乗ったアルヴ系の男は営繕担当で、弟のガイルと共に屋敷の維持にはなくてはならない人材だと聞かされた。

 他にも食材の調達係、備品の管理、庭周りの責任者、菜園の経営担当や警護役、屋敷の人間の生活全般を取り仕切るもの、看護役など、ほぼ全ての人間がニームに歓迎の笑顔を向けた。

 ニームはそれぞれの人間が自分の仕事と主に誇りを持っていることにあらためて感心していた。

 だが、ペトルウシュカ男爵屋敷の面々も、ニームにはあらためて驚かされていた。

 二十名程度とは言え、初対面の人間の事をすぐに覚えきれるものではない。だが、それぞれの名前と族名だけでなく、交わした会話の内容などはニームの頭には一字一句漏れずに記憶されているようだった。

 だから二度目にニームと言葉を交わした者は皆、名前だけでなくきちんと自分の事を覚えているこの小さな新しい「家族」に感動して、本当に好きになってしまっていた。

 

 ニームはそんな、楽しい食事の記憶を反すうしているだけではなかった。

 気にかかることがその後にあったのだ。


 歓迎会が済み、自室に引き上げた後、ニームはしばらくの間も気をつけて屋敷近辺の気配を探っていた。

 そういう結界をあらかじめ張っていたのだ。そしてニームはエスカの屋敷では夜が更けても何かしらの人の動きがあることを感知していた。

 ニームの感覚では、それは特に邪気のあるものではなかったので、やがて眠りについた。

 浅い眠りから覚めたのは明け方だった。ニームは感覚を研ぎ澄まして見たが、夜更けに感じていた気配はまだ消えておらず、気になった彼女はその気配を辿って廊下に出ると、中庭に面した窓から下を覗いてみた。

 するとそこには見知ったデュアルの少女とその父親が対峙するかのように立っているのが見えた。さらによく見ると、その少女の後ろには男女合わせて四名のアルヴが旅装束を整えて控えていた。全員が夕べの晩餐会で挨拶を交わした者だった。

 四人に共通するのは、皆警護役であるということだった。

 対峙するのはもちろんスノウとロンドのキリエンカ親子で、まだ明けやらぬ薄暗がりの中、小声で何事か会話をしているところだった。

 ニームにはそれがスノウの旅立ちである事がすぐにわかった。

 スノウ自身も夕べの普段着とは違い、エスタリア風の若い娘らしくやや派手ながら品のいい刺繡が施された旅装束を身に纏っていたのだ。


「《天色の槢》」

 スノウの旅立ちの情景を反すうしながらぼんやりと回廊を歩くニームの後ろから、そう呼びかける声がした。

 スノウは覚醒すると顔を上げて背筋を伸ばし、振り返らずに答えた。

「何だ?」

「いえ、考え事をされているようでしたので、ペトルウシュカ男爵の屋敷で何か不都合でもあったのかと思いまして」

 ニームの後ろには少し離れて二人の影があった。二人ともデュナンで、一人は男、もう一人は女だ。どちらも白い神官の服を着ていることから、その身分がわかる。

 声をかけたのは二人のうち女の方だった。

「考え事、か」


 ニームは確かに考え事をしていた。

 スノウは結局エスカとは会わずに屋敷を出立した。

 ロンドはエスカに挨拶をしてから出発するように説得していたが、スノウは聞き入れなかった。

 拡声ルーンで彼らの会話を聞いたニームは少し迷った末に姿見の前に立ち、その焦げ茶色の髪だけを急いで整えると、夜着のままで門へ駆けつけた。そこでなんとかスノウを見送る事に成功したのだが、その際スノウが残した言葉がずっと引っかかっていたのだ。

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