第十二話 懸念
ベック達がテーブルを囲んだ店は、相当に賑わっていた。
満員で空いた席はなく、店の扉を開けて肩をすくめて他の店を探す客がひっきりなしだった。
そんな中で、運良くベック達の隣のテーブルに入れ替わって入ってきた新しい三人組の声が彼らのテーブルに届いてきた。
「本当だって」
一人の男が真剣そうな声でそう言う。
「炎のエレメンタルの尻尾の先に誓ってもいい。あれは幻なんかじゃねえ」
「待て待て。炎のエレメンタルってのは尻尾が付いてんのかよ?」
「いや、突っ込むのはそこじゃねえだろ」
「そう言や似たような話を、さっきオレも聞いたぜ?」
どうやら一人の男が目撃した奇妙な出来事について、一人が懐疑的な態度をとり、もう一人は別の情報源が存在する事で事実ではないかと見ているようだった。
「だがよ、どこの世界に子供の死体を二つも肩に担いで平気な顔してるアルヴィンが居るんだよ?しかもその状態であの急坂を上っただあ?」
「居たんだからしょうがねえだろ?しかも汗一つかかず、息も切らさず、だぜ」
「そいつはアレだ、フォウからやって来るっていうスカルモールドだ」
「スカルモールドはアルヴの二倍もあるでっかい化け物っていうじゃねえか。違うって」
「オレはそいつが教会の偉そうな服を着た坊さんに恭しく頭を下げられてそのまま建物の中に招き入れられたところを見たって話を聞いたぜ」
「マジなのかよ?」
「正教会が死体の売買でもやってるのか?」
「バカヤロウ。そんなもん、行き倒れのガキを哀れんだ奇特な人間が教会に弔いを頼みに行っただけだろ。この話のキモはアルヴィンがアルヴ並みの腕力をしてたってところだろ?」
「いや、そこじゃねえって。そもそもがそこはかとなく猟奇的な雰囲気の話だろ?それによ、この話にはまだ続きがあってよ。例の闇市場の知り合いに聞いたんだが、届くはずの荷が、届かなかったそうだ。それが丁度、そのアルヴィンが肩に担いでたガキと年格好が一致するんだよ」
「ほう」
「それだけじゃねえ。その荷を市場に卸すはずだった二人連れの仕入れ商人も姿を現さないって話だ。『荷』と二人組の仕入れ商人が船でヴォール港に着いたって所までは、同乗してた客が何人も見たって言ってたから、間違い無いらしいぜ」
「例の闇市ってのは、人身売買の」
「ばか、声がでけえよ」
その後は少し声の音量が下がり、ベックの耳には会話の中身が届かなくなった。
しかし、デュナンより耳がかなり良いとされているアルヴのハロウィンはまだそちらに聞き耳を立てている様子だった。三人の旅商人風の客が囲む卓はハロウィンの斜め後ろに位置していて、距離も近く声も届きやすい。
「どうした?気になる話なのか?」
ベックがそう問いかけると、ハロウィンは済まなそうに少し目を伏せながら、唇に一本指を立てた。
ベックは調達屋という、いわば裏の世界にも通じた商売人であるだけに、彼らの言う「闇市場」の意味を知っていた。ここ港湾都市ヴォールで人身売買がされているのは公然の秘密のようなものなのだ。
ベックは商売上の興味もあって、ヴォールに来たら一度その闇市場の取り引き現場を見ておこうとは思っていた。ヴォールの調達屋組合を通じて顔役への「つなぎ」も依頼済みだった。
だがベックは、別段彼らの話の内容自体にはたいした興味を持たなかった。
確かに額面通りに受け取れば奇妙に符号する話のようだが、その手の話は人の集まる大きな町では掃いて捨てるほどあったし、特に人身売買がらみは人の様々な怨念じみたものが絡んでいる事もあり、奇妙な話には事欠かない。
要するに酒のつまみの一つでしかない。
ベックはその程度の認識で彼らの話を聞いていたのだ。
とは言えハロウィンの興味は引いたようであった。
ベックは思い出した。
ハロウィン・リューヴアークは呪医の肩書きを持ち、ファランドール中を旅していると聞いていた。それも相当長く。
当然ウンディーネ連邦共和国の首都島アダンの実質的な商業区であるヴォールにも何度も来ている様子だったし、それであれば人身売買の闇市場の事も理解しているはずである。それにまつわるうわさ話が酒を飲む店で行われるのも珍しいことではないだろう。
