第十一話 港湾都市ヴォール 1/3
港湾都市と呼ばれるヴォールは、ウンディーネの北北東の河口部に古くから栄える交易都市である。
氷河痕と言われる深い水深を誇る河口付近は外界から隔絶した穏やかな良港として名を馳せており、海流の関係もあり最北の不凍港でもある。
イオスが上陸した際も、港には大小の船がひしめき合っていた。
海路のみならず、ウンディーネ内陸各地からは河伝いにヴォールへ向かえる。
背後を急峻な山で囲まれていることもあって有事にも強いとされている。
また立地がよく、首都島であるアダンに海路でも陸路でもほど近い。とは言え当時の首都島アダンに上陸できる人間は限られていた。一部の「市民権」を持つ者を除くとあとは大統領の招待客のみであり、商人始め普通の人々にとってはここヴォールがアダンの下町のような存在と言えた。
アダンが建設される以前、ウンディーネがまだ連邦の形を成していない頃、連邦議会の前身とも言える各国首脳が一堂に会し話し合いを持つ首長座があった町としても名高い。
現在、首長座があった建物は大幅に増築されて港をぐるりと取り巻くように建てられていた。それは商人組合の本部として機能していると共に、港に向かう船の目印となっていた。
その建物内には特殊な交易場所、つまり市場がいくつか存在しており、許された一部の商人しか足を踏み入れることができない仕組みになっていた。そしてそこでは非合法な品物のやりとりが行われているとまことしやかに噂されていたようだ。
多くの商売人と数え切れない商品が集まる場所だけに商店の数も多い。扱う商品の種類も豊富で、遠くからはるばるヴォールを訪れる者で町は一日中賑わっていた。
夜も例外ではない。普通の町では夜の八時にはあらゆる店が閉まるのが慣例である。それを過ぎるとその日は夕刻から夜という名前に変わるのである。
だがヴォールは深夜まで開いている店が多い。特に港近くの店が軒を並べるいくつかの通りは昼よりも夜中の方が賑わっていると言っても過言ではなかった。
その日、まだ夜と呼ぶ時間帯には間がある時間帯に、比較的こざっぱりした宿の食堂に、一人のアルヴが小柄なデュナンの少女を伴って現れた。
「こっちだ、先生」
その姿をめざとく見つけたデュナンの青年が声をかけた。声のする方に目を向ければ、奥のテーブルから声の主が身を乗り出して少女連れのアルヴに手を振っている。
その姿を見た赤毛の少女が、その豊かな巻き毛を揺らしながら声のする方へ小走りに向かった。
声をかけたデュナンの青年はベック・ガーニー。調達屋と呼ばれる特殊な請負商人である。赤毛の少女はもちろん、ルネ・ルーである。
「ベック!」
彼女はそそくさとベックの反対側に座ると、挨拶もそこそこに気になっていた事を尋ねた。
「シェリルの様子はどうナん?」
「ああ」
ベックはうなずくとにっこりと笑って見せた。それが答えの全てだと言っても過言ではない。ルネはその笑顔を見て、それ以上の笑顔で返した。
「おかげさまで、シルフィードが用意してくれてたのより広い家がすぐに見つかったよ」
そう言ったところに、長身のアルヴがルネの隣に座った。
「本当にリリア達の支援をつづけるつもりなのか?」
ベックにそう声をかけたのは、ハロウィン・リューヴアークであった。
「当初の取り決めだ。シェリルもそうしたいと言ってるしな。オレだってリリアさんには借りがある。何よりエルデにはどっちにしろもう一度会いたい。ここで「はい、それまで」ってわけにはいかねえよ」
ベックは真顔になるとそう言った。
「それよりハロウ先生のくれたあの紙切れ、じゃなくて紹介状、すげえ効き目だな。あれを教会に持って行った次の日、司教様本人がわざわざ挨拶に尋ねてきたぜ。二十人以上お供を連れてさ。こっちはびっくりするやらありがたいやらでオタオタしてると『困ったことがあったら何なりとこの私に直接相談してくれ』って頭を下げて来るもんだからどうしていいかわからずボーっと突っ立てるところに、教会のクレストが型押しされた封筒の束を手渡されちまった」
隠しから十通ばかりの厚い紙で作られた封筒を取り出すと、ベックはハロウィンにそれを差し出した。
「なるほど、これはすごいな」
