第八話 銀翼の矢の部隊章 1/3

「言いたい事があるなら聞いてやる。まず姿を見せろ」

 リーンは声のする楡の木の梢に向かって大声で叫んだ。

 相手がルーナーであるなら、何よりここは相手にルーンを詠唱する時間を与えてはならない。

 それだけではない。リーンには早急に対策を練る為の時間稼ぎとして会話を継続させる必要もあった。

 とはいえ、このままガルフ・キャンタビレイ大元帥をエッダに入れたくないという点において、リーンと楡の木の「賊」の利害は一致しているとも言えた。

 問題は相手がキャンタビレイ大元帥とその親衛隊に対して敵意があり、攻撃する意志があるかないかという事だった。

 どちらにしろ、相手が特定できないのでは戦略どころか戦術を立てるにもその精度が上がらない。隠れているという事は顔を知っている者なのか、もしくは知らずとも特定されたくはない立場の人間なのか、あるいは単純に自らの居場所を知られたくないだけなのか……。いずれにしろ推測の域を出ないのであった。

「いっそ楡の木ごと焼いてしまいますか?」

 リーンの側に控える下士官がそう進言したが、もちろんそれは上官によって即座に却下された。相手はそれを目的に挑発しているのかもしれないのだ。もしくはすでにこの付近一帯に罠が張られている可能性がある。先手を取られてしまっている以上、下手な大動きは一気に事態を取り返しのつかない状態に追い込みかねなかった。

 

 リーンの呼びかけに相手が反応しないまま、しばらく時が流れた。おそらくそれは一分にも満たない時間であったのだろうが、リーンをはじめ極度の緊張を強いられている親衛隊にとっては相当の長さに感じられた。

 リーンがガルフの表情を窺うと、彼の上官は泰然とした態度でじっと梢を見つめているだけであった。

 相手の長めの沈黙に嫌なものを感じ、焦りはじめたリーンは意を決してこちらから行動に出ることにした。

 その時である。件の楡の木とは道を挟んだ反対側にある茂みの方から、枯れ枝を踏み砕くような音がした。

 その音に全員の視線が集まった。まるで楡の木から注意を逸らすかのようなあからさまな大きな音に、リーンは「しまった」と唇を嚙んだ。つられてしまった後では、そんな後悔など何の役にも立たないのだが、それよりも視線を楡の木に戻せない訳がそこにはあった。

 今し方まで誰もいなかったはずの道ばたには、一人のダーク・アルヴと思しき女が片膝をついて、ガルフの方に向かって頭を下げていた。それはまるで主の前で静かに控える従者のようにリーンには思えた。

 アイスの光に照らされているとはいえ、顔を伏せている為にその表情はわからない。

 髪が黒いことからアルヴィンではなくダーク・アルヴであることはわかるが、その髪が短い。髪にはエーテルを集めやすくする力があるとされ、フェアリーが多いアルヴ族は男女問わず髪を長くのばしている者が多い。従ってそのダーク・アルヴの短髪は珍しいと言えた。大きな特長と言ってもいいだろう。その着衣も夜目に目立ちにくい黒っぽい無地の上下服で、いわゆる旅装束や平服とは違う。どうやら軽い兵装のように見えた。ただしリーンの知る限り、それはシルフィードのどの部隊のものでもないはずであった。

 その小柄な女ダーク・アルヴを一般人ではなく兵士であると判断し、その服が兵装であろうとリーンが判断したのには訳があった。片膝をつく女の目の前の地面に、短剣と弓が置かれていたからだ。

 それはつまり自らに攻撃の意志がないという事を示していた。

 リーンはしかし、その人物がいったい何者なのかという好奇心よりも先に、そもそも誰もいなかったはずの場所に、突然人間が降って沸いたかのように現れた事に対して軽く混乱していた。

 だがその場における彼の上官であるガルフは、若いリーンよりもいくらか冷静であった。

 彼はリーンがこの状況に対応する為に考えをまとめるだけの時間を稼ごうとしたのか、単純に興味を持ったのか、リーンよりも先にその謎の女ダーク・アルヴに声をかけた。

「顔を上げよ、ダーク・アルヴの戦士」

「はい」

 アプリリアージェに似た黒髪、しかしさらに短く軽快な髪型のダーク・アルヴは涼やかな声で返事をすると、ゆっくりと顔を上げた。

「ご無礼の段、なにとぞご容赦を」

 涼やかなその声は最初に耳にした楡の木の上からのものではなかった。そもそも楡の木の声は男の声である。

 要するにリーンたちの相手は複数である事がこれで判明した。

「我が主に敵意はございません」

 白い月、アイスに照らされた精悍な顔立ちの女兵士の顔は、ガルフとリーンをまっすぐ見据えていた。

 そのダーク・アルヴを見たガルフの顔色が変わった。

「そちはまさか、ベルクラッセ少佐か?」

 ガルフからそう声をかけられた女アルヴの兵士は、驚いたような顔をしたかと思う間もなく、その両の目にみるみる涙を溢れさせると、大元帥に向かって深々と頭を垂れた。

「まさか大元帥閣下に顔を覚えていただいているとは……これ以上の喜びはございません」

(ベルクラッセ少佐だと?)

 リーンは記憶にある王国軍の兵士名簿からその名を即座に検索し終わると、驚いてガルフとダーク・アルヴの両者を見比べた。

「まさか?」

 

 ガルフ達が驚くのも無理からぬ事であった。なぜならリーンが引っ張り出したフリストという名は、既に鬼籍に入っていたのだ。

 リーンの驚愕した表情を見たアルヴの女兵士は涙を拭うと海軍式の敬礼と共に、自己紹介を行った。

「申し遅れました。我が名はフリスト・ベルクラッセ。元シルフィード王国軍海軍少佐です」

「本当にベルクラッセ少佐なのか?」

「ええ。私はル=キリアの生き残りなのです、アンセルメ少尉」

 フリストはそう言うと、上着の一番上のボタンを外し、襟の内側をリーンに示した。白いアイスの光を受け、そこにはシルフィードの兵士であればまず知らぬ者はいない、銀糸で縫い取られた部隊章が輝いていた。

 リーンは確かに、そこに銀翼の矢の紋章を見た。それこそまさしくル=キリアの部隊章であった。

 そのル=キリアの部隊章の隣には、海軍少佐を示す階級章が縫い取られていた。


 ル=キリアは王国軍に於ける海軍所属の部隊であることにはなっていたが、通常の部隊と違い、いわゆる軍の指揮系統からは完全に外れた特殊な存在であった。

 シルフィード王国には大きく分けて二つの軍がある。一つは近衛軍。そしてもう一つが王国軍で、どちらも指揮系統の頂上は大元帥である。しかしル=キリアは例外で、名目上は国王の勅命で動く直轄の特殊部隊という事になっている。従ってその特殊性を他の軍に示す為にいくつかの特例が設けられていた。

 まずル=キリアはシルフィード海軍の「ムーンセイルに剣」の軍章を兵装に付けることはない。その代わりに誰が見てもすぐにわかるように独自の部隊章を付けている。ただし階級章ともども内襟に、である。

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