第七話 三つ数えろ 3/3
「おや。これまでの私の説明で何が不服があるのか」
「数が合わねえだろ? 十二色って言いながら三聖が三氏族、大賢者が四氏族。なのにお前はさっき、『残り四氏族』と言ったろ?」
「へーえ」
ニームはまたもやニヤリとした笑いを浮かべてエスカを興味深げに見つめた。
「やはりただの馬鹿ではないようだ」
「いや、そこはさすがに感心するところじゃねえだろ。子供でもわかる引き算だって」
エスカの抗議に、しかしニームは反応しなかった。代わりに質問で返してきた。
「十二色なのに、合計で十一しかない。大賢者は四人でその補佐も四人。大賢者は三聖が指名するのに、なぜか四人もいる。それはなぜだ?」
エスカは腕を組んで目を閉じた。
単純に考えればいいのか、それとも全く違う意味があるのか、それはわからなかった。だが、ニームはエスカとなぞなぞ遊びをやりたがっているのではないだろう。
だから、単純な答えを告げた。
「全ては四の倍数じゃねえか。だったら本当は『三聖』じゃ……ないってことか?」
ニームはしかし、そうだとも違うとも言わなかった。ただじっとエスカの目の奥を見つめていた。
エスカは今し方見たばかりの三眼ニームの顔を思い出すと、思わずゴクリと唾を飲み込んだ。
ニームが語った事は全て本当の事だろうと、彼はもはや確信していた。だが、それを認めると結局大きな疑問が頭をもたげてくる。
(ニーム・タ=タンこと大賢者「天色の槢」は俺、エスカ・ペトルウシュカに何を求めて近づいてきたのか?)
どう考えても、もはや五大老との駆け引きをどうのこうのと考えている場合ではないとしか思えなかった。
「今までの話は五大老、いやヘロン伯爵にも?」
「まさか」
エスカの問いにニームは首を横に振った。
「こんな話、おいそれと人にできるものか」
「……」
「『じゃあなぜ自分にはそんな話をするのだ?』と思ってる顔だな」
「秘密にしとくのが苦しくなったんで穴を掘ってそこに大声でぶちまけようとしたが、冷静に考えるとそんなことをしている自分がバカっぽい事に気づいてやっぱり誰かにしゃべりたいから俺を選んだ、っていうんじゃねえんだろ?」
「何だ、それは?」
「いや……何でもねえよ」
「そうだな。できるならばこんな話、誰にもしゃべりたくはない」
「じゃあ何故だ?」
エスカの問いに、ニームはすぐには答えず、一歩踏み出してエスカの目の前に立った。
「エスカ・ペトルウシュカ」
そして、ゆっくりとエスカの名を呼ぶと、それにエスカが答える前に続けた。
「エスカ。私はお前を見込んで選んだのだ。それをまず理解して欲しい」
「何だよ、いきなり」
「言い換えよう。いろいろな有力者を吟味した。だがドライアドではどうやらお前しか私の役にはたてそうもない。そう思って近づいたのだ」
「俺がお前の役にたつだと?」
ニームは大きくうなずいた。
「今、私の力の片鱗を目撃したであろう? エスカよ、お前はこの私を受け入れる事で味方としろ。それはお前にとって計り知れない力になる。公爵を継ぐなど簡単至極。それどころかお前が考えているドライアド王国の乗っ取りさえ現実味を帯びてくる」
エスカはニームのその言葉を聞くと、覚悟を決めた。
なぜかはわからない。だが、目の前の小さな大賢者がエスカの野望を全て見透かしている事に、もう疑問の余地はなかった。
その上で、力を貸そうと言うのである。もちろん大賢者ニームがマーリンの思し召しで自分のところへやってきたなどと考えるエスカではない。
相応の見返りは受け入れよう。そう思ったのである。
つい数時間前に礼服の事で愚痴をこぼしていた事が遠い昔の平和な出来事に思えた。
(おそらく……)
エスカは思っていた。
(今、どう答えるかで、俺の運命が大きく分岐する。そしてその分岐は俺一人の分かれ道ではないに違いない)
しばらく沈黙があった。ニームはしかし、エスカの答えをじっと待っていた。
「条件を聞こう」
それは彼女にとって満足のいく答えだったのだろう。能面の様な顔が少しだけ嬉しそうに微笑んだように見えた。
それは意識が作った笑顔ではなく、ニームの感情に呼応した笑顔だと、エスカは思った。
その笑顔を見て、ニームの背景がまた信じられなくなった。少しだけ嬉しそうに微笑むニーム・タ=タンの顔は、まだあどけなさが残る少女のそれ以外の何者でもなかったからだ。
「では私からの条件を提示しよう。『私』という武器を与える見返りにエスカ・ペトルウシュカに求めるもの。それは我が主人である
「《深紅の綺羅》の救出だと?」
エスカは思わず大きな声でそう言った。
