第十五話 モテアの少女 4/4
スノウ・キリエンカ。
彼女こそご存じ「フォリーム・キノ」の象徴的な存在である「スノウの丘」のスノウその人である。
スノウ・キリエンカがモデルだと言われる肖像画はあまりに多い。
その理由はもちろん、天才画家の側に居た娘だからである。ミリア・ペトルウシュカがスノウのような特長ある容姿をした娘を題材として選ばないはずがない。
とは言えスノウを描いたのはミリアだけではない。彼女の生き様を伝える物語が人々の心を摑む限り、これからもスノウの絵は新しく生み出される事だろう。
スノウは現在でもほとんど見ることのない「モテア」と呼ばれる二色の髪の持ち主であった。彼女が赤毛と金髪の「モテア」であったことは数多くの肖像画や物語に書かれている通りである。
ミリア・ペトルウシュカにして「髪の色としては、漆黒の次に美しい」とまで言わしめたと言われる髪の持ち主がスノウ・キリエンカなのである。
キリエンカ家は既述の通りペトルウシュカ公爵家の古くからの家臣で、当時は「公爵家執事長」という世襲の役職を持つ家柄であった。
スノウ・キリエンカは父ロンドと母セーニャとの間にもうけられた唯一の娘で、フレクト、フェルンを兄に持つ三人兄妹の末っ子であった。
「月の大戦」時、十九歳であったという記録があるので、彼女がニームとミュゼで出会ったのは十八歳ということになる。
キリエンカ家の男は全員執事として何らかの形でペトルウシュカ家に仕える習わしになっていたようだが、女は例外で、比較的幼い頃から主に公爵領の他の有力な家臣筋に仕え、そのまま嫁ぐ事が多かった。これは家臣同士の結びつきを強めるためのキリエンカ家の政略のようなものと言ってよく、しかるにペトルウシュカ家の家臣筋は大なり小なりキリエンカの縁者という事になっていった。
だがスノウは例外で、唯一ミリアのみに仕える事を欲し、他家への奉公を頑として受け入れなかったと言われている。その為、幼い頃からすでに父ロンドの手伝いのような形で公爵家に奉公をしていたようである。
だが、その実態は父の手伝いではなく、もっぱらペトルウシュカ兄弟の身の回りの世話係のような役目にあったという事である。
もっとも幼いスノウが同じく子供であった公爵ミリアに、いったいどれほどの世話が出来たのかははなはだ疑問というしかない。つまりおそらくはミリア達の遊び相手として過ごしていたと見るのが自然であろう。
「しかし、どう見ても三十歳には見えぬな」
ニームはあらためてスノウをまじまじと見つめると、そう言って感心したようにつぶやいた。
さすがにスノウはその言葉には即座に反応した。
「私は三十過ぎではありやせん。タ=タン大佐」
「ありやせん?」
「あ、いえ。ともかくエスカの戯れ言をいちいち信じないで下さい。私はまだ二十歳にもなっていないのです」
「スノウは黙ってろ。いいか、ニーム。お前が二十八歳だって言うなら、スノウは三十過ぎでもおかしくねえって事を言いたかったんだよ。わかったか」
エスカはニームに向かってそう言ったが、当のニームはその言葉には全く反応しなかった。彼女はエスカを見ようともせず、スノウに返答した。
「私の事はニームでかまわぬ。スノウ嬢」
「では私もスノウで結構です。ニームお姉様」
「え?」
エスカは肩をすくめると立ち上がった。
「まあ、好きに呼び合えばいいさ。ちなみにスノウは十八だ。お姉さんはどっちだよ、まったく」
「では私の事もただのニームでいいぞ、スノウ。でもまあ、対外的には時々お姉様と呼んでも問題はない」
ニームはそう言うとスノウの側に近づいた。だが、近づくにつれ歴然とするモテアの少女とのあまりの身長差に顔を少し引きつらせると一歩下がった。その時、不意にニームは後ろから誰かに腰をつかまれ、急に持ち上げられた。
「きゃっ!」
持ち上げたのはエスカだった。
彼は「チビ」のニームを体重など存在しないかのように軽々と持ち上げると、そのまま肩車をした。
「な、何をする!」
ニームは思わず目の前にあるエスカの長い金髪を摑むとそれを引っ張って抗議した。
「ててっ! よせ、チビ。こうしたら近くでもスノウと楽に話せるだろうが」
「そういう事は、まずは本人に了解をとるものだ。びっくりするではないか!」
「バカだな、お前。びっくりさせようとしたんだよ」
ニームはため息をついた。
「三つ数えろ。数え終わった時、この見事な金髪がまだ頭皮にくっついていると思うなよ」
「やなこった。そんな事を言うなら、足の裏をくすぐるぞ?」
「ま、待て。早まるな。足の裏は止めろ!」
「暴れるんじゃねえ。危ねえだろ!」
「足の裏には触らぬか?」
「髪の毛の安全を保証してくれたらな。さもなきゃかじるぞ」
「あ、安心しろ。お前の金髪は私も気に入っている」
「そりゃどうも。俺もお前の足の裏は気に入ったぜ」
「お前という男は全く……」
ニームは観念すると再度ため息をついて、今度はエスカの頭をそっと抱くようにして体を支えた。
エスカには怒りを表したものの、実のところニームはさほど怒ってはいなかった。びっくりしたのは確かで、抗議したかったのも事実だったが、エスカに体をつかまれた事や肩車をされた事自体は別に嫌ではなかった。見た目よりもごつい手の感触が体に触れた時、ニームはエスカの逞しさを無意識に好ましく感じていたのだろうか。
ニームはエスカの手で支えられている足の一部が熱を持っているような錯覚にとらわれ始めていた。持ち上げられてびっくりした時に高まった鼓動が、まったく収まらない。
「どうした?」
急に黙り込んだニームに、エスカが声をかけたが、胸を押さえてか細い声で何でもない、と言うのがやっとだった。
エスカの肩は思いの外座り心地がよく、高い位置からの景色は新鮮だった。なによりそうやってエスカが見せる親愛の情のようなものが、ニームに急激な変化をもたらしていた。
「た、高いところからすまぬ。あらためて、よろしく頼む、スノウ」
動悸が収まらないまま、顔を赤くしたニームがそう言って右手を差し出した。
「こちらこそ。ニーム様」
「『様』はいい。私は年下だ」
「ですが……」
「エスカが言っていた。私たちは家族だそうだ。ならば私たちには上下はない。お互い呼び捨てでかまわぬだろう?」
スノウはそう言われて少しためらっていたが、小さくうなずくとニームが差し出した手をしっかりと握った。
木犀の甘い香りがニームの鼻をくすぐる。
「よろしくお願いします、ニーム」
ニームはスノウの言葉を満足そうな笑いで迎えると、アルヴの大きな手をアルヴィンの小さな手で握り返した。
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