第十五話 モテアの少女 3/4

「アルヴィンの血が入っていると言えば十分通用するのだ。ルーンに対する知識もドライアドのバード庁では誰も私の足元にも及ばん。まあ、私は賢者だし、それは当たり前なのだが……。だから二十八と言っても誰も疑わなかったぞ。こう言うのは生活の知恵と言うのだ」

「いや、『浅知恵』ならともかく『生活』とかお前が言うな」

 エスカは呆れたという風に肩をすくめて両手を上げて見せた。


「あの」

 スノウと呼ばれた少女は首をかしげて二人のやりとりを見ていたが、たまりかねて声をかけた。

「よくわからないけど、おやつはお持ちした方がいいのね?」

 二人のやりとりをぼーっとした表情のまま眺めていたスノウだが、いつまで経ってもらちがあきそうにないと判断したのか、そう声をかけた。

「ああ、そうだったな。是非持ってきてやれ」

 エスカはその存在を思い出したかのように、スノウにそう声をかけた。

 だが、ロンドが大きな咳払いをしてその場を出て行こうとするスノウを呼び止めた。

「こちらのご婦人はエスカ様の幕僚長に就任されたニーム・タ=タン様だ。齢わずか十五歳にしてバード庁では誰も逆らえぬほどのルーナーであらせられ、しかもドライアド軍に於いては大佐の階級をお持ちだ。粗相のないようにしなさい」

 悪戯好きのエスカに任せていてはニームをからかうのにかまけてまともに紹介すらしないだろうと判断したロンドは、そう言って自分からニームをスノウに紹介した。

 だがすぐに、ロンドはスノウの様子がおかしい事に気付いた。

 スノウは、目を見開いて硬直したかのように呆然と立っていた。

「――タ=タン?」

 スノウはそうつぶやくとゆっくりと視線をロンドからニームに戻した。ニームはそのスノウの反応に眉をひそめた。

「どうした? スノウ」

 ニームの反応に妙な気配を感じたロンドは、ニームが口を開く前にそう声をかけた。

 スノウは執事長の言葉ですぐに我に返った。

「い、いえ」

 そう言うと慌てて再びペコリと頭を下げた。

「大変失礼いたました」

「いたました?」


 ニームはスノウの妙な言葉を聞いてロンドの方を見た。こちらもエスカに尋ねてはまともな答えが返ってくるのに時間がかかりそうだと判断したのだ。いや、エスカが口にするどの言葉がまともな答えなのかを考える手間を省きたいと思ったという方が正確であろうか。

 すなわちニームは短時間のうちにその屋敷における合理的な振る舞い方を身につけたと言えるだろう。彼女なりのまさに「生活の知恵」だ。

「申し訳ありません。我が娘は取り乱したり慌てたりすると滑舌が少々悪くなってしまう癖がございまして」

「ふむ。この子は、ロンド殿の娘なのか」

「不肖の娘でございます。お見知りおきを」

「ロンド・キリエンカの娘、スノウ・キリエンカでございます。ご無礼をいたしました。タ=タン大佐」

 スノウは再再度、深くお辞儀をした。

「かまわん。エスカには色々文句を言ったが、子供扱いされるのはいい加減慣れている。実際に子供だしな」

「あ……はい」

「しかし、対外的には二十八歳だ。話は合わせてもらいたい」

「かしこまりました。タ=タン大佐」

 スノウの返事に、ニームは小さなため息をついた。

「その『タ=タン大佐』と言うのはやめて欲しいものだな。そう……」

 ニームはそう言って少し思案すると、顔を輝かせて言葉を続けた。

「『ニームお姉様』というのはどうだろうか?」

「はい?」

 反応したのはスノウではなくエスカだった。

「おいおい。お前、スノウの歳を知ってんのか?」

「私は二十八歳だから当然そのモテアの方よりは歳上だろう? 対外的には」

「いや、スノウは三十過ぎだぞ」

「何と? この子供っぽい子が?」

「もちろん、ウソだ」

 驚いて椅子から立ち上がったニームに、エスカはウインクをしながらそう言うとさらに続けた。

「お前の事は、これでだいたいわかった」

 エスカの言葉に、ロンドもゆっくりとうなずいた。

「俺の片腕になれるだけの力を、期待していいんだな?」

「呆れたな。いいように遊ばれている気がして釈然とせぬが……」

 ニームはだまされてムッとしたことも忘れて、今度はエスカのその態度にため息をついた。

「でも、私の方も自分の選択が間違いではなかったことを今、確信した」

「ほう?」

「邪(よこしま)な精神を持つ人間に、このような良い色をしたエーテルを纏う娘の父親が心を許す事などないだろうからな」

「エーテル? 見えるのか?」

「見える」

「へっ。ガキでチビのくせに口だけは一人前じゃねえか」

「ガキはともかく、チビは禁句だ。アルヴィンの血が強いと、おそらく外見はこれ以上成長せぬ」

 ニームはまたもやムッとした顔をエスカに向けたが、エスカはニヤニヤ笑いを瞬時に真顔に変えると、右手をニームにスッと差し出した。

「俺の口が悪いのは性分だ。だから慣れろとは言わん。いちいち反応しない程度に受け流せ。それから俺はお前が考えているより、もうちいっとばかり背負う物が重い。だがそれだけにお前の荷物をもう一つくらい担ごうが大差はない。この際まとめて面倒見てやるさ」

「ふむ。では?」

「おっと。言っておくが、この手を取れば、お前は俺の片腕じゃなくなるぜ?」

「え?」

 ニームはのばしかけた手を止めた。それを見たエスカは微笑した。それはエスカが初めてニームに見せる、心からの穏やかな微笑だった。

 その微笑を見たニームは、思わずエスカのその表情に見とれた。すぐに我に返ったものの、顔が上気するのを感じた。なぜそうなったのかが自分でも不思議だったが、その事を考える前にエスカが口を開いた。

「この手を取れ。そうすりゃ、お前は片腕じゃなく、俺の家族になる。俺の概念にお前が言うような『片腕と呼べる部下』なんていねえんだよ。お前だって部下なんかになりたいわけじゃねえんだろ? だから家族になれ。お前の願いはそれからの話だな。とはいえ、家族の頼み事を断る奴が俺の屋敷にいるとは思わねえがな」

 エスカの言葉はぞんざいだったが、ニームにはこの上もなく暖かく響き、不覚にも動悸が速くなるのを感じていた。それはニームにとっては初めての、いや未知の感覚だった。

 ニームは改めて目の前の金髪碧眼の若いデュナンを見つめた。自らのクレストを染め上げた壁掛けを背景にして、エスカは静かに微笑んでいた。

「このニーム・タ=タン、人の筆頭の名にかけて、お前の力になろう。『赤い薔薇の王』よ」

 差し出された手をニームはその小さな手で迷わずしっかりと握りしめた。そしてエスカに対して初めて正式なお辞儀をした。


 一説によれば、この時エスカはニームと契約を交わし、タ=タンの家に連なるものになったということになっている。

 それを婚儀と呼ぶ者も、兄妹の契約とも、あるいはエスカがニームの養子になったと言う者もいるが、どちらにしろその時より「王」を名乗る大義名分と背景をエスカが得たという見解では一致している。

 勿論それを証明する物はない。今日確かに伝わっているのはニームが初めて口にしたと伝えられている「赤い薔薇の王」というエスカの二つ名のみである。


「人の、筆頭?」

 スノウはニームが口にした言葉を口の中で反芻していた。

「十二色……」

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