第六話 ニーム・タ=タン 2/3

 ニームは肩をすくめると、エスカから目を逸らしたままで出された果物の盛り合わせと生ハムと野菜のサンドウィッチをきれいに平らげた。そして二杯目のジュースに手を伸ばしながら、今度は脈絡のない質問をした。

「それにしても、お前はいつもこんなおいしい朝食をとっているのか?  それとも来客用の特別な軽食なのか?」

 エスカはニームの見た目に似合った子供らしい食べっぷりを感心したように見守っていたが、その言葉を受けて、ふと気付いたように自分の前の皿をニームに差し出した。

 ニームは差し出されたフルーツの皿とエスカを見比べた。

「よいのか?」

「ああ。来客用というか、ウチの普通の軽食だな。俺は朝起き抜けに透明人間を見ちまってから、なんか食欲がねえんだよ。気にせず食え。」

「透明人間は見えないから透明人間と言うのだ」

「いや……」

「何だ?」

「何でもねえ」

「煮え切らぬヤツだな。まあいい。しかし、これが普通か。貴族とは言えどうにも贅沢な話だな。でも、お前も食事だけはちゃんととらねば、体をこわすぞ」

「いや、食事どころじゃねえ気分になるような話をしてる奴からそんなこと言われてもな」

 ニームは馬鹿にしたような目でエスカを一瞥すると、すぐに皿に手を伸ばした。

「やれやれ。予想以上に肝の小さい男だな。だが、せっかくだからこれは遠慮なくいただくことにしよう。掛け値なしにお前の屋敷の果物は質が良い。バード庁の専用厨房が出す食事はそれなりに豪華だし決して悪いものではないのだが、何というかこう、いまひとつ私の口には合わぬのだ。もっともヴェリタスの食事ときたらそもそもお話にもならんがな。あそこのは貯蔵食ばかりで憂鬱きわまりない。乾燥イチジクくらいだな、おいしいのは。だからミュゼに来て普通の食事を見たときはここは地上の楽園かと思ったものだが、慣れというのは人間の感性を腐敗させるものだということだな」

 最後の方は自嘲気味に独り言よろしくつぶやくニームであった。


 自分より遙かに若い子供のような女の子に、いかにも相手をバカにした様子で「肝が小さい」と言われようが、実際にエスカは食事どころではなかった。いきなり未知の世界の存在を提示されて「本当の事です」と言われたようなものなのだ。だからニームの話をまともに聞いていると頭痛を覚えてもおかしくない状態と言えた。

「ヴェリタスって言うと、正教会の本拠地のヴェリタスか?」

「私の知る限り、ヴェリタスという地名はファランドールには一つだけだ。ほかにヴェリタスがあれば教えて欲しいものだな」

「まあ、それは俺もだ」

 ニームは横目でチラチラとエスカを見ながら、その形のいい口に食事を運んでいた。エスカにはそれも自分を馬鹿にしたような顔に思えていた。


「うぇっと、はんのふぁなひらっらか?」

 ニームは大きな白桃のシロップ漬けの切り身を口いっぱいに頬張りながらエスカに声をかけた。

「食うかしゃべるかどっちかにしろ。ヴェリタスやバード庁で行儀が悪いって言われた事ねえのか?」

「私を誰だと思っているのだ?  ヴェリタスでは賢者、ミュゼ王宮では特級バードの私に意見する者など、どこにもおらぬ」

 そう言うとニームは胸を張った。

「いや、そこは偉そうに言うところじゃねえ」

 エスカはまたもや頭をくしゃくしゃとかき回した。

「ああ、まったく。なるほど、わかった。お前はわがままお嬢様よろしく思いっきり甘やかされて育ったって事だな?  よし。誰からも意見されないなら、これからは俺が意見してやる。いいか、俺の家で暮らすつもりなら、今後は最低限の行儀は覚えろ。ヴェリタス風とかバード庁風は忘れろ。俺んちではエスタリア風が正義だからな」

 三切れ目の白桃のシロップ漬けを頬張ったまま、ニームが何かを言おうとしたのをエスカは掌を突き出して制した。

「勘違いすんなよ。これは命令じゃねえ。お前の為を思って助言してんだぜ。でないとお前、たぶんひどい目に遭うぞ」

「ひどい目?  たぶん?」

 ニームは白桃のシロップ漬けを飲み込むと、四切れ目をチラリと目の端で押さえながらも、エスカの顔をみやった。

「まあ、その話は後だ。それより三聖が数千歳の化け物だという話だろ」

「ああ、その事か」

 ニームは残りの白桃のシロップ漬けに取りかかった。

「『化け物』とはまた遠慮会釈無く的を射た表現をするものだな……」

「え?」

 ニームの視線は白桃のシロップ漬けの皿に釘付けで、エスカの顔はもう見ずに言葉を続けた。

「良いか?  三聖もそうだが賢者の名前というのは一般人で言うところの役職名のようなものだ」

 エスカは眉間に皺を寄せると、無表情で桃を頬張っているニームを睨んだ。

「役職名だと?」

「うむ。役職名というのは適切な表現ではないかもしれぬが、つまり賢者の名とは『継がれるもの』だ」

「名前は不変で、名乗る人間だけが入れ替わっているってことか?」

「そう言う理解で間違いではないな。まあ正確に言うなら受け継ぐのは名前だけではないのだがな」

「ほう」

「かく言う我が名も、先代から受け継いだものだ」

「そういやあ、お前の賢者の名とやらはまだ聞いてないぞ」

「現世(うつしよ)の人間においそれと名乗るものでもない。だがお前には明かしておく必要があるだろうな」

「もったいぶるような名前なのか?」

「賢者の名は特別だ。全くそんなことも知らぬとはな。まあいい。私の賢者の名は《天色の槢(あまいろのくさび)》 ニーム・タ=タンも真の名には違いないが、我々はそれを賢者になる前の人であった時代の名、すなわち現名(うつしな)と呼び、賢者の名とは区別している」

「あまいろ?」

「そうだ。驚いたであろう?」

「いや、俺にはどこが驚くところなのかがさっぱりわからん」

「まったく、困ったものだ」

 ニームはあきれた、という風に心の底