そのハロウィンが同じテーブルにつき食事を共にしているベックの声を封じてまで耳を傾けたくなる話が繰り広げられているらしいことに、ベックは調達屋としての持ち前のカンが働き出すのを自覚していた。
「すまんな、会話を中断させて」
少し経つとハロウィンはそう言って軽く手を挙げてベックに詫びた。どうやら彼らの卓では話題が違う話に移ったようだった。声が再び大きくなってベックの耳にも新しく始まった娼館の噂話が届いていた。
「いや、それよりここは普通の食堂で子供もいるってのに、話題としちゃいただけないな。注意してきてやろうか?」
ルネを気遣っての申し出だったが、ルネ本人が腰を浮かしかけたベックを制した。
「気にせんでええヨ。あの程度の話を気にしてたラ、旅なんてでけへンし。ウチなら全然平気ヤ」
そう言って屈託無く笑うルネの、真っ赤な巻き毛が揺れた。
ベックはあらためて腰を下ろした。
しばらく一緒に旅をしていて、ルネにはずっと驚かされていた。デュナンで、せいぜい十二歳かそこらの少女のはずなのに、そうは思えないほどしっかりしている。保護者であるハロウィンに対して子供らしいわがままやおねだりなどは一切しないし、旅の途中で自分から弱音を吐くようなことは一度もなかった。
ベックとそう歳が変わらず、ルネに比べればすっかり大人と言ってもいいシェリルよりも大人びた考えを口にすることも多々あった。さらに、ベックには皆目考えも及ばない、シェリルに対しての様々な気遣いを見せるに至っては、感謝の言葉もないほどだったのだ。
そのことを尋ねると「長く旅をしているからだ」とルネは言った。そうなのだろうは思う。ずっとウーモスに暮らし、たいした旅など経験したことのないベックにとって、ルネは自分の師匠としてふさわしいのではないかとすら思ったほどである。
また、ハロウィンは気づくと注意をしていたが、ルネはそのハロウィンの目を盗んで、ベックとシェリルに時々「癒やし」の力を遣っていた。水のフェアリー、いやエレメンタルであるルネは決して回復専門のルーナーであるエルデのような治癒回復ルーンを唱えるわけではない。だがルネの手が胸に当てられ、何らかの力を使われると、体のむくみや足のしびれ、疲労などがすうっと消えていくのである。
体の中の水分、血液や体液の循環に「ちょっとだけ力を貸してあげる」という話で詳しいことは不明であったが、結果としていわゆる癒やしの力になっていた。
「ウチの機嫌を損ねたら、このまま体中の水分を一瞬で凍らせたり、沸騰させたりもできルんやで」
冗談めかしてルネはそう言って笑ったが、おそらくそれは冗談ではないのだろうと理解もした。
「ハロウはできるだけ使うなっていうンやけど、必要な時には使わんとあかンってウチは思うねン」
そうも言っていた。
「そやないと、ウチはルネ・ルーやのうて、ただの『水のエレメンタル』っていう記号みたいなもんになってまう気がするシね。まあ、口げんかしたい訳でもないし、心配もかけとうないから、二人とも、このことはくれぐれもハロウにはナイショやデ」
ルネはそう言って豊かな赤毛を翻して去っていくのである。
気になっていたハロウィンとの関係は「保護者」とだけしか答えなかった。それ以上を追求しても「ま、ええヤん、そんなこと」と言ってはぐらかす。
もちろん、そんなことはどうでもいい事なのかもしれない。しかしルネは普通の水のフェアリーではない。千年に一度だけ現れる強大な力を持つフェアリー、『エレメンタル』の一人なのである。
「シェリルが……」
そんなことをぼんやりと考えながら、ベックはあることを思い出してルネに声をかけた。
「ルネと一緒に暮らせたらなあって言ってたよ」
「新婚家庭で一緒に暮らすとか、勘弁してヤ」
「まあ、新婚とかそう言う話は別にしてもそれは無理な話だってのは俺もわかってるけどな、あいつはそれだけルネの事が好きなんだって事を知ってほしいんだ」
「うん。ありがト」
「妹みたいにかわいくて、姉さんみたいに頼りになるってな」
「姉さんカあ」
「俺も時々、ルネの事を『お前は俺の母親かよ』なんて思うことがあるぜ」
