第十一話 港湾都市ヴォール 3/3

 すなわち、自軍をあくまで解放軍だと言い張り、それを誇りとし続けるのであれば、取り決めに則り、アクラムの森を管理範囲としているサラマンダ委嘱軍であるドライアドの分隊に引き渡す。

 しかし、もし昨今の治安の悪さに備えるために仕方なく武装していた隊商が、軍と賊とを誤認して行きすぎた自衛行為に発展したという事ならば、当該部隊であるル=キリアの司令官として担当将官に報告した上で、その指示に従うだけで済むという。

 その時のアプリリアージェが口にした言葉を、メビウスはいまだに覚えていた。

「反政府組織と交戦した場合、報告書や手続きがとてもやっかいで、正直に言って、めんどくさいんですよ」

 彼女はそう言って、本当にめんどくさそうに肩をすくめて見せた。

 同時にその時、アプリリアージェの横に立っていた、一見するとル=キリア唯一のデュナンで、捕虜代表であるメビウスの担当官のような役割をしていた若い兵士が頭をかきながら口にした言葉も克明に覚えていた。

「いや、その報告書を書いたり実際の手続きをするのはオレで、別に司令は面倒でもなんでもないはずなんですけどね」


 アプリリアージェがメビウス達に示した条件はそれほど無理のあるものではなかった。

 何より彼女から聞かされたファランドールを覆う世界情勢の中に自分たちの状況を置いてみれば、正気の人間であれば示された提案を拒否する選択肢はないはずだったのだ。

「委嘱軍に引き渡されると、おそらく生き延びられるのは若い女だけですよ。俺が言ってる意味はわかりますよね?」

 一見デュナンに見える若いデュアルのル=キリア隊員、すなわちアトラック・スリーズはメビウスにそう言って結論を促した。

「あ、言い忘れていました。ル=キリアの担当将官とは私です。一応、海軍中将っていう事になっていますから。つまり、私が決めたことが最終決定事項です。悪い話ではないと思いますよ」

 アプリリアージェのその一言が決め手になり、フィリスティアード隊は隊商と言うことになり、アトラック・スリーズの報告書にはアクラムの森の戦闘はたった一行の報告事項となった。

 なにしろ、ル=キリアの損害は全くなかったのだから。アクラムの森のあの戦いで、ル=キリアの中隊はかすり傷一つ負った者さえいなかった。


 メビウスは、ハロウィンには当時のそんな話をして、こう付け加えた。

「ユグセル司令には、本当に感謝しているとお伝え下さい。我々にとっては不幸な事件でもありましたが、幸運であったのかもしれません」

 ハロウィンはうなずいた。

「あの森の一帯は、あの後大規模な掃討作戦の舞台になったという話は聞いていますね?」

 ハロウィンの言うとおりで、あの事件の後、委嘱軍の軍事訓練を兼ねた相当大規模な掃討作戦が行われ、アクラムの森を中心とした相当な範囲の反政府組織がそれにより壊滅していた。物量によるごり押しのような作戦で、委嘱軍側にも大きな損害が出たというが、サラマンダ中央部の反政府組織は事実上壊滅状態だという。もちろんそれはドライアド王国が、来るシルフィード王国との闘いに備えた「掃除」であった事は言うまでもないだろう。

 ル=キリアに降伏していなければ、文字通り部隊は全滅していたのは間違いなかった。生き残ることができたのは、ル=キリアに矢を向けたからだという言い方もできるのだ。

「皮肉なものです」

 メビウスはそうつぶやいたが、ハロウィンはそれには何も答えなかった。


 メビウス兄妹のそんな背景を、ベックはハロウィンからあらかじめ聞かされていた。その情報をシェリルの記憶とすりあわせる為に、直接聞いて、双方の認識にそれほど齟齬がないことを確認もしていた。

