第九話 双黒の左 2/3

 フリストの言葉を聞いたガルフはしかし、リーンとは違って表情を全く変えなかった。大元帥はフリストではなく、ミリアに声をかけた。

「ベルクラッセ小隊は確か全員が健在という事でしたな」

 ミリアはうなずいた。

「そんなつもりは無かったんですがね。でも、バランツにやって来た近衛軍の連中はやってはならないことをやってしまったんです。ル=キリアの連中はフリストはじめ、全員喜んでボクの意見に賛成してくれましたよ」

 ガルフはミリアの答えに目を閉じた。

「儂が動いたせい、か?」

 ミリアはうなずいた。

「間接的にはそうですね。あなたはこの優秀な軍師の進言に従うべきだった。でもまあ、もう済んだことですよ。無駄になった時間はこのボクが巻き戻しますから、あなたはこの後あなたに出来る事をすべきでしょうね。そしてあなたに出来る事とは、同じ不幸をこれ以上招かないように行動する事ですよ、閣下」

 リーンは二人のその会話で、バランツで起こった事を理解した。同時に、ル=キリアの掲げる部隊憲章を思い出した。

『国王に仇なすものを殲滅すべし』

 つまり、ル=キリアの敵は国王に敵対するもの全て、である。

「アンセルメ少尉はまさかボクがドライアド軍の人間としてシルフィードの部隊を襲わせたなんて考えてはいないよね」

 黙っているリーンに、ミリアはそう声をかけた。水を向けられたリーンは素直に従う事にした。

「敢えて伺いましょう。アヨネット中佐は、いったいなぜペトルウシュカ公爵の怒りを買ったのです?」

 ミリアは片側の唇だけを曲げて冷たい笑いを作ると、感情を押し殺したような低い声でつぶやいた。

「君たちにはこう言った方がわかりやすいだろう。『バランツはユーラになった』とね」

 ミリアの一言は、明らかにその場の空気を変えた。彼の部下であるフリストですら、手に持った弓を握る手に力を入れていたほどである。


「我が主の言うことは本当です。私たちがバランツに着いた時に生き残っていたのは、馬だけでした」

「わかりました。それ以上はけっこうです」

 リーンはフリストが絞り出した言葉に思わず反応して、それを遮った。それ以上は聞きたくなかったのだ。

 アヨネット中隊は、バランツで親衛隊を殲滅する為に、まず村人全員を犠牲にしたのである。

 村人を全員殺害した目的はおそらく二つであろう。

 一つは近衛軍が親衛隊を殲滅した目撃者を作らない為。そしてもう一つは、その惨劇の罪を親衛隊に全てなすりつけ、その逆賊を退治したアヨネットの部隊、いや、彼を操る黒幕に正義を名乗らせる為である。


 フリストの話によるとアヨネットが率いる中隊は全軍で五十人程だという。

「しかし、少佐の部下は三名なのでしょう?」

 リーンはそれで大丈夫なのか、と問うたのだ。

 フリストは無表情で返した。

「先ほども申しあげた通り、我々は『あの』ル=キリアなのですよ、少尉」

「しかし……」

「ル=キリアの実力は味方よりもむしろ敵の方がよく知っておろうな」

 ガルフはそう言ってリーンをじろりと睨んでけん制した後、落ち着いた声でフリストに尋ねた。

「念のために聞いておくが、お前の部下とは誰だ?」

 フリストはミリアを見て、彼が頷くのを確認してからそれに応えた。 

「イブキ・コラード少尉、クシャナ・シリット少尉、それにシーレン・メイベル中尉の三名です」

「ほう。えらく攻撃的な小隊だな」

「御意」

「なるほど、それならば奇襲をかければ五十人などあっという間であろうな。一言で言うなら『アヨネット部隊に同情する』だな」

 フリストは隊員の名を告げただけでガルフがその人物を間違いなく特定している事に内心驚いていた。軍の最高責任者の椅子に座る者が、将校とは言え、たかだか尉官である一人一人の名前を知っている事がそもそも驚きであるが、それだけでなくその特性までも摑んでいるなどとは夢にも思っていなかったのだ。

