第十三話 エウレイ・エウトレイカ 1/3

 赤毛の魔物

 「豊穣の女神」として今日も民衆に親しまれている「水のルネ」 すなわち水のエレメンタルであるルネ・ルーは時にこう呼ばれる事がある。

 その二つ名がルネに対して使われるようになったきっかけは、王立博物館所蔵のミリア・ペトルウシュカの手になる有名な一枚の絵のタイトルだと推察されるが、果たしてその絵が真にルネ・ルーの事を示しているのかどうかは定かではない。

 件の絵に描かれているのは片手で顔のほとんどを覆い隠したデュナン。それは豊かな赤い巻き毛を白い肌に纏う、おそらくは美女である。おそらくと但し書きをつけなければならないのは、顔の全容が描かれていないからだ。顔のほとんどは白い手で覆われ、かろうじて右目だけが指の間から覗いている。そしてその青い瞳は、絵を見る者を射るように注視している。なんとも怖ろしい雰囲気の絵である。

 描かれている赤毛のデュナンがルネ・ルーであろうが無かろうが、自分の顔を隠しながら、それでも彼女が見据えようとしたものがいったい何なのかが気になってしまうのは誰しも同じではないだろうか。そしてそのような絵を描いたミリア・ペトルウシュカの胸の内を。

 いったいルネの視線の先には何があったのだろうか。

 我々はもはやそれを知ることはないだろう。だが、少なくとも彼女を描いた画家は何かを知っていたに違いない。

 

 ミリアの絵を引き合いに出すまでもなく、逸話に登場するルネには一貫性がない。逸話を全て信じるとしたら、ルネ・ルーは一人ではなく数人存在したと言うことになるだろう。

 現存する口伝や説話は、およそ一人の人物を語ったものではないとしか思えない。そこで語られているのは少女の姿のルネだけではなく、妖艶な妙齢の美女であったり、成人したての若い娘であったりと、実に様々な姿である。

 すなわち四人のエレメンタルの中でも、ある意味もっともつかみ所のない人物が、このルネ・ルーだと言っても過言ではないだろう。

 必ず系譜が残る王族や貴族筋ならいざ知らず、シルフィード王国以外では戸籍制度が一般的ではなかったこの時代における各国の民間人の出生の特定を研究するのは困難を極める。たとえ少ないとは言えども国家や軍に記録がある人物の方がまだましで、市井の生まれとなると手がかり自体がそもそも伝説の中にしか存在しないという事になるからだ。


 何人かの気鋭の研究家は、ルネ・ルーとは実在したウンディーネの行商人パブロ・ルーの一人娘であるとしている。

 その説によると、ルネはまだ幼い頃に父であるパブロが旅先のとある町で病没した際、孤児となった。独りぼっちになった彼女はその町にあったマーリン正教会の二種教会、すなわち現在で言う女修道院に預けられ、そこで幼少時代を過ごしたそうである。その説を裏付けるべく調べてみると、確かにパブロ・ルーなる人物の記録はかつては存在したようだ。だが正教会の記録ではそのパブロ・ルーなる旅商人が没したという年代がかなり古く、そもそもルネ・ルーが預けられたという二種教会があった町はこの物語が始まる当時、すでに廃墟となっており物的証拠が存在しない。したがって彼らの説は今となっては証明ができない。

 ともあれその説によると、ウンディーネの東部にグレンスという小さな農村があったと言う。そこにかつてマーリン正教会の二種教会が存在していたということである。

 だがグレンスという農村は、ドライアド軍の記録によると星歴三九九八年に一夜にして廃墟になったという。

 もしもその当時ルネがそのグレンスにいたとするならば、アトラック・スリーズのきまじめなほど正確な日記に記されたルネの推定年齢からはかけ離れ、「合わせ月」の年にはざっと三十代前半の年齢だった事になる。そうなると、そもそもルネ・ルー伝説の多くの逸話を完全に否定する事になってしまう。つまりは、この時点で新進気鋭の歴史学者達の説はそもそもが気鋭過ぎるという事になろう。


 また一説では彼女は呪医ハロウィン・リューヴアークの実子であったとされているが、ハロウィン・リューヴアークの娘にしては、どの説話を読んでもなぜかアルヴの特徴が全くない。全ての説話に共通する赤毛碧眼のデュナンというルネの外見の特徴は不変だからだ。ただ間違いないのは幼い頃に発現した水のエレメンタルとしての徴をハロウィン・リューヴアークによって見いだされた後は彼の庇護の下で行動を共にしていたであろう事実である。


