第八話 銀翼の矢の部隊章 3/3

「あっては困りますが、道中いざという時には」

 リーンは先にガルフが乗り込んだ馬車の扉を開くと、フリストに乗車を促した。

「噂の弓の腕前を拝見したいものです」

 リーンの言葉に表情を少し緩めると、フリストは音もなく軽やかに馬車の中へ消えた。 続いて馬車に乗り込んだリーンは、そこに見知らぬ人間が存在する事を知り、固まることになった。

「おやおや。そこに突っ立っていては危ないぞ。とはいえあんまり広くない馬車だけどね。でも、そこだと図体のでっかい君でも座れるだろ」

 見知らぬ人間はなれなれしい口調でそう言うと、フリストの隣を顎で示した。そう言う本人は、ちゃっかりガルフの隣に座っていた。

 顔はともかく、リーンはその声に聞き覚えがあった。しかも、ごくごく最近に聞いた声である。

 そう。楡の梢から発せられていた声そのものだった。

「さあ、早く。馬車が動き出すと危ないよ」

 催促されて、リーンは無言でフリストの隣に腰を下ろした。

 アルヴがなんとか四人座れるだけの広さしかない馬車の中は確かに狭かったが、その男が言うほど窮屈な造りではないはずであった。

 しかもその男はデュナンである。フリストにいたってはもっとも小柄な種族、ダーク・アルヴ。ゆったりとまでは言えないが、充分な広さがあると言って良かった。

 リーンのはす向かいに座っている眼鏡をかけたデュナンの青年は、リーンに向かってにっこりと笑いかけていた。

 茶色の長い髪を無造作にひとまとめにして束ねている。

 身なりはやや派手な旅の装束で、細かい刺繍や大胆な生地の切り替えなどを見てもシルフィード風ではないのは一目でわかった。

 特徴的なのは、眼鏡の奥で笑うその目で、車内を照らすセレナタイトの光に照らされたそれは、茶色というよりはほとんど金色であった。

「いつの間にここに入ったのか? という質問はなしの方向で頼むよ、リーン・アンセルメ少尉」

 今まさにそれを尋ねようとしていたリーンは、機先を制されて思わずガルフを見た。この眼鏡の男が乗っているのを最初に見つけたのはガルフのはずであった。

「ああ。大元帥閣下とは一応、知らない仲じゃないんだ」

「知っている仲とも言えませんがな。一言で言うなら、そう『お噂はかねがね』ですかな」

「あはは。そりゃそうですね。一度挨拶をした事があるかないかくらいですから。それももうずいぶん前の話です」

「閣下、この男は?」

 ガルフは隠しからハンカチを取り出すとゆっくりと額の汗を拭った。

「粗相の無いようにしろ、リーン。この方はドライアド王国の北方にあるエスタリアの領主、ペトルウシュカ公爵その人だ」

「え?」

 リーンはまた頭の中でその名を検索した。

 いや、検索するまでもない名前であったのだが、意識が現状理解を放棄することを選んだのだ。

 だが、導き出された答えはただ一つであった。

「エスタリアとは、あの『白の国』エスタリアですか?」

「他にどんなエスタリアがあると言うのだ?」

「まあまあ。それにしてもまさか閣下がボクなどの事を覚えていて下さるとは思ってもみなかったから、びっくりしましたよ」

 ミリアはそう言うとわっはっはと笑った。

 対してガルフは苦虫を嚙みつぶしたような顔で答えた。

「驚いたのはこっちの方です、ペトルウシュカ公」

「いやあ、閣下が驚いて下さったのならボクもこんな所までやってきた甲斐があったというものですよ。いえ、もちろん驚かせる為だけに来た訳じゃありませんがね」

 

 リーンは混乱していた。

 もちろんペトルウシュカ公爵という名前は知っている。何しろドライアド王国の王位継承権まで持っている人物である。

 エスタリアはその領土の大きさもさることながら、ドライアド随一の古い歴史がある国でもあった。ドライアド王国にあっても、大陸を南北に隔てるように走るノーム山脈のおかげでドライアド王国の本体とも言える土地とは地理的に隔絶した地域でもあり、別格とされる領土であった。