 ただ、そこに一人の兵士の記憶が抜け落ちているだけだった。

 どちらにしろ、シェリルに昔の話を聞くことをベックは避けることにしていた。

 懸念はまだあった。その最大のものは、シェリルとルルデの両方を知る人間、具体的にはフィリスティアード隊の人間がヴォールやイェイガーに居るのではないかということだった。

 そればかりは実際にメビウスに会うまで誰にもわからないことだったが、結果としてそれもまた杞憂であった。

 ダゲット兄妹には、すでに親族や縁者と呼べる者はいなかった。千日戦争は彼らの住んでいる町を全滅させていたからだ。だが、それはシェリル達が特別不幸だという意味ではない。そんな人間はいくらでもいた。先の大戦はそれほどの爪痕を多くの人に残していたのである。

 イェイガーに居を構えることしたのは、そもそもアプリリアージェの設定だった。

 反政府組織との接触ができるだけ少ない土地がいいだろうと言う配慮から選ばれた町であった。

 当初はシルフィードで暮らす事を提案されたが、メビウスにとってそれは難しいと思われた。文化が違いすぎる事もあった。何よりデュナンである彼はやはりアルヴ系の人間に対する微妙な距離感をぬぐい去ることは難しいとも考えた。

 そこで、ウンディーネの中で候補を探ることになったのだ。

 イェイガーはシルフィード軍の拠点がある港湾都市ヴォールから川伝いで半日程度の距離にある比較的大きな町である。正教会の勢力が大きいものの、領主はシルフィード系の貴族の流れをくむ人物で、ファルンガを治めるアプリリアージェ公爵の名前が十二分に通用した。

 メビウスには一応、向こう五年は移動の制限がかかっていた。イェイガーとヴォールなど付近のいくつかの町から他へ移動する場合はヴォールのシルフィード軍に許可を得るというものである。

 ただし、それは口頭での約束事であった。アトラックが取り出した誓約書を横目で見ると、アプリリアージェは署名の必要はないと言ってそれを下げさせたのである。

「だって、その文書を五年も保管するのは面倒でしょう?」

 メビウスの律儀で誠実な性格を短期間でアプリリアージェは見切っていたのであろう。つまりそれは誓約書に署名するよりもよほど強い効力のある「約束」として、メビウスの心にきざまれたのだ。

 

 シルフィード軍の紹介で、メビウスには職も用意されていた。

 軍関連の物資を供給する商人組合の仕事である。もちろんシルフィード軍の関連組織であるが、民間人、それも主にデュナンで構成されている商人組織であった。

 ダゲットはその強面(こわもて)を買われて物資の荷出しや荷入れに睨みをきかせる管理の仕事にあたる事になっていた。

 管理とは言ってもその気になれば適度に体を動かせる仕事でもあり、彼自身も気に入っていたようである。

 ただ問題は、正教会への顔つなぎだが、当然ながらシルフィードはそこに太い人脈を持たない。そこでハロウィンが紹介状を持たせたのである。

 シェリルの仕事もシルフィード軍が用意してはいたが、町の住民として溶け込むことを考えると、シルフィード軍関連で家族が完結してしまうのは良くないだろうとハロウィンが提案し、ベックも同意した。シェリルも仕事は自分で見つけたいという希望が強かった。 そこでシェリルの仕事探しやダゲット兄妹の町への溶け込みの手助けの為にハロウィンが持っているという正教会に対する人脈とやらに素直に甘えることにしたわけである。

 ベックが言った「紙切れ」とはまさにその人脈を行使するための紹介状の事であった。


「我が家はそれほど広くはないけど、先生とルネが泊まる部屋はある。今日は一緒に飲み明かすとして、明日の朝には一緒にイェイガーに来てくれると嬉しい」

「我が家ヤて。なんかこっちが照れくさいワあ」

「妙な言い方はよせ」

「ふふ。うちらは別に用事もなイし、問題あらへンよ。新婚家庭拝見といきましょ」

 一行はお互いに笑い合うと、ちょうど運ばれてきた食事に手を伸ばし、ささやかな酒宴を始めた。

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