ハロウィンは手渡された封筒を指でなぞりながらうなずいていた。
「そんなにすごい物なのか?」
「これは『勅封』というものだ」
「勅封?」
「ああ。この封筒に入れられた文書は、厳封・親展扱いの上、最優先で直接司教に手渡される事になっている。一度封をすると司教本人にしか開封できないルーンがかけられた特殊な封筒だ。困ったことがあったら文字通り遠慮なく使うといいだろう」
「ふーん」
ベックは改めて封筒をじっくり眺めた後、ふと気付いたように周りを見渡した。賑やかな店内には誰も三人の事を気にとめている者はいなかったが、ベックは慌てて『勅封』の束を懐にしまった。
「大丈夫だ」
その様子を見てハロウィンが苦笑した。
「おそらくそいつはベックにしか封が出来ないようになっている。最初に受け取った者の精霊波を焼き付ける仕組みだろうな。万が一盗られたとしても悪用はされまい」
「なるほど」
ベックは感心したようにそう言うとハロウィンの顔を舐めるように見つめながら続けた。
「驚いたな。こう言っちゃ何だが、まさか先生が本当に正教会のお偉いさんに顔が利くとは思わなかったぜ。最初はもらった紹介状も噓くさいから捨てようかと考えてたんだぜ?」
「おいおい、そいつはずいぶんだな」
「冗談だって」
ハロウィンは苦笑したが、ルネと顔を見合わせると、今度は嬉しそうな笑顔になった。
給仕が注文を取りに来たので彼らはそれぞれ食事と飲み物を注文した。
ベックは彼らが来るまで何も頼んではいなかった様子だった。そんなところからもベックの律儀な所が伺えて、ハロウィンもルネもシェリルをこの青年に預けていれば大丈夫だと思えた。
彼ら一行は、エルネスティーネやエイルがいる本隊と別れた後、シェリルを実兄のメビウス・ダゲットの元に届ける為に、ここヴォールへやってきた。
ヴォールには各国の商業組合の代表府が置かれていた。
アダンでは大使館しか認められず、商業的な交流の場はヴォールが担っていた。いわば各国の出先機関がヴォールに集まっていると言えばわかりやすいだろう。
必然的に各国の軍事的な拠点もヴォールにはそろっていて、メビウスはシルフィードの管理下でこの町に滞留し、シェリルの到着を待っていたのである。
シェリルの精神状態は一行の心配をよそに何の問題もないと思えるほどの安定を保っていた。アクラムの森の事件以来、ほぼ二年ぶりとなる感動の兄妹再会劇の後で、メビウスに面識のあるハロウィンがベックの紹介を兼ねて事の顛末を説明したが、予想に反してメビウスは取り乱すようなことはなく、きわめて冷静に現実を受け止めた。
もちろんエルデがシェリルにかけた複雑怪奇な複合ルーンの集合体のような術の詳細については、たとえ医者の立場にあってもハロウィンが深く知りうるはずもなかったが、幼い頃から育ち、婚約者でもあった相手の記憶だけを都合良く消去して「はいおしまい」というわけには行かないことは容易に想像がつく。
したがって知人の全く居ない環境で暮らしていくことがいいことや、意識を向ける新しい対象が存在した方が好都合なことなど、エイルやエルデの思惑に沿った助言を伝えたが、それにも全く異論を挟むことなく賛同した。
メビウスにとってもルルデ・フィリスティアードという存在は上官の弟であるとか、妹の婚約者である関係を超えた存在であったことは間違いなかった。
特殊な里から預かった、絶滅した人種の末裔と思える謎の多い赤ん坊だったが、彼にとっても弟のような存在になっていた。故人になったとは言えその共通の「家族」であるルルデの話をシェリルとすることは二度とできないという事は端(はた)から想像するよりも深い悲しみを伴う事は間違いない。
だが、戦いの中に長く身を置くことによって、メビウスは一つの哲学のようなものを彼自身の中に確立することに成功していた。
「生きている人間が幸せであるべきだ」
彼の哲学は一言で言うならそう表現できるものであった。
既にこの世にいないルルデ・フィリスティアードの事で一人の人間が不幸になる事など、彼にとってはもはや許されないことだったのだ。
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