「ふふふ」
シェリルは幼くして母を失っている。歳の離れた兄に育てられ、母親の実感がない。だから姉という言葉に置き換えたのだろうが、ベックは素直に母親の包容力を時々ルネに重ねる事があった。
「全ブ終わったら……」
「え?」
ルネがふいにそうつぶやいた。
窓の外に顔を向けるルネの視線を追う。
だが、そこには夜の路地が見えているだけだった。
いや。
ルネの視線はその窓の上部にあるステンドグラスに注がれていたのだ。
そこには三人の子を優しい笑顔で抱きしめている慈愛に満ちた女性の姿が描かれていた。
始祖の一人であるドライアドと「三人の子」の図である。
「三人の子」には名前がある。キュア、ユラト、そしてクラン。
彼らはいわゆる「ルート」と呼ばれ、最初のルーナーであり、グラムコールを編み出したと言われている。
ドライアドはドライアド大陸をマーリンに与えられ、精霊波、いわゆるエーテルを統べる存在とされている。
だが、ドライアドはむしろその「三人の子」の図があまりに有名な故に「母神」と呼ばれることも多い。
ルネはその母神、ドライアドを見つめているのであろうか。それとも「三人の子」の方なのか。
あるいはその両方であろうか。
それはわからないが、その時ベックはルネの寂しそうな顔を初めて見たと思った。
だが、ルネのそんな顔はすぐに笑顔に変わった。
アイスクリームが運ばれてきたからだ。
それからしばらく談笑した後で、翌朝ベックの方から宿までハロウィン達を迎えに行く事を打ち合わせると、その店を出た。
三人は、申し合わせたわけでもないのに店を出たところで空を見上げた。建物の隙間から見える夜空に二つの月が姿を現していた。
アイスとデヴァイス。明るい月と暗い月。
両者はほとんど同じ軌道を巡り、常に並んでいる。だが、徐々に重なる事もあり、一部が重なると「重ね月」、完全に重なると「合わせ月」と呼ばれていた。
約千年に一度だけ訪れるという「マーリンの座」から見上げる「合わせ月」。
ベックはその日にいったい何が起こるのかを知っているわけではない。
わかっていることは、ハロウィンの隣でアイスとデヴァイスを見上げている赤毛の少女がその日の為に生きていると言うことだった。
ベックはルネの顔を見て、あることに気づいて微笑んだ。
「そういう顔を見ると子供だよな」
「え?」
ベックにそう言われてルネはきょとんとした顔で声の主を見た。
「いや、時々お前は俺よりよっぽど大人なんじゃないかって錯覚しちゃうんだよな。ホラ」
そういうとベックは手を伸ばして、ルネの頬にそっと触れた。
「さっきのアイスクリーム、ついてるぞ」
「うそ?」
ベックに言われるとルネは慌てて袖で顔を拭った。
「拭いてやったから、もうねえよ」
「おおきニ」
「じゃあ、明日」
ベックは笑いながらそう言うとルネに手を振った。そしてハロウィンにも。
「では、明朝」
ハロウィンも軽くそう返した。
「ああ、この分だと明日もいい天気だな」
そう言って背を向けると、ベックは自分の宿に向けて歩き出した。
「お休み。まっすぐ宿に帰るんやで。くれぐれも結婚前に変な場所に行ったらあかンで」
ベックにはわかった。ルネは笑顔混じりで小さな手を振っているに違いない。
振り向かず軽く手を挙げると、彼はまっすぐに自分の宿に向かうことにした。
明日の朝、船で一緒にイェイガーに向かう。
ファランドール中を見て回る。そう決めたベックの旅は、意外に早く「居場所」を見つけ出すことになった。
だがそこで旅は終わったわけではない。そこからまた始まるのだ。
目的のない旅より、帰る場所がある旅の方が百倍もいい。
ベックはそう思っていた。
そして彼には旅で仲間ができた。特にハロウィンとルネはもう、彼の人生にとってかけがえのない存在になっていた。
その仲間と一緒に、落ち着いてしばらく暮らす事を想像すると、ベックは気分が浮いてくるのを感じていた。
だが……。
あどけないルネの姿をベックが見たのは、その夜が最後になった。
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