第十話 裁く者
船頭が港に到着した旨の案内をするまでもなく、大型の渡船の乗客達は下船のためにめいめい荷物を持って立ち上がっていた。
一人のアルヴィンの少年が、乗客のそんな様子をぼんやりとした表情で眺めていた。
いや、少年と言う表現はアルヴィンやダーク・アルヴには適切なものではないかもしれない。彼らは成人を迎えるまでは普通に成長をしていくが、あとはほぼその姿を維持したままで寿命を迎えるのだ。
デュナンの一般的な常識では少年か、せいぜい青年の一歩手前くらいの年齢にしか見えないのが小型アルヴ一族であるアルヴィンとダーク・アルヴの大きな特徴だった。
だが便宜上ここではそのこざっぱりしたウンディーネ風の旅装束に身を包んだアルヴィンを少年と呼ぶことにしよう。
五十人ほど乗っても、まだ余裕がある大型の渡船の船室には、彼のような商人風の人間が多く乗っていたが、誰もその端正な顔をした緑色の瞳のアルヴィンには注意を向けるそぶりもなかった。
緑色の瞳と金色の髪はアルヴ以外の血が混ざらない純粋なアルヴ族の徴(しるし)なのだが、ウンディーネではそれはもはや珍しい存在であった。
言い換えるならばつまり、緑色の瞳のアルヴィンやアルヴはウンディーネではあまり見かけなくなって久しいのだ。
だが人々はそんな彼を見ようともしない。まるでそこにその少年が存在しないかのようだ。少年もまた航海の間ずっと、船室に余裕があるにもかかわらずわざわざ誰のじゃまにもならないような船室の隅の隅を選んで、小さな体をさらに小さく丸めてじっとしていた。
他の商人達と違い彼の荷物は小さな背負い鞄が一つあるきりで、それだけを見ると、とても商売人とは思えなかった。
とはいえウンディーネは商業の国である。様々な物が交易される。それは手に取ることができる物ばかりではない。人と人とを仲介させる商売なら、契約のための羊皮紙一枚あればいい。そう考えると一概に彼が商人風ではないとは言えなかった。
「グズグズするな、このウスノロっ」
彼のすぐ近くで、品のないダミ声が響いた。目をやるとそこには一人の子供が横たわっており、その子供にもう一人の違う子供が覆い被さるようにしていた。
「さっさと立て。おまえらのせいで船を下りるのが最後になっちまうじゃねえか。さっさと市場でおまえらの買い手を見つけにゃならんのだよ。ほら、早く立て」
二人連れの目つきの悪い中年のデュナンが連れていたのは、まだ七、八歳程度にしか見えない、ほんの幼い二人の子供であった。彼らは航海の間中すすり泣く度に付き添いの中年のデュナンに怒鳴られており、少年のアルヴィンが何となく気にかけていた一行であった。
中年のデュナンは、もう一度早く立てと怒鳴ると、突っ伏したままぐったりとしている子供の腹をごつい革靴のつま先で強く蹴った。
「やめて下さい。弟は夕べからすごい熱で、もう動けないんです」
突っ伏した子供に覆い被さるようにしていた子供がそう言うと、もう一人の中年デュナンが手にしていた精杖を振り上げて強く打ち据えた。
その容赦のない打撃は抗議をした子供――少女だった――の首に直撃した。少女は嫌な鈍い音を伴い、声も上げずに床にたたきつけられた。
「バカやろう、これから仲買に売りつけるのに足下を見られるぞ、あんまり無茶するんじゃねえよ」
「フン。このガキゃ俺の事を睨みやがったんだぜ。ルーナー様に対する態度ってもんをきちんと教えてやらねえとな」
そう言うと精杖を持った方のデュナンは床に倒れた少女の頭を、足でさらに蹴りつけた。
「その辺にしておいた方がいい。今その子の首を打ったときに妙な音がしたぞ」
二人の様子をじっと見つめていたアルヴィンの少年はそう言うとゆっくりと立ち上がり二人の中年デュナンと倒れたままの子供達の間に歩み出して立ちふさがった。
「何だ、お前は」
どこからか目の前に突然現れた少年に二人の中年デュナンは驚いたが、すぐにそう言ってすごんでみせた。精杖を持たない方の男はアルヴィンの少年の胸ぐらを摑んだ。
「痛い目にあいたくなきゃ、ガキが口を出すんじゃねえ」
「言っておくが、私は子供ではない」
アルヴィンの少年はそう言うと自分の服を摑んでいるアルヴィンの手を払った。それは異様に強い力で、中年のデュナンは一瞬ひるんだほどである。彼の知る限り、それはアルヴィンのものとは思えないほどの腕力だった。
「こいつ、アルヴィンか」
「緑色の目だな、純粋培養のアルヴ族って訳か。ここいらじゃ珍しいな」
二人はあらためて目の前のアルヴィンを値踏みするように頭の先から爪先まで視線を這わせた。