 ミリアはフリストのその気持ちを察していたのだろう。笑いながら部下に声をかけた。

「ボクが言った通りだろう? 今度の戦争がばかばかしい三文芝居なのは仕方ない。でもたとえ三文であろうが、芝居が始まる前にこの傑物に役を降りてもらうわけには行かないのさ」

「『役』、だと?」

 リーンは思わず敵意を隠しきれずに、そうミリアに詰め寄った。

「先ほどから伺っておりますと、何もかも知ったような物言いですな、ペトルウシュカ公爵」

「リーン!」

「かまいませんよ、大元帥」

 部下を叱咤したガルフに、ミリアはそう言って大丈夫だという風に手を挙げて見せた。

「閣下はもちろんの事、ボクはこちらにおられるアンセルメ少尉にお会いする為に来たのです。初対面にもかかわらず、かくも本音でぶつかってもらえるとはむしろ光栄の至り」

 余裕たっぷりにそう言うと中指で眼鏡を押し上げて、ミリアは憤然とした表情のリーンににっこりと笑って見せた。

「もちろんボクが何もかもを知っているわけではないけれど、おそらく今回の君達の敵と同じ程度の事は知っていると思うよ」

「私たちの敵だと?」

「ここまで知ったんだ。もう敢えて名を伏せる必要もないだろう? 君だってわかっているはずだ。生き残りたいなら彼とは本気で戦う覚悟が必要だとね」

 ミリアはそう言うと今度はその顔をガルフに向けた。

「そして、それはあなたにも言える。キャンタビレイ大元帥」

 ガルフはしかし、ミリアの言葉に対して無言だった。ただ、その目は異邦人の眼鏡の奥で光る金色の目をじっと見つめていた。

「そもそも当初のボクの読みでは、今度の戦争はサラマンダの東海岸、要するにトリムトあたりでドライアド軍が一斉に拠点制圧を行う事に端を発して勃発するはずでした。もっともそれは閣下も予想していたはずでしょうがね。それがあろう事かシルフィードの指導者の急逝が政変の引き金となり、シルフィード王国から動き始めるとは、全くもって予定外ですよ。元々今度の大戦はシルフィード側には不利な闘いです。圧倒的な兵士の数の差は明らか。国是故に先に攻め込むわけには行かず、かと言って守りに徹するならば広大なサラマンダ大陸がドライアドの手に完全に陥ちる。ドライアドはシルフィードににらみをきかせつつ、じっくりサラマンダ大陸の支配体制を整えた後、準備万端の状態で改めてシルフィード大陸の西と東から一気に同時侵攻を始めるでしょうね」


 ミリアの予想はリーンの戦況分析と全く同じものだった。

 世間的にはアルヴ族中心のシルフィード軍は、数の差などをものともせず、戦力は事実上互角以上ではないかと思われていた。

 しかし、シルフィードには戸籍制度がある事が災いし、ほぼ正確な国民数がドライアドには漏れていたのである。

 国民皆兵をうたうシルフィードであるが、そもそもドライアドとは人口差が二十倍以上ある事がすでに事実として判明していた。いわゆる概算兵力の数の差にいたっては、サラマンダ侯国軍をドライアド側の数に入れるならば、軽く十倍以上の開きがあったのだ。さらに言えば本気で戦争準備を整えているであろうドライアド王国は戦略的にすでにシルフィード王国よりも優位に立っている可能性が高い。

 シルフィードと言えば、この時期に法で定められているノッダへの遷都事業に国力を集中させており、軍の最高責任者がその暫定総領事として陣頭指揮を執っている段階であり、世界大戦へ向けての準備を周到に行える余力はないと言えた。

 リーンはその事をかねてより危惧しており、ガルフへ進言はしていたが、懸念が簡単に晴らされるとも思ってはいなかった。

 彼なりに様々な工作は行ってはいたが、リーンの計算ではそれでも圧倒的に時間が足りなかった。

 そこへアプサラス三世急死の知らせである。彼の焦りは頂点に達していた。

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