第八話 銀翼の矢の部隊章 2/3

 ル=キリアは通常部隊として軍の指揮系統に組み込まれる事が無い為、平素は軍隊章や階級章をわざわざ兵装に示す必要がない為である。海軍章や部隊章、階級章などは指揮系統に組み込まれている人間同士の間で機能するものだからだ。

 また実質的な側面からの理由もある。ル=キリアは隠密行動を主とする部隊である。通常、平服で行動することが当たり前の非兵装部隊である。そうなると軍隊章や階級章などを付けることは不自然なのである。

 とはいえ、他の部隊と全く接触がないかというとそう言うわけでもなく、補給や連携作戦などは少ないながらも行われる。その際にはやはり他部隊の構成員に対して階級・所属を示す必要性が出てくる。

 そういうわけで、普段は必要のないものだが、その「必要」な場面に際し身分を示す事ができるように、ル=キリアは部隊章と階級章を内襟に付けるという工夫をしていた。

 海軍の兵装時なら通常通りでよいが、平服行動時には襟を折り返して外向きに留め、部隊と階級を示す。その為に各自、作戦行動時の平服には折り返した襟を留める為のボタンを別途胸に付けている事が多かった。

 独立部隊であるのに一応海軍所属になっているのは、一つには主に儀式などには礼装が必要になるが、その為にル=キリア独自の礼装を作るという無駄を省く為にどちらかの所属としておく方が合理的だと思われたからであり、もう一つは、移動に船を使うことが多いという部隊の行動様式上の理由であろう。


 折り返した時に上下左右が正しくなるように縫い付けられたル=キリアの銀翼の矢の部隊章を、実のところリーンはこの時初めて目にした。

 シルフィード王国軍には四翅のスズメバチの部隊章と同様、銀翼の矢を知らぬ者などいないが、後者を実際に目にした者は少ない。

 しかも、そのダーク・アルヴの階級章は両鈎の錨が一つ。つまりそれはその階級章の持ち主が海軍少佐である事を表していた。対してリーンの右胸に縫い取られている階級章は左片鈎の錨が一つ。つまり少尉である。リーンとフリストとの階級差は三段階もあった。

 それだけではない。国王直轄であるル=キリアの階級は優先特階と呼ばれ、王国軍および近衛軍の二つ上の階級と同等とされているから、たとえ親衛隊とは言え、通常階級であるリーン・アンセルメ少尉から見たフリストは実質的に五階級上の大佐扱いなのである。


「しかし、ベルクラッセ少佐なら顔の傷が……」

 ル=キリアの部隊章を見せられてもまだ、リーンはそれを素直に受け入れられる事ができなかった。

 なにしろつい先だってル=キリアが「本当に」全滅した、という情報を得たばかりなのだ。さらに言えばフリストの部隊はかなり以前に彼女が率いた小隊全員が遺体で発見され、信用に足る筋により本人確認まで行われていたはずである。

 それに何より「双黒の左」と二つ名で呼ばれるフリスト・ベルクラッセ少佐には顔に大きな剣による傷があるはずであった。

「傷はなくともこの者がベルクラッセ少佐である事は間違いない。それともリーン、お前は儂の目よりどこの馬の骨ともわからぬ者から受けた情報の方を信じるのか?」

「いえ、それは」

「一言で言うならば『この者は本物だ』」

 ガルフはそう言ってリーンの言葉を遮ると、フリストに向かって静かに声をかけた。

「そんなことよりも、今『生き残り』と言ったな、フリスト?」

「はい」

「我々はル=キリアが全滅したと聞いておる」

「我がベルクラッセ小隊は私を含む四人全員が健在です。しかしながらル=キリアの他の小隊は一つを除き、間違いなく全滅であろうと思われます」

「お前達以外にも生存している者がいるというのか?」

「はい、キャンタビレイ大元帥閣下」

「その一小隊とは、もしや?」

 ガルフの問いに、フリストは小さくうなずいた。

「おそらくは閣下のご想像の通りでしょう。もっとも、私自身がこの目で生存を確認したわけではありませんが、他の小隊の死亡も件の一小隊の生存も、共に信頼できる筋からの確かな情報だとお考え下さい」

「ふむ。いや、その話は後にしよう。それよりもこれはいったいどうしたことだ? 風のフェアリーであるお前の仕業だとは思えんが」

 ガルフはそう言うと道を塞ぐ岩壁に目を向けた。

「おっしゃる通り、これは大地のフェアリーの能力。現在私が仕えている方の仕業です」

「今、何と申した?」

「我が主(あるじ)の仕業である、と」

「主だと?」

「はい。私をはじめベルクラッセ小隊は実のところ全員一度死んだ身でございます。従って今は全員が、新たな命を与えてくださった方にこの命を預けております。我が顔の傷もその方に消していただきました」

