第九話 双黒の左 1/3

 フリスト・ベルクラッセの名も、アプリリアージェやテンリーゼンと同様に「雷鳴の回廊」にて難破、死亡したという記録が公式としては最後のものである。

 しかし「ル=キリアの双黒」と呼ばれ、同じ黒髪のダーク・アルヴ、アプリリアージェ・ユグセルと並び称された程の力を持つフリストは、その後もしばし英雄簞には登場している。そのあたりもアプリリアージェ・ユグセルと全く同じである。

 フリストとアプリリアージェはしばしば同一視される事がある。

 同じような短めの黒髪と緑色の瞳を持ち、両者は共に風のフェアリーである。しかも両者ともに得意の武器は弓である事から、混同されやすいのは確かである。

 さらに話をややこしくしているのはル=キリア正史時代のフリストの髪は長く、ル=キリアの全滅が公式に認められた後の彼女は髪を短く変えている点である。

 現在語り継がれ、物語となっているアプリリアージェ簞は多いが、そのうちの何割かはフリストの話でないかと言われている。史実検証において、活躍した場所があまりに突拍子もない場所における逸話はフリストのものとして問題はなさそうである。

 アプリリアージェの行動には一貫した道筋があるが、フリストのそれは線で繫がらない。それはすなわちミリア・ペトルウシュカと行動を共にしていたことを証明するものであり、それを前提とする限り「突拍子もない場所」に現れるのはアプリリアージェではなくフリストという事になる。

 星歴四〇二六年、黒の六月にシルフィード王国の当時の首都エッダの北東にあるバランツという町で起こった近衛軍の中隊が何者かに襲われて全滅した、いわゆる『バランツ事件』は、当初、親衛隊、つまりキャンタビレイ配下の中隊による反乱だと噂されていたが、えん罪が証明され、その後は長く犯人が特定できず謎の事件とされていた。

 近年の研究により、襲撃の手順や手法などが、ル=キリアの戦術に酷似している部分がある事が判明している。

 つまり、ガルフ一行がミリアの岩壁に阻まれてノッダへ向かっている間に、フリストの部下であるル=キリア小隊がバランツで親衛隊を待ち構えていた部隊を殲滅したと考えられる。


 フリストについては、ミリアが数枚の絵を残している。それを見ればアプリリアージェとフリストを見間違える事は無いと言うことがわかる。両者は髪の色と瞳の色以外、全く似ていないのである。

 やや太めの眉と極端に下がった目尻が特徴的ないつも笑っているかのようなアプリリアージェとは違い、フリストは端正な顔つきをしているが普通のダーク・アルヴである。両者を並べれば全く違う人物であることは一目瞭然であろう。

 また、ミリアの絵を信じるならば、彼女は左利きであったようだ。右利きのアプリリアージェとはそこも違う。

 ミリアの残したフリスト・ベルクラッセを描いた数枚の絵は、どれも利き腕が左であることをわざわざ示すように矢を番えている姿ばかりである。

 フリストの絵の中で特に印象的なものは、絵を見ている人間に向かって、絵の中の射手が弓を構えているものである。ミリアにしては珍しく自筆の画題が付けられていた絵とされているが、本物は月の大戦後約百年後、所蔵していた美術館の火災により焼失しており、現存するものは、火災当時に美術館の修復担当学芸員であったテレイン・ブールジェの手による模写である。

 王立博物館所蔵のその絵の画題は「射る者。もしくは双黒の左」

 そしてこの絵にだけ、フリストの顔に傷がある。顔の左側の眉から左目を通って鼻を斜めに横断し、右の頬まで続く一直線にただれた傷である。

 もともと軍の公式な記録には、ある作戦によりフリストが顔に修復不能な傷を負った事が記されており、おそらくこの絵のフリストが実物にもっとも即した肖像と言えるであろう。

 しかしそれ以外の、模写ではないミリアの真筆の絵の中のフリストは、どこにも傷のない端正で美しい顔に描かれている。

 美術史家の中には、模写にあるフリストの傷はテレインが記録に合わせて書き足したものではないかと言う者もいるが、それはやや突飛な意見に過ぎると思われる。テレイン・ブールジェの日記には作業の進展具合は事細かに書かれているが、手を加えたような節はみられない。さらに彼は自らを芸術家ではなく、職人であると日記で独白している。精緻な複写技術こそが彼の真骨頂で、独自の解釈などそこには存在しなかったと考える方が妥当であろう。

