第十三話 エウレイ・エウトレイカ 2/3

 アルヴィンだ。ウンディーネでは珍しい。

 耳の先が少し尖っているのでそれとわかる。アルヴ系の種族は男女とも髪を長く伸ばす者が多いのだが、その少年はデュナンのように短い髪型だった。

 アイスに照らされた瞳の色は緑色で、純血のアルヴィンであることもわかったが、そうなると年齢は不詳である。アルヴィンとダーク・アルヴは少年少女の姿で老衰してゆくのだから。

 ルネはそのアルヴィンの少年に対し、本能的に危険を感じて思わずハロウィンの腕にしがみついた。

 しかしアルヴィンの少年はそんなルネなど一切眼中にないといった風情で、ただじっと自分の目の前に立つ長身の男、すなわちハロウィン・リューヴアークを見つめていた。


「ある男を探している」

 妙な緊張感の中、口を切ったのはアルヴィンだった。

 ハロウィンはしかし、無言だった。

「種族はアルヴ。瞳は緑色。見た目はおそらく青年と壮年の間くらいで、そう、丁度お前くらいの年齢だろう」

 ルネは不安そうにハロウィンを見上げた。アルヴお得意の無表情を決め込んでいるようで、ルネにもハロウィンの感情ははかりかねた。

 だが、ルネはその時ふと周りの様子が不自然な事に気づいた。

 まだ宵の口のヴォールの下町通りは、たった今まで結構な賑わいを見せていたはずであった。現にベックは人の行き交う路地に入っていった。

 少年が現れる直前まで、二人の立っている近くでも人々が様々な会話を交わしながら往来をなしていたはずなのに、今はどうだ。

 少なくとも、今、ルネの視界に入る人間は一人もいなかった。

 不安になったルネは振り返った。広場につづく通りになら人がいるはずだった。

 だが……。

 ルネはハロウィンの腕をいっそう強く抱きしめた。

(誰もいない!)

 異変を告げようとした時、ハロウィンの重い口が開いた。

「私も各地を旅する者。名前を伺えば思い出す人間がいるやもしれませんが」

 驚いたことに、ルネの耳に届いたハロウィンの声は、少しかすれ、震えてさえいた。ルネは今までハロウィンのそんな声を聞いたことがなかったのだ。

 極度に緊張しているのか、ただ口が渇いているだけなのか……。

 アルヴィンの少年は微動だにせずに答えた。

「その男の名は《銀の篝(しろがねのかがり)》 マーリン正教会に所属する者だ」



「『しろがねのかがり』?」

 オウム返しに答えたのはルネだった。

 初めて聞く名前だったからだ。

 もちろん、その名が普通の人間の名前ではないことはルネにもわかっていた。

「その人は、賢者なの?」

 ルネの問いかけに、しかしそのアルヴィンの少年は眉一つ動かさず、ただじっとハロウィンの顔を見つめていた。

「お前の名を聞こう」

 以外な事に、少年のその問いかけに、ハロウィンは素直に答えた。

「ハロウィンと言う。ハロウィン・リューヴアーク」

「ほう」

 ハロウィンのその答えに対して、初めて少年は表情を変化させた。目を細めたのだ。

「その名は聞いたことがある。確かシルフィード王国のカラティア家に関わりのある呪医の一人だ」

 少年はハロウィンの答えを待たず、話を続けた。

「その他にも知っているよ。少し前のシルフィード王立図書館長の名がマリオ・ヘラルドという人物だった」

 ハロウィンの喉がなるのがルネの耳に届いた。つばを飲み込む音だった。

「ドライアドの王立蔵書館にも司書長としてレヴォン・マンデイという人物がいたらしい。さらに遡ると、サラマンダ王国にはトウォック・マイライという名前の謎の官僚が居たそうだ。何でも彼は文化財や遺跡保護を担当する高級官僚だと言うことだ」