 フリストの説明に、ガルフはため息をつくと腕を組んでしばらく沈黙していた。フリストの言を信じない訳ではないが、信じられないような話であったからだ。だが、それでもガルフは大きくうなずいた。

「なるほど、想像以上に複雑な事情がありそうだな」

「我が主はどうにも少々子供っぽ……いえ、悪戯好きなところがございまして。この度の無礼は私が代わってお詫びいたします」

「詫びなどよりもまずはお教え下さい。ベルクラッセ少佐の雇い主とやらは、いったい誰なのです?」

 リーンは楡の梢を見上げながら、ガルフとフリストの会話に割って入った。

 フリストの態度から、とりあえず相手に敵意が無いと判断したリーンは、しかし辺りの警戒を怠らなかった。だが、警戒を続けていたはずの楡の梢からは、いつの間にか何の気配も感じられなくなっていた。

「我が名と名誉に賭けて後ほど必ずお引き合わせいたします。ですが、まずは急ぎこの場を離れましょう」

 リーンとガルフは顔を見合わせた。それを見たフリストが言葉を継いだ。

「私を信じて下さい、キャンタビレイ大元帥。これはシルフィード王国存亡に関わる問題なのです」

 その言葉を受けたリーンは、ガルフが返事をするのを待たずに動いた。

「全隊、回頭。ひとまずノッダに向けて移動する。その後の細かい指示は追って行う」

 ガルフが何かを言いかけたが、今度はリーンがそれを制した。

「今、この情勢で閣下に対してノッダに戻れという人間は、おそらく味方です。少なくとも私はそう判断します。ひとまずここは素直にはベルクラッセ少佐の言葉に従うべきかと思います。おっしゃるように何か訳があるのです。それに」

 チラリとフリストを見て、リーンは続けた。

「閣下はベルクラッセ少佐の命の恩人とやらに興味がありませんか?」

「むう……」

 ガルフは軽く唸ると改めてそびえ立つ壁を見上げた。いったいどうやったらこれほどの事ができるのか想像もつかなかったが、尋常な力の持ち主ではない事だけは確かであった。

「エルネスティーネ姫、いえイエナ三世陛下は大丈夫です。それよりも今はこの情勢を把握する事を優先すべきです」

「しかし」

「閣下!」

 まるで聞き分けのない子供を叱りつける父親のようなリーンの怒鳴り声で、ようやくガルフは意を決した。

「一言で言うなら『老いたる兵はもはや若者に従え』か」

「都合の良い時だけ年寄りの振りをしないで下さい。まだまだやってもらわねばならないことが山積なのですから」

「ふ。そうだな」

 キャンタビレイ大元帥には、こういう訳のわからない事態が生じた時には、より冷静な人間の判断に従うべきだという持論があった。

 想定外の事態に出くわした場合、当事者に近ければ近いほど視野が狭くなるのが普通である。それを知っているからこそガルフは後に続くものに対し、そう教え込んでいたのだ。

 ガルフはマントを翻すと、足早に自分の馬車へ戻った。

 その背中を見てリーンは心の中で胸をなで下ろすと、その場に控えたままのフリストに声をかけた。

「少佐殿もご同道いただけるのでしょうな?」

「お許しいただけるのであれば」

 フリストはそう言うと目の前に置いた短剣と弓をリーンに差し出した。

 だが、リーンはそれを受け取らなかった。

 敵意や他意が無いことを示すそのアルヴ族の矜持を、同じアルヴ族であるリーンは重く受け取っていたのだ。

 風のフェアリー、フリスト・ベルクラッセが「あの」ル=キリアにあって単独で部隊を率いて作戦にあたる程の能力のある人物である事を、リーンは知っていた。そしてそれがユグセル中将というル=キリア指令官からの絶大なる信頼を受けている人物であるからこそ任せられている役割だという事も。

 リーンとてル=キリアの風評は知っている。他の軍人と同様、実のところ余り良い感情を持っている訳ではない。しかし大元帥の幕僚長という立場にあるだけに、一般の軍人とは違い、より実態に近い情報を知り得る立場にいた。

 決して単なる人殺し好きの暗殺集団ではないことはわかっていたのである。

 何より、彼は個人的にル=キリア指令のアプリリアージェ・ユグセルに対して強い興味を持っていた。

 つまり、フリストからそのユグセル中将の事を聞きたいという思いもあったのだ。

 だが、それよりも何よりもフリストの態度には一片の曇りもない事が同じアルヴ族であるリーンにはよくわかった。

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