羽織っているのが上等な外套なのは一目でわかった。袷から覗く細い首は、深い青色をした石で作られた美しい首輪で飾られていた。その首輪にも小さいがいくつかの宝石が埋め込まれており、こちらも一目で高価な装飾品であることがわかる。人物としての度胸が据わっているのは今の態度であらためて検証するまでもなかった。
相手がそれなりの地位を持っている商人だと判断した彼らは短絡的な暴力に訴えることを得策ではないと判断したようで、それ以上は手を出そうとはしなかった。
「大人のアルヴィン殿が俺たちに何の文句がある? 言っておくがこいつらはちゃんと金で買った俺たちの商品だ。こいつらの手形入りの証文もある。合法ってやつだ。お前さんが誰だか知らねえが、そんなお門違いの文句を言われる筋合いはこれっぽっちもねえんだよ」
アルヴィンはしかし、彼らの言葉にも顔色一つ変えず、無表情なままで訪ねた。
「金で買った、と言ったか?」
「何言ってるんだ、お前さん、耳が悪いのか?」
「子供を金で買ってどうするのだ?」
「どうするってヴォールの市場で仲買に売るに決まってるだろ」
無表情だったアルヴィンの少年の眉間にしわが寄った。明らかに不機嫌な様子に変化したのだが、二人組のデュナンにもそれはわかった。
「仲買は子供を買ってどうするというのだ?」
アルヴィンの言葉に、デュナンの二人組は顔を見合わせた。
「お前、何者だ?」
純血のアルヴィンであることや服装からそうだとは思っていたのだろうが、彼らの常識が通じない相手だとは思っていなかったようだった。
「私の事はどうでもいい。質問に答えろ」
「じゃあ、田舎もんに教えてやるよ。仲買はこいつらを金持ちに売りつける」
「もちろん、多くは慰みものにする為にな。こいつらは見た目の器量がいいから特別いい値段に売れるのさ」
「人身の売買は国際法で禁じられているのではないのか?」
アルヴィンが真顔のままでそう言うと、中年の二人組はそれぞれ同時に声を上げて笑った。
「このご時世に国際法とか杓子定規に守ってるのはシルフィード王国だけだろうよ」
「ウンディーネじゃ大っぴらじゃねえけど、もうずいぶん前から普通にやってる事さ」
「さあ、わかったろ、そこをどけ。すっかり時間を食っちまった」
そう言うと精杖を持ったデュナンがアルヴィンを押しのけようとした。だが、アルヴィンの少年はそれを例の腕力で押し戻した。
「何しやがるんだ。俺がいつまでもおとなしくしてると思うんじゃねえぞ」
中年の男が精杖を構えようとした時、騒動を聞きつけた船頭が客室に入ってきた。そして二人組のデュナンとアルヴィンの少年の双方を見やると、アルヴィンの方に声をかけた。
「お客人、悪いことは言わねえからここは黙って立ち去った方がいい。この人達は委嘱軍のお墨付きを持ってるんでさ」
「委嘱軍のお墨付きだと?」
「出るとこ出たら、あんた無事じゃすまないよ。とっとと目的地に向かった方がいい」
「なるほど」
少年はわかったという風にうなずいた。
「わかりゃいいんだよ。特別に今回だけは見逃してやるから、二度と俺たちの前に現れるんじゃねえよ」
精杖を持ったデュナンはそう言うと船頭にアゴで合図した。
「そのガキ共を運ぶのを手伝ってくれ」
うなずいた船頭が床に倒れたままの子供に手を伸ばそうとしたその時、アルヴィンの少年の言葉が強く響いた。
「動くな」
その声はそれほど大きな声ではなかった。だが、船頭はその剣幕に凍り付いた。そして思わずつばを飲み込んだ。その言葉にはそれだけの威圧感があったのだ。
顔を上げてアルヴィンの少年を見た。そこにはこちらを横目で睨む端正な顔があったが、それを見た船頭は瞬間的に体中に鳥肌が立った。訳がわからないが、本能が恐怖で悲鳴を上げているようだった。
アルヴィンの少年の雰囲気の変化は、例の二人のデュナンにも伝わっていた。彼らは一瞬にして吹き出た冷たい汗が、背中を伝うのを感じていた。
何かをしゃべろうとして口を開けたが、カラカラに渇いた口から言葉が発せられる事はなかった。
「出でよ、ルーメア」
固まったような三人を尻目に、アルヴィンの少年はそうつぶやいた。
すると、右手には青白い精杖が握られていた。よく見ると青い首輪が消えて無くなっている。
そう。アルヴィンはルーナーであった。それもただのルーナーではない。その証拠は忽然と額に現れたもう一つの眼が雄弁に物語っていた。
どう猛な肉食獣の口腔にも似た真っ赤な三つの眼を持つ存在。それが何を意味するのか知らぬ物はファランドールにはいないだろう。
アルヴィンの変化を目の当たりにした精杖を持った男、ルーナーと自称していたデュナンが思わずその精杖を振り上げようとしたが、彼は一言もルーンを発することなく動作を停止した。
青白い精杖を持つアルヴィンのルーナーが短いルーンを唱えたからだ。
「パラス」