 アルヴィンの少年はそこまでで一度言葉を切った。

 そしてハロウィンの表情を観察するように再びじっと見つめた。

 一分ほどそうしていただろうか。周りの静寂とあいまって、ルネにはそれはとても長い時間に感じられた。

「みんな君くらいの年格好をしたアルヴだったそうだ」

 それだけ言うと、アルヴィンの少年は目を伏せて小さなため息をついた。

「じゃあ、質問を変えよう。僕の名前を知っているだろう?」

 ハロウィンは、この質問にも即座に答えた。

「イオス・オシュティーフェ……」

 その名を聞いた《蒼穹の台》ことイオスは一瞬目を細めると、ほんのかすかな微笑を浮かべたようにルネには見えた。

「現名で呼んでくれるのはうれしいな。僕のことをその名で呼んでくれる人間がこの間一人いなくなってしまって寂しい思いをしていたんだ」

 イオスはそう言うと小さく肩をすくめてみせた。

「ここで君に会えるなんて僕はかなり幸運だ。長期戦を覚悟していたからね」

 これにはハロウィンは何も答えなかった。

 ルネはそんなハロウィンの応対にも違和感を覚え始めていた。そしてその違和感の訳が何となくわかった。

 ハロウィンはイオスの質問にはためらいなく答えるが、それ以外には口をつぐんでいるのだ。自分から話題を振らず、相づちなども一切打たない。

 しかし質問には素直に答えている……。

「君の纏うエーテルがあまりに乏しかったから、もしや人違いかと思っていたんだ」

 イオスの声は小さかった。だがその場の二人の耳には明瞭に届いていた。

「久しぶりだね。会いたかったよ、エウレイ・エウトレイカ」

「え?」

 イオスが口にしたその名に、ルネはもちろん覚えがなかった。

 だが、イオスは間違い無く目の前のアルヴに対してそう呼びかけていた。しかも二人が知り合いであろう事はもう間違いがないとルネは確信していた。

 つまり、多くの名を使ってファランドールを渡っているハロウィン・リューヴアークは、このイオス・オシュティーフェと言うアルヴィンに対してはそう言う名前を名乗っていたと言うことなのであろう。

「《銀の篝》ではなく、君に倣って僕も君を現名でそう呼ばせてもらおう、エウレイ」

「ハロウ……」

 イオスの言葉でルネはようやく悟った。

 今自分が抱いているこの腕の持ち主は《銀の篝》という名の賢者だったのだ。

 ハロウィンとは長く一緒にいた。ずっと暮らしてきた。

 だが、その相手が三眼を持つ異形の聖者だとは今の今まで知らなかった。知らされていなかった。

 まさか、と思う気持ちもある。だがイオスという人物の態度はハロウィンの本当の現名と、その正体が間違い無いものであることを雄弁に語っているとしか思えなかった。

 ルネは何か言葉をかけようとしたが、口が動かなかった。思考が停止しているように同じ言葉がぐるぐるとルネの頭の中をただ回っている。

 エウレイ・エウトレイカ。そして『しろがねのかがり』


「いいか……」

 ルネの頭上から声がした。

 それがハロウィンが自分に向かってかけた言葉だと言うことを理解するのに時間が少しかかった。

「すぐにここから逃げろ。お前が頼れる人間がいるはずだ。そこへ逃げろ」

「え?」

「早く」

 ルネはさらに頭の中がまっ白になった。

 何も理解できないまま急かされてもどうしようもない。

 だがハロウィン、いや、エウレイ・エウトレイカは考える時間をルネに与えなかった。

 つい今し方までハロウィン・リューヴアークだった男は、ルネから腕を振り払うと、彼女の肩をその手で強く突き飛ばしたのだ。

 それは思いもかけぬ強さで、ハロウィンの言葉が冗談ではないことを示していた。

 だが動く意志のないルネは、当然の結果として地面に倒れ込むことになった。

「立て!立って走れ!逃げるんだ!」

 その時になって、初めてイオスの注意が幼い赤毛のデュナンの少女に向いた。

 それを見たハロウィンは、片手を頭上に掲げると、ルネが聞いたことのない言葉を発した。

「エマリア!」

 しかし、何も起きなかった。

 代わりに、イオスがルネに声をかけた。

「赤毛の少女よ、そこを動くな」

「くそっ」

「ハロウ?」

 ルネは膝をついたまま、初めてみるハロウィンの態度に驚いていた。

 頭上にかざした手を強く握ると、その拳を握りしめて悔しそうな声を上げたのだ。

「知っているはずだろう?無駄なことだ」

 イオスは再びハロウィンに対峙すると、静かな声でそう言った。

 ハロウィンはそんなイオスではなく、膝と手をついたまま放心したようにハロウィンを見つめるルネに顔を向けた。

 それは見たこともないような悲しそうな表情で、思わずルネは何かを摑もうとハロウィンに向かって手をあげた。

 だが……。

(え?)

 動かなかった。手は一ミリも上がらなかったのだ。

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