第十四話 水精の監視者 1/3

「君までスカルモールドの実験をしたのか?などと思っていた僕の考えは相当に浅かったということだな、エウレイ?」

 イオスは手に持ったプリズムを月に透かしながらエウレイにそう尋ねた。

「れっきとした人間です」

「そうだろうさ。まさか成長する本物の肉体を龍墓に封じていたなんて、いったい誰が想像できる?」

「『宝鍵』は……ルーンでの加工がやりやすいのです」

「まったく。君たちは宝鍵を何だと思っているんだ」

「君たち……と言いますと?」

「《真赭の頤(まそほのおとがい)》……いや、シグだよ。彼は『宝鍵』をいくつかに分解して別々の場所に隠していたようだ」

「その事も……ご存じでしたか」

 イオスはうなずいた。

「君も知っていた、と言うことだね」

 今度はエウレイがうなずいた。

「エーテルが無効化されるこの空間では『宝鍵』にかけられたルーンも解除され、『龍墓』、いや『時のゆりかご』に通じていた道が閉じられて本体がこちら側にやってきた……と言うのは簡単だが……」

 そこまで言ってから一旦言葉を切ると、イオスは改めてエウレイ・エウトレイカの姿をじっと見つめた。

「なるほど、君のエーテルが異常に微弱だったのはそういう事か」

 エウレイは唇を嚙むとうなずいた。

「殆どのエーテルを『宝鍵』の気体化とその形状の固定に使っていた……そういう事か」

 イオスはそうつぶやくと、持っていたプリズム……『宝鍵』をエウレイに手渡した。

「何年だい?」

「優に二十年を超えています」

「なぜそこまでする?」

 エウレイはその問いに即座に答えた。

「私は、守りたいのです、彼女を」

 イオスはしかしそれには何も答えず再びルネの側に寄ると、青白い精杖の頭頂部を彼女の腹部とおぼしきあたりに当てた。

 精杖からはぼんやりとした光が放たれ、それは粘度の高い液体のようにゆっくりとルネの体に吸い込まれていった。

「ありがとうございます」

 エウレイはそう言うと深々と頭を下げた。治癒の効果があるルーンなのであろう。

「僕の質問に答えてくれ」

 イオスはルネを見下ろしたままでエウレイに尋ねた。

「君は今、このデュナンの女を守りたいと言ったね?」

「はい」

「君ほどの人間が、二十年以上もの長きにわたってそのエーテルの殆どをたった一人の女デュナンの為に費やした……。いったい君はこの女を誰から守ろうとしているんだい?」

「それは……」

 少しだけ言いよどんだが、エウレイは覚悟を決めたように落ち着いた声で答えた。

「あなたからです。『水の監視者』ティーフェの王、イオス・オシュティーフェ」

 エウレイの答えに、しかしイオスは反応しなかった。予想していた答えだったのであろう。無表情のままで足下に丸まって横たわっている赤毛の女デュナンをただじっと見下ろしていた。

「もう、おわかりなのでしょう?けれどこの子には罪はない。私はこの子と、どこか静かなところで来るべき日をやり過ごすつもりでした。そうすれば……」

「無意味だよ」

 イオスはエウレイの言葉を遮るようにそう言った。だが、その声の響きには怒気はなく、落ち着いたものであった。

「『水の監視者』の役目を知っているなら、水のエレメンタルを見つけられないまま『合わせ月』の日を迎えた僕がとる行動もわかっているだろう?」

「では、せめてその日まででいい。穏やかな日を過ごさせてやりたいのです」

「哀れな」

 イオスはそう言うとため息をついた。

「何と?」

「《真赭の頤》、いやシグ・ザルカバードの一件以来、自分で言うのも妙だが、僕はどうも自分自身をもてあましているんだよ」

「え?」

「エウレイ、君のその態度を見てその違和感が何なのかがやっとわかった」

 イオスはゆっくりとエウレイに体を向けた。

「僕が知っている君は、そんな顔をして感情を表すような人間ではなかった」

「あ……」

「君とて元々は感情の起伏が大きな『人間』だ。大賢者銀の篝(しろがねのかがり)を受け継ぐ過程で感情は抑えられ、理性は磨かれ、法の番人としての意識を強くする存在に変化していったはず」