てっきり大規模な土地、具体的にはサラマンダ大陸の半分を正教会によこせとでも言い出すのだろうと思っていたのだが、ニームが口にした実際の交換条件はあまりに漠然としており、しかも聞くだにその内容の困難さが推し量れるものだった。
それにエスカは気付いていた。ニームはあえて「私」と言ったのだ。それは「正教会」ではなく、個人ニーム・タ=タンとして動いているという事を仄めかしているとしか思えなかった。
聞きたい事はまだ山ほどあった。そもそもが簡単に答えられるような内容の話ではない。エスカはだが、頭に浮かんだ全ての疑問を全てたずねることはあきらめ、取捨選択をおこなった
まずは一番聞きたいものから聞くべきだ。そう当たり前に判断した。
「そもそも救出ってえのはどういう意味だ?」
その時、二人の間に張った緊張の糸を断ち切るかのように、扉を叩く音がした。
「お待たせいたしました。お茶と焼き菓子をお持ちいたしました」
エスカは声のする扉の方を睨むと、短く怒鳴った。
「後にしろ」
だがニームがそれを覆すように直接ロンドに声をかけた。
「かまわぬ。私にしては少ししゃべりすぎた。のどを潤すものが欲しかったところだ。入るがいい」
エスカはニームを睨んだが、ニームは意味ありげにニヤリと笑うと言った。
「丁度いい。ここからは彼にも同席してもらおうではないか。お前の腹心なのであろう?」
「いいのか?」
驚いてエスカは尋ねた。
彼としてはニームの為に今の段階ではまだロンドを遠ざけておこうと思ったのだ。
「お前のことは調べたと言ったはずだ。ロンド・キリエンカとお前の関係もわかっている。私はこれからお前の片腕になるのだ。そしてロンドもお前の片腕だ。お前にとってなくてはならない両の腕がそれぞれてんでばらばらでは、まともな事はできはせぬ」
「お前は本気で俺の片腕になると言うんだな?」
「もう一度言う。お前の一方の腕の名はロンド・キリエンカ。そしてもう一つの腕の名は、ニーム・タ=タンだ」
「おい、俺はまださっきの話を承諾したわけじゃねえ」
そう言った時、扉が開いてロンドが台車を押して入ってきた。
「承諾してもらう。それにきっと彼が私の話を聞けば、承知しろとお前に進言するに決まっている」
「お前……」
「ふふふ。ああ、なんておいしそうな!」
《天色の槢》 すなわちニーム・タ=タンを描いた絵は有名無名併せていくつもあるが、中でも最も有名でありながら、もっとも人の眼に触れることのない一枚の絵が、ミュゼの王立美術院に秘蔵されている。
この絵が一般向けに公開されない理由は、エスカの遺言によるものだと伝えられる。
例外として年に一度だけ、ニーム・タ=タンの誕生日に最も近い白の三月、最初のアイスの望月の夜に希望者の中から抽選で選ばれたもの十二名だけが鑑賞を許されている。
真っ白なドレスを纏った焦げ茶色の髪の少女が、尖塔の頂上で危なげに立っている。
いや、浮いているのかも知れない。
そこに吹く風は強く、その風を受けてその焦げ茶色の髪が乱れて美しい少女の額があらわになっている。
その額には第三の眼が大きく見開かれており、合計三つの真っ赤な瞳がじっと空を見つめている。
そんな絵である。
その絵の特徴は構図にある。
絵は尖塔の頂上に立つニームが凝視するその視線の先。つまり空中から彼女を見下ろす視点で描かれているのである。
見上げるニームの三つの眼はどれも鮮やかな赤色をした血の涙を流し、白いドレスにいくつもの染みを作っている。
右手に持っているのは彼女の絵によく描かれている乳白色の精杖ではない。その代わりに、その小さな手は野薔薇の枝を強く握りしめている。薔薇の刺はニームの手を刺し、掌からも血がしたたり、白いドレスを汚す。握りしめる野薔薇の色はその血と同じ暗い赤で塗られており、花の数はペトルウシュカ男爵のクレストと同じく四本である。
絵の木枠には珍しく作者による題字が記されており、そこには『頂の少女』とある。
ミリア・ペトルウシュカの手による美しくも見るものを少々恐ろしい気分にするこの絵は、その構図の大胆さもさることながら何種類もの顔料を配合した赤の絵の具の鮮やかさや今にもしゃべり出すかのようにみずみずしくも生々しいニームの桃色の唇、そして見ている者をいたたまれない気分にする何とも寂しげな表情など、ミリア研究家の間では傑作の一つとされている。
エスカがこの絵の一般公開を嫌った理由は諸説あるが、ミリアが調合した特殊な色の赤絵の具の耐光性が極めて低く、長期間光を当てるような掲示には耐えられないと判断した為だというのが多くの絵画研究家達の通説だが、勿論異説も多い。
もちろん、その真の理由を知るすべはもはや我々にはない。
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