精杖を持ったデュナンだけでなく、その場にいた全員の動きが止まった。
三人の様子を見渡したルーナーは無表情のままで口を開いた。
「本来なら私の仕事ではないが、目の前で堂々と法を犯していることを告げられたのでは見過ごすわけにはいかんのでな」
そう言うと、そのアルヴィンは後ろに横たわったままの子供達をチラリと見下ろしたが、すぐに顔を上げると、抑揚のない声でつぶやいた。
「賢者法に則り権限を行使する」
その言葉を聞いたルーナーは目を見開くと何かを言おうともがいたが、口を動かすことが許されていなかった。
「我が名は「蒼穹の台(そうきゅうのうてな)」。我が名の下、この場にてお前達二人を処刑するものとする」
彼らに弁明の余地は一切与えられなかった。
《蒼穹の台》ことイオス・オシュティーフェは間を置かずに短い認証文を一言唱えた。
「イェルナス」
するとどうだろう、イオスの目の前にいたはずの二人のデュナンの体が、白い煙のような物に変わったかと思うと、あっという間に霧散して消え去った。
イオスは後ろを振り返り、床に倒れたままの幼い姉弟の側でしゃがむと、姉の首に指を触れ脈を診ていたが、しばらくしてその頭を優しく撫でてやった。
同じように下になって倒れている弟の首筋に手を触れたが、こちらはすぐにその手を離した。
「すまぬな。私がティーフェではなくエイミイの一族であったなら、お前達を助けることができたのかもしれぬな……」
船底に倒れている二人の幼い姉弟は共にすでに脈を拍っていなかった。粗末な服装だとは思っていたが、よく見ればこの寒い中で服とも呼べぬ薄汚れた布一枚が巻かれているだけであった。既に手足の末端は黒ずんで凍傷にかかりかけており、ひどいあかぎれで傷口から肉が覗く程の状態だった。そしてその体にはおよそ子供らしい軟らかな肉などなく、枯れ枝のようにやせ細った手足がただついているだけ、そこにも濃淡取り混ぜた多くの内出血による痣や紐や杖で打たれたような細長い傷跡が随所にあった。
姉の言葉から察するに、弟はおそらく風邪か、もしくは肺炎による高熱に冒され、最後に残っていた体力を全て奪い去られて事切れたのであろう。蹴られても何の声も発しなかった時にイオスはもしやと感じていたが、まさにその通りで、彼は立ち上がることなど既にできなかったのだ。
姉はまだ弟よりは幾分体力があったのだろう。だがデュナンの男は手入れもいい加減な薄汚れ傷だらけの精杖を何の手加減もなく少女の首筋に振り下ろした。怒りが手加減を忘れさせたのか、当たり所がそもそも悪かったのか、その衝撃で少女の頸椎は折れていた。せめてもの慰めはおそらくあの瞬間に事切れ、苦しみを長く味わうことが無かった事であろうか。うつぶせに倒れた為、その時には姉の表情はわからなかったが、イオスの目の前に今横たわっている少女の目は開いたままであった。
イオスはそれに気付くと、手を伸ばしてまぶたを閉じてやった。
立ち上がったイオスは一人残った船頭にその三眼を向けると、精杖を伸ばして船頭の口先に突きだした。
「余の問いにのみ答える為、お前に言葉を許す。このような事はここでは日常茶飯事なのか?」
船頭は目でうなずいた。
「毎日って訳じゃありませんが、この季節はたまにね。まあ、奴らみたいな連中はガキの扱いが荒い奴が多いのは確かでさ。仲買に渡すまでが奴らの仕事ですからね」
恐怖で失神しかかっているにもかかわらず、一切震えもかすれもなく、言葉は明瞭で流ちょうであった。状況を見さえしなければ、まるで世間話をしているかのように思えるほど自然な口調なのだ。
それはおそらくイオスの持つ特殊な力「神の空間」が為せる現象であろう。イオスの問いには偽りなく答えるしかないという絶対服従の力である。あらがおうとしない限り、それは素直な言葉で紡がれるのであろう。
「商品が使い物にならなくなれば奴らも困るのではないのか?」
「へっ、このご時世、あんなガキどもならいくらでも居まさあ」
「そうか」
イオスは「もういい」と言う風に精杖を小さく振った。
船頭は目の前で振られる精杖の登頂に埋め込まれている青いスフィアを見るとは無しに見つめた。すると次の瞬間、そのスフィアが黒い光を発したように思えた。黒い光という言い方は矛盾しているかもしれない。だが船頭はそう思ったのだ。
そして、次の瞬間には我に返っていた。
「えっと……」
船頭はぼんやりした顔でぐるりと船室を見渡した。
「今回の客はあまり汚してやがらねえな。これなら掃除の人足を頼む必要もねえだろう。ありがてえこった」
そしてそう独り言をつぶやくと、誰もいなくなった船室を後にした。
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