「それは、その通りです」

「《菊塵の壕(きくじんのほり)》に連れられて君が初めて「前座」に現れた時のことはよく覚えているよ。その当時の四人の大賢者の中でも、君は飛び抜けて感情の波が静かな人間だった。だからあの《黒き帳(くろきとばり)》の守護として実に適任だと思ったものさ」

「私は、三聖の中ではあなたが一番恐ろしかった。あの時は浮かび上がる恐怖を押さえるのに精一杯だったのでしょう」

「そう、君の静かな胸の奥にかすかに見えたもの。それが恐れの感情だったね。他の大賢者、「菊塵の壕」や《真赭の頤》、それに《天色の槢(あまいろのくさび)》にはないものだ。それが見えたから《黒き帳》の守護としてふさわしいと思ったのさ。ただ、君は僕の事なんかより《黒き帳》こそを正しく認識し、そして恐れるべきだった。エウレイ、つまり僕が何を言いたいのかわかるかい?」

 エウレイはしかし、ゆっくりと首を左右に振った。

「君は恐れるものを取り違えているのさ。さっきの言葉で僕は君に対する自分の印象が正しかったと確信したよ。たとえばこの水精、いや、現名で呼ぼう。ルネ、だったね?」

「はい。ルネ・ルーという名前です」

「君はこのルネ・ルーを子供の姿のままにしておくことによって、水のエレメンタル捜索の目を逸らせようとした。それは『合わせ月』が近づくほどに、加速度的に厳しくなるのは目に見えている。その時捜索者が探すのは、おそらく目撃証言があった当時に幼子であった事から、その長じた姿、つまり今そこに横たわっている成人の姿をした水のエレメンタルだろう。まさか十一歳か一二歳くらいの少女が水精だとは誰も思わないだろう。現に僕ですら全く気づかなかった程だ。君の思惑は功を奏していたと言っていいだろう」

「それが、恐れと何の関係があるとおっしゃるのです?」

「そうだね。君は子供の姿にしておけば世間から、いや正教会をはじめとするあらゆる者から水精、つまり水のエレメンタルを隠せると考えた。そしてそれがすなわち水のエレメンタルである少女の幸せだと思い込んだ。そうだろう?」

「それが、間違いだとでも?」

「間違いか正解かなんて誰にもわからないよ。その髭が少しでも顔を隠すためのものだとして、その髭が君に似合っているかと言うことすら、実は誰にもわからない。そこにあるのはそれぞれの判断だけだ。違うかい?でも僕が敢えて君に尋ねたいのはルネという少女が果たして二十数年もの間、子供の姿のままで生きていて幸せであったのかと言うことさ。もちろん、人にとって何が幸せなのかは僕にはわからない。そしてその答えも星の数程あるのだろう。だが、エウレイ。そこに横たわっている女の姿を見てよく考えてごらん」

 言われるままに、エウレイは意識を失って横たわるルネを見つめた。

 イオスのルーンの利き目もあったのだろう。ルネはもう苦しんではいなかった。体の変化も止まり、規則的で穏やかな息をしている。

 そしてその姿は成熟したデュナンの女であり、少女であったルネ・ルーとは別人と言って良かった。唯一、白い肌と波打つ豊かな赤毛だけが少女ルネと整合する部分で、顔立ちもルネだと言われなければ気づかないほどであった。

「その年齢ともなれば、普通のデュナンならば結婚し、子を幾人かもうけているのが普通だろう。人というのはそういった成長に伴う環境の変化の中で幸福を得るものだと僕は考えているんだけど、君は僕とは違う哲学を持っているという事なのだろうな」

「それは……」

 エウレイはイオスに返す言葉を見つけられなかった。

 迫る危険からルネを守る事が、すなわち安全であり続けることが幸せにつながる一番の事なのだと信じていたからこそ、自分の一部分を削り取るようなルーンをかけ続けていたのだ。それはルネと出会ってから安定してかけ続けられるまでに二年もかかったエウレイ渾身のルーンだったのだ。

 ルネはその成長を留められていたわけではない。『宝鍵』をルネに同化させる事によって著しく押さえられていただけに過ぎない。ゆっくりとした成長はあった。

 エウレイが初めてルネと出会った頃、少女は六歳くらいであった。それから二十八年の歳月が過ぎた時の姿は十一、二歳に見えた。つまり、本当に緩やかながら変化はしていたのである。

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