第十四話 水精の監視者 3/3

「僕が預かる事になるね」

「預かる?」

 エウレイは、この場でルネはイオスに命を奪われるものだと覚悟していただけに、その言葉は意外だった。

 たとえイオスと言えども「神の空間」を使わずに覚醒した水のエレメンタルの力を受けきれるはずもない。「監視者」として手にしている、エレメンタルだけに有効な一つの力を除けば。

 だからと言って「神の空間」を常に付近一帯に展開しておけるだけの無尽蔵のエーテルを持っているはずもない。

「アダンには僕たちの治領がある。しばらくはそこに置こう。もちろん僕の監視下ではあるけどね」

「あ……」

 イオスのその言葉を聞いて、エウレイは全身の力が抜けていくのを感じた。自分の意思とは裏腹に文字通り足の力が抜け、両膝をつくとそのまま地面に崩れ落ちそうになった。

 崩れるまま両手をついたエウレイは、その格好のままで頭をさげた。

「ありがとうございます」

 だが、イオスの放った言葉はまたしても冷たいものだった。

「勘違いしてはいけないよ。僕は法に則った行動を当たり前にこなしているだけだからね。君に感謝されるいわれなどまったくない。それに」

 イオスはそこで言葉を切ると、エウレイに顔を上げるよう促した。

「君と水のエレメンタルとは、ここで別れねばならない。おそらくは、もう会うこともないだろう」

 

 エウレイにはわかってはいた。

 ルネの命は長らえたに過ぎないのだ。今この場で命を奪われはしなかったが、それは先延ばしになっただけであった。

 その日まではアダンの正教会治領に幽閉、おそらくは冬眠ルーンなどで安置される事になるのだろう。


「それにしても、今日はいい日だ」

 無言のエウレイに、イオスは声の調子を変えてそう言った。

「僕はずっと君を捜していたんだよ。かなり時間がかかる事は覚悟していたけど、思っていたよりもずっと早く会うことが出来た。あまつさえ発現報告からこっち、二十数年探し求めていた水のエレメンタルを確保できるとはね」

「偶然、ではありませぬな?」

「もちろんだよ。君も知っているだろう?僕たちはそれぞれ独自に主要な都市には感知結界の為の精霊陣を仕掛けている」

 エウレイは頷いた。

 人物特定までは不可能だが、ある種の絞り込みまでは可能な精霊陣。それがファランドール中の多くの街に仕掛けられているのである。

 三聖達は配下の賢者に、その無数にある精霊陣の補修管理などを命じることがあった。エウレイ・エウトレイカいや《銀の篝》自身、《黒き帳》の命で古い時代に設置した精霊陣の修復を何度か行ったことがあった。

 大賢者であるエウレイにも、三聖がそれぞれ仕掛けた精霊陣がいったいどのような機能を持っているのかという詳細までは知らなかった。彼らの精霊陣には、たとえ大賢者であろうとも理解できないルーンが書き込まれているのである。