 それに何より、その領主の二つ名が「バカ殿」であるという事で有名だった。

 ミリアの風聞はもちろんリーンの耳にも届いており、ドライアドの腐敗の象徴のように感じていたから、目の前にその本人が現れたと言われても俄には信じられなかった。

 それに何より「バカ殿」とあの壁が結びつかない。さらに言えばフリストとの関係も。

 いや。「バカ殿」が今回のアプサラス三世崩御、イエナ三世即位という一連のシルフィードの内政にいきなり首を突っ込むような真似をしてくる意味がわからなかった。

 リーンは視線をミリアからフリストへ移した。

「少佐の新しい主というのは、まさか」

 フリストはバツが悪そうに目を伏せて答えた。

「そのまさかです。私、いえ私たちは今、ペトルウシュカ公爵の身辺警護役のような事をしています」

「なんだと!」

 リーンは思わず立ち上がった。

「まさか少佐はシルフィード王国を裏切ったと言うのか?」

「彼女の名誉の為に、その暴言には一応抗議させてもらうよ、アンセルメ少尉」

 フリストが何かを言いかけたのを制すると、ミリアは眼鏡の中央部を人差し指で持ち上げながら落ち着いた声でそう言った。

「ペトルウシュカ公のおっしゃる通りだ。熱くなるなリーン。とにかくお話を伺おう」

 ガルフにたしなめられ、リーンは渋々とフリストの隣に再び腰を下ろした。

「初対面の君には改めて自己紹介をしておこう。ボクはミリア・ペトルウシュカ。一応ドライアド王国の公爵っていう事になっているけど、それもいつまで名乗れるやら」

「え?」

「いやいや。そんな話はいいんだ。まあ『エスタリアのバカ殿』と言った方が我が国同様、シルフィードでも通りがいいみたいだね」

「本当に、ペトルウシュカ公ミリア様……?」

「ミリアでいいよ、アンセルメ少尉」

「わかりました。早速ですが」

「いや、悪いけど最初にボクから一つ質問をさせてくれないか」

 ミリアはリーンにそう言うと、隣のガルフを見た。ガルフは何も言わずうなずいた。

「アプサラス三世が崩御された時、大元帥は今はノッダから動くべきじゃないと進言した者は親衛隊の中には誰もいなかったのかい?」

「それは……」

 リーンは言い淀んだ。もとよりその本人である彼の口からは答えにくい質問であった。

 それを察して、ガルフが代わりに返答した。

「最後まで断固エッダ行きを反対したのが、そのアンセルメ少尉です、ペトルウシュカ公」

「へえ」

 ガルフの答えを聞いたリーンを見つめるミリアの眼鏡の奥の金色の瞳が、一瞬光ったように見えた。

「ガルフ・キャンタビレイ王国軍大元帥には、若いが有能な幕僚がいるとは聞いていて、是非一度会いたいと思っていたんだけど、なるほど君がそうか。それでさっきの強引な回頭指示か。うんうん。合点がいったよ。キャンタビレイ侯爵の軍師として頼もしい限りだね」

 ミリアはそう言うとフリストに目配せをした。

「ボクの話の前に、まずはベルクラッセ少佐の話を聞いてもらおうかな」

 フリストは二人のアルヴに礼儀正しく発言の許可を得た上で、国王アプサラス三世の勅命を受け『とある賢者の庵』に入った時の事を話し始めた。


「だからフリスト、そこは素直に『ザルカバード文書に書かれていた庵』でいいんじゃないか?」

 ミリアがそう言って話の腰を折ったが、フリストは首を横に振った。

「今はミリア様の部下ですが、この件については守秘義務がございます。ドライアドの方に勅命を受けた機密作戦の全容を明かすわけには参りません」

 ミリアはフリストの言葉に肩をすくめて見せた。

「この件に関しちゃ、ずっとこの調子でね。こっちは一応その作戦とやらは知ってるって言っても駄目なんです。シルフィードの軍人ってやつがこれほど頑固とは思いませんでした。そう言うわけで話がめんどくさくて往生しているんですよ」

 ガルフはミリアの苦笑を受けるとうなずいた。

「ベルクラッセ少佐。王国軍大元帥の名において許す。この場の人間は全てザルカバード文書に関するル=キリアの秘密作戦については知っているものとして話すがいい。儂も面倒な言い回しに付き合うのは少々疲れる」

「承知いたしました」

 フリストはそう言うと満足そうな顔のミリアをチラリと見てから、二人のアルヴに向き直り、ミリアに折られた話の続きを始めた。

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