第十四話 水精の監視者 2/3

 本物の『時のゆりかご』であったならば、ルーンが解けようが姿はそのままで、そこから普通に成長が始まるのであろう。だが、『時のゆりかご』につながっているとは言え、『宝鍵』自体は空間ではない。エウレイのルーンはおそらく、成長した「結果」を『時のゆりかご』にはみ出させるような力しかなかったのだろう。仮の姿を『宝鍵』が立体的に写し出していただけなのかも知れなかった。その証拠にルーンの効果が切れたとたん、ルネは本来の年齢の姿に変化したのである。別な言い方をするならば違う空間にあった肉体と同化したと言うことになるのであろうか。

 だがイオスはエウレイのルーンがどのように構築されたものかを聞こうとはしなかった。興味がないのだ。

 彼からすれば結果を見ればそれが完全なルーンではなかったことはお見通しである。イオス・オシュティーフェという三聖は、より完全な成長抑制ルーンを構築し、使う事ができるのであろう。

 ルネの姿を見て、エウレイは小さなため息をついた。そこには自らの力の無さが生んだ結果があった。


 横たわっている成熟したルネ・ルーは美しいデュナンだった。実年齢は三十三、四歳であろうか。

 イオスの言うとおり普通の生活をしていたならば、異性を知り、結ばれ、家庭を持って子を成し、忙しい毎日に明け暮れている年頃であろう。

 だが、エウレイはルネの時間を留めて、ずっと自分の側に置いていた。

 もちろんルネがその暮らしに不満を漏らすようなことはなかった。ルネが「ハロウィン・リューヴアーク」と名乗るアルヴを慕い、旅の空で楽しい時間を過ごしていたに違いないという自信もエウレイにはある。

 だが、イオスの言葉に彼の心は揺れた。

「正教会の監視下で幽閉しておくよりは……」

 その揺らぎを振り払うかのようにエウレイはそうつぶやいた。

 軟禁されるよりは、自由な外の世界で暮らす方がよほどいい。その思いには揺らぎはなかった。

「正教会の監視下、ではないよ、エウレイ」

 だが、イオスは穏やかな調子のままでその言葉を否定した。

「君は恐れるものを間違っている。『監視者』は『正教会』ではない」

「え?」

「今更言っても詮無いことなんだろうね。でも、相談してくれれば良かったのさ」

「相談?」

「僕を、そして監視者としてのティーフェの王の存在を恐れていた君に、その選択肢はなかったのだろうな」

 イオスはそう言うと再び小さなため息をついた。

「シグにしても同じだよ。選ぶ道が一つしかないなど、勝手に決めつけなければ良かったんだ」

 イオスは精杖を持った手を下ろした。すると、精杖は消え、青い首輪に変化した。

「人はいつも怖れに吞まれて我を失う。だから人の世は争いが尽きない。恐れるあまりに相手を消し去ることしか道がないと考えるんだ。もうずっとその繰り返しだ。そしてまた大きな怖れが殺戮の舞台の幕を上げようとしている。だが、それが人というものなのかもしれないな。人としてはもっとも高みにあるはずの君やシグでさえ同じ事をしでかすんだからね。君は僕を恐れてそのルネという娘のあるべき成長を奪い、シグは何かを知られる事を怖れて賢者四人を手にかけた。マーリンはなぜ僕たちではなく、そんな『人間』を選んだのか……。《黒き帳》でなくてもそう思わずには居られないよ」

「私は……」

「責めているんじゃないさ、エウレイ・エウトレイカ」

 イオスはエウレイの言葉を遮った。エウレイがのぞき込んだイオスの目は、最後まで話を聞け、と告げているようだった。

「だけどあの時、僕はそれが少しだけわかったような気がしたんだ。シグが最後に僕に託した頼み事を聞いた時にね」

 イオスはそこでエウレイに微笑んでみせた。

 それは間違い無く、エウレイが初めて見るイオスのなんとも柔和な微笑だった。

 長く会わない間に目の前の三聖の一人が何らかの変化を遂げたのは間違いない。エウレイにそう思わせるほどの表情だったのだ。

「想像できるかい?彼は僕に自分の実の娘をよろしく頼む、と言ったんだよ」

「《真赭の頤》に実の娘、ですか?」

「うん。この僕に、ね」

 イオスはまたしてもエウレイの知らない、屈託のないおかしそうな笑顔でクスっと笑って見せた。

「人と言うのは全くおかしなものだね。つまらない自分の恐れをぬぐい去る為に何百人、いや何万何十万という他人を殺すことを良しとする一方で、たった一人の人間の為に自分の命を省みない」