 だが、残念ながら彼が残した模写の「元絵」は悉く件の火事で焼失したものばかりであり、彼の仕事を本物と比較する手段がない。

 とはいえ当時の美術関係の文献を紐解いても、彼の模写に対する批判が無いことから、彼は自らの仕事の忠実な僕(しもべ)であったに違いないと思われるのである。


 フリストの話は続いていた。

「以上の理由で『ザルカバード文書』は我がシルフィード王国から発信されたものである可能性が高いのです。少なくともあの偽の『ザルカバードの庵』にはシルフィードのバード庁の人間が関与している事は間違いないと思われます。そして今回のバランツで閣下を待ち伏せしていたのは近衛軍の中隊。ここから導き出される答えは一つです。すなわち……」

「もういい、フリストよ」

 少々長めのフリストの話の最後を、ガルフはそう言って遮った。そう言うガルフの表情が苦しそうに歪んでいるのを見て、フリストは目を伏せた。

「出過ぎた物言い、大変失礼いたしました」

 ガルフは何も言わずにただ唇を嚙んでいた。


「バランツにいたのは、近衛軍に間違いないのでしょうな? して部隊の規模や編成は? どこの部隊かおわかりか?」

 リーンはフリストの話が一通り終わったと見て、矢継ぎ早に質問を放った。

 彼は自身の「悪い予感」を裏付けるようなフリストの話に、ある種の満足を感じてはいたが、今後の行動指針を導き出す為には、その裏付けに背景を描きかったのだ。

 ミリア達はガルフ達親衛隊の動きを予測して動いていた。しかも驚いた事に彼らはまずノッダを訪れたのだという。

 既にエッダに向けて出立した後だという事を知ったミリアは、馬の補給基地となりうるバランツに戻り、ガルフ達を待ち受けることにしたという。

 だが、同じ事を考えていた者がもう一人いたという事である。しかももう一方の部隊は、凡そ国家の重鎮である王国軍大元帥を出迎える為にバランツ入りしたとは思えない面々であったという。

「指揮を執っている人間を偶然私は知っておりました。近衛軍中佐、クリヨン・アヨネットです」

「『蛇使いのアヨネット』か」

「はい。付き従うバードが四名おりました。もちろんバランツにはすでに精霊陣も敷かれていました」


 クリヨン・アヨネットは近衛軍では珍しく、攻撃を得意とする軍人で、多くのルーナーを使った精霊陣による局地戦を得意とする事で知られていた。

 相手を特定の場所におびき出すなり追い詰めるなりした後に、精霊攻撃で撃破するのが彼の常套手段だが、精霊陣を使ったその増幅攻撃が、地を這う精霊光を伴う為に、炎や氷の筋がまるで道を這って襲いかかる蛇のように見えることから『蛇使いのアヨネット』と呼ばれていた。

 本人はルーナーではなく、両手剣を得意とすると言われている。


「精霊陣、しかも攻撃系の陣を張った部隊を見て、大元帥の迎え部隊だと思えと言う方がどうかしています」

 フリストの言葉に、リーンはうなずいた。

「同じ迎えだとしても、全く別の歓迎でしょうな。しかし、我らがいつまで経っても現れないと知ったら、彼らはどうすると思われますか?」

 実のところリーンが一番心配しているのはその点だった。

 それなりの機動力がある親衛隊の馬車隊であるが、既にかなりの距離を走り詰めで、馬たちは弱っている。追っ手が馬車でやってくるとは考えにくい。彼らの多くは単騎の騎馬隊であろう。そうなると追いつかれるのは時間の問題であった。

 ミリア達がガルフを急かしていたのもその点であったのだ。

 だが、リーンの危惧に、フリストは微笑を浮かべて見せた。

「バランツの近くから親衛隊の気配は絶ちましたから、当座は心配ないでしょう。少なくともバランツにはもう、まともに馬に乗れる人間はおりますまい」

 リーンはフリストの言葉に眉根を寄せて、そのダーク・アルヴの女戦士を見つめた。

「お忘れですか? 我々は元ですが、あの『皆殺しのル=キリア』。今頃は私の部下達が、シルフィード国王に仇なす輩を襲撃、これを殲滅している頃でしょう」

「なんだと?」

 リーンは驚いてフリストの緑色の目を見つめた。今の言葉の真意を探ろうとしたのだが、もとより比喩や冗談ではないことはわかっていた。

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