 一般の伝説ではルネ・ルーは呪医ハロウィン・リューヴアークの連れ子として助手のような仕事をしていた赤毛の少女という事になってはいるが、既述のごとく生没年は不詳である。水のエレメンタルはその大いなる力で並み居る敵をまるで虫けらのように蹂躙し、その赤毛を見た者を恐怖のどん底に陥れたという逸話は数多くあるが、同じように多くの土地で豊饒の女神として祀られていることからもわかるとおり、実際は広く民衆に受け入れられやすい人物であったと言えるだろう。


 ひどい干ばつ被害を雨を呼んで救ったという逸話はそれこそ世界各地にあり、枚挙にいとまがないとはまさしくこのことであろう。だがそれらの逸話は語られる時代も使ったとされるエレメンタルとしての力の及ぼす規模というべきものもバラバラで、それ以前にも伝えられていた水のフェアリーによる所作がこの時代以降すべて「豊穣の女神ルネ」の仕業として変遷していったと考えるのが妥当な見方であろう。

 ただし呪医ハロウィン・リューヴアークと供にファランドール各地を旅して回ったという事実は存在する。つまり伝説すべてをルネの仕業ではないと決めつけるのも早計だと言うことである。

 ともあれ水のエレメンタルともあろう者が自らの能力をひけらかすような行動をとっていたとは考えにくい事から、各地の伝説が本当にルネが行った行為であるのかどうかの判断をするのは慎重にならざるを得ない。


 この物語では便宜上多くの説話で親しまれている姿形を拝借して彼女の活躍を記している。具体的には異世界ファランドール・フォウの住人であるエイル・エイミイがファランドールの地を踏んだ星歴四〇二四年当時、十歳。エイルとルネが出会った星歴四〇二六年には十二歳くらいという設定である。

 また矛盾した伝承をすべて噓だと切り捨てること自体が新たな矛盾に繫がる部分もあり、ここでは最近のフェアリー研究家から発表された論文を多少下敷きにして独自の解釈でつじつまを合わせることにしている。おそらくは当たらずとも遠からずであろう。


 ゆるやかに波を打つ豊かな赤い髪と冷たい磁器のような白い肌、よく晴れた日のウィード海にも似た深く青い目をしたデュナンの女性であったとされるルネ・ルーは時には人魚伝説と一緒にされることもある。その伝説はルネの出身が海の国ウンディーネであった事がはほぼ間違いないと言われている為に後付けされたものとも考えられる。ウンディーネの海辺の地域にいまだに古語を使う人々がいるところから、日常的に古語をしゃべっていたと言われるルネの出身地を名乗る地域も複数ある。

 古語はそれだけで独特な個性をルネに与えた。性格は明るくおしゃべりで、ハロウィン・リューヴアークの教育によるものなのか幼い外見にもかかわらず知識は豊富で大人びた考えをもち、家事全般に長けた賢い主婦といった性格を想像してもらえば、多くのルネ・ルーの伝承を知っている方にも素直に受け入れてもらえるのではないかと思う。



 ベック・ガーニーの後ろ姿が海側の路地に消えるのを見送ったハロウィンは、顔を反対側に向けた。

 そこには丘に向かって続く坂道があった。まっすぐな坂道は途中から急に勾配を強め、道の向こうに見える大鐘楼に続いていた。

 ヴォール大鐘楼と呼ばれるその建物には、マーリン教では俗に「無種教会」と呼ばれる大教会が併設されていた。

 無種教会とは大規模な街や交通の要衝にあるような町に建てられる、その地域のマーリン教会を統括する役目を担う組織が入っている。

 責任者は教主長と呼ばれ、その他の一種から五種と呼ばれる各協会の教主達を束ねる立場にある。

 また教主長は正教会の本部組織があるマーリン教の聖地、ヴェリタスの上部組織への窓口である「神官」と直接やりとりができる立場でもあった。

 もちろん都会であるヴォールには、このヴォール大教会以外にも大小とりまぜて多くの教会が存在していたが、それらを束ねるのがハロウィンの視線の先にある大教会であることは間違い無かった。


「教主長は確か、ザール・フラットだったな。代わっていなければ話はできるな」

 白い月、アイスに照らされて夜空に白くそびえる塔を見上げながらそうつぶやくハロウィンの袖を、ルネが軽く引っ張った。

「ねえ。さっきのお客の話に、何か気になることでもあルん?」

「いや」

 ハロウィンはルネの頭にそっと手を乗せた。

「古い知人に会って事の真相を突き止めてやろうかと思ったが、やっぱりやめておこう。ただ、念のために我々はこの町から早めに立ち去った方がよさそうだ」

 ルネはハロウィンの言葉に不思議そうな眼差しを向けた。

「ベックが二日酔いになっていなければ、明日は早いだろうね。そろそろ部屋に戻ろう」

「二人きりの時くらい、子供扱いせんでもエエのに」

「まあ、そうだな」

「ふふ」


 顔を見合わせた二人が宿に戻るためにきびすを返すと、目の前に見慣れぬ少年が立っていた。

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