「御意」

「君も知っているとおり、シグは守護の一族ザルカの王でありながら、こんにちでは唯一守護する者が存在しない立場だった。だからこそ顔と名のある賢者として正教会唯一の公式な名代の役もこなしてくれていた。さらに言えば極めて勤勉実直。法の守護者としても申し分ない存在だったんだ。表も裏もない、そんな彼を僕は友と思っていた。それだけに彼が最後のそんな頼みを僕にしてくれたことが妙に嬉しくてね。それからだ。人の感情と言うものに少し興味を持ちだした」

大賢者真赭の頤を断罪なさったと風の噂で聞き及んでおります」

「それはそれ。法は法だ。シグもそれを知っていたからこそ僕に頼んだのだろう。下手をすると親子ともども僕が処分することになるかもしれない。彼はそう計算していたんだよ」

「それは《真赭の頤》らしい穏やかな判断と言うべきなのでしょうね」

「そうだね」

「では、この私も私らしい判断でルネを守ろうとしたのだとお思いでしょうか?」

 エウレイの問いに、イオスはゆっくりと首を横に振った。

「君らしくはないさ。君は確保した水精、すなわち水のエレメンタルを可及的速やかに、かつ極秘裏に僕に引き渡すべきだった。誰にも知られることなく、ね。それが君らしい合理的な判断だ」

「先ほども申し上げましたが……」

「だから、堂々巡りはもうやめよう。もはや過去のことだ。君の恐れは間違っていた。だが、一つだけ正しい事をした。それは褒めておくよ」

「正しいこと、ですか?」

「《黒き帳》に報告しなかったことだよ」

「あ」

 エウレイは首をうなだれた。

「《黒き帳》の守護の一族である君の立場なら、まっ先に報告してもおかしくはなかった。だが、別に君のやること全てを報告する義務があるわけではない。だからうかつなことをしなかった事は評価できるということさ。だが、「水精の監視者」である僕に報告しなかったことは法に悖(もと)る」

 エウレイはイオスのその言葉を聞いて唇を嚙んだ。

 法を守ることを第一義とする三聖。中でも《蒼穹の台》は一分の狂いもズレもなく法のみを基準に全てを平らげる存在であった。エウレイはそれを恐れていたからこそ、彼の目からルネを隠す為に自らのエーテルを注ぎ込む特殊なルーンを編み出したのだ。

 だが実のところ、三聖黒き帳に報告しなかったのは《蒼穹の台》の情報網にかかることを畏れての事で、それ以外の意味はなかった。

 しかし邂逅した《蒼穹の台》はエウレイが知る頃の彼とは違っていた。敢えて言うならば「人間くさい」雰囲気を纏っていた。

(これならば、ルネに対して緩やかな措置を執ってくれるかもしれない)

 そう考えるまでに。

 だが、それが如何に甘い考えであったのかを、エウレイは今改めて思い知らされた。

 三聖は、いや《蒼穹の台》の本質は何も変わってはいなかった。

「ルネには罪はありません。なにとぞ寛大なご処置を」

 だから彼は、もはやそう言うのが精一杯だった。

 イオスの答えはしかし、そんなエウレイの心に冷たく響いた。

「千人からの、それこそ罪のない人間を惨殺しておいて、その言葉が意味を持つと本気で思っているわけではあるまい?たとえその当時の水のエレメンタルがまだ年端のいかぬ幼児(おさなご)であったとしても、だ」

「しかし」

「幼児ならば一国の王、例えばシルフィード国王アプサラス三世を殺しても罪にはならぬ、とでも?」

 その言葉はつまり、イオスはアプサラス三世は暗殺されたと断定していると言うことである。そしてイオスにしてみれば人間などはみな「幼児」なのだ。

 エウレイにはもう返す言葉がなかった。「法」に則り、三聖蒼穹の台はすべきことをするだけなのだ。

 納得はできない。感情は認めてはいない。だが、本当にもうエウレイにはどうすることもできなかった。

 エアにいる以上、力は完璧に封じられている。水のエレメンタルでさえその力はエアでは通じない。逃げる術もましてやイオスを倒す術などそこには一切存在していなかった。

 だが、一つだけ知っておきたいことがあった。


「ルネは、どうなりますか?」

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