 そして三聖達がそれをどう利用しているのかも又、知らされることはなかった。

「前座に座っていてはさすがに見つけることは敵わないと思ったからね。実際に可能性のある街で君の気配を探しては辿っていたという訳だよ」

「して、私にいったい?」

「水のエレメンタルの事ですっかり後回しになってしまったね。彼女はもう心配はいらないだろう。遅くなったけど本題に入らせてもらおうか」

 イオスは自身も片膝を付くと、地面に座り込んだままのエウレイの眼前にその白い顔を突き出した。

三聖黒き帳は今どこにいる?」

 それはエウレイにとっては予想された質問だった。だから、その問いに対する答えは既に用意されていた。

「私にも、わかりません」

「神の空間」で《蒼穹の台》の質問に答えたエウレイの言葉に噓はない。

 イオスはそれ以上黒き帳についてエウレイに尋ねることはしなかった。

「猊下が『前座』を離れるなど尋常な事ではないと思っていましたが、《黒き帳》に緊急の用件でも?」

「そうだね。では《深紅の綺羅》について、君は何か知っているかい?」

「もう十年ほどもお会いしていませんが、《深紅の綺羅》がどうかされたのですか?」

「いや。そうか」

 イオスは立ち上がると少し何かを考えるように目を閉じていたが、すぐに普段の顔に戻った。

「名残惜しいがそれほど時間もない。エウレイ、君に最後に二つ、頼みがある」

「頼み、ですか」

 イオスからエウレイに頼みを言い出すなど、まさに前代未聞であった。久しぶりの対面はエウレイにとってはいわば「初めて」づくしであった。

「一つ目は僕に会ったことは他言無用で願いたい」

「心得ました」

「実は僕は死んでいることになってるんだよ」

「何ですって?」

「もう一つはもし《黒き帳》の情報を摑んだなら、僕に知らせて欲しい。どんな些細なことでもかまわない」

「そちらも心得ました。しかし」

「君からの連絡は《菊塵の壕》でかまわない。少なくとも僕は彼は信頼しているからね」

「え?」

 エウレイは思わずそう声を出した。

 イオスは「彼を信頼している」とは言わなかったのだ。「彼は」と言った。

 自らの不動の居場所である「前座」を出てまで急に他の三聖に会おうとしている事と言い、死んでいる事になっていて、生きていることを誰にも知られたくないなどと言われると、さすがのエウレイもイオスの立っている舞台の背景が一切見えなかった。

「僕は君のことも信頼している。ルネという名を持つこの水精を見てもわかる。君を信頼できないなどと僕が思ってはならないと言うことがね」

「いったい三聖に、いえ『あなた達』の間に何が起こっているのですか?」

 エウレイはそう聞かずにはおれなかった。もはや彼の知らないところで何かが動いている事だけは確実だった。それも大きく、そして急激に。

 だがイオスはエウレイの問いかけに答える事はしなかった。

「頼んだよ。君が今まで成してきたことはもう終わった。守護の一族、トレイカの王である君は、守護すべき三聖黒き帳の居場所を知るべきだろう?」

「答えはそこにあると?」

 イオスはその問いにはうなずいて答えた。

「少なくとも、僕はそう思っている」

「了解いたしました」

「助かる。《真赭の頤》は消え、最近天色の槢を継いだ若いタ=タンの王は、なにやら自分の仕事にかかりきりのようだ。そんなわけで大賢者の仕事は全部菊塵の壕が引き受けているようなんだよ」

「返す言葉もございません」

「いや、もういいさ」

 イオスはそう言うと別れの言葉を告げた。それはエウレイにこの場を立ち去れという意味であった。そこにはルネに対する措置を見せない方がいいだろうと言う気遣いが込められているのかもしれなかったが、それを知る術は少なくともエウレイにはなかった。

「お別れに際し、私も猊下に一つだけ質問がございます」

「もちろん、答えられることは答えよう」

「《銀の篝》としてではなく、現世に染まったエウレイ・エウトレイカ、いや今はハロウィン・リューヴアークとしての俗な好奇心ですが」

「かまわないさ。言ってごらん」

「《真赭の頤》の実の娘とは?」

「ふむ。それはけっこう難しい質問だね」

 そう言うとイオスにしてはこれも珍しく腕組みをして少しの間思案していたが、やがて小さく頷いた。

「君なら問題はないだろう。彼の娘の現名はラウ・ラ=レイ。ラ=レイの一族とシグがそのような仲だとはさすがに知らなかったよ。そして……」

 イオスは言葉を途中で切った。娘の名を告げた瞬間、エウレイの顔色が変わったからだ。

「まさか?」

「《二藍の旋律》が《真赭の頤》の娘でしたか」

「知っているのだな?」


 エウレイは目を閉じた。

 そして嚙みしめていた。ファランドールに起こっている「何か」が全て一本の糸で繋がっているに違いないという事を。

 彼は改めて、一人の賢者の現名を思い出していた。

 彼の廻りで世界が一つの糸で繋がっているのだとすれば、もはやその名は偶然でも何でもないに違いないのだ。

「私には《黒き帳》や《深紅の綺羅》の居場所はわかりません。しかし、もう一方の居場所なら存じ上げているやもしれません」

 そういうエウレイを見つめるイオスの瞳が、アイスの光を受け、ひときわ輝いたかに見えた。

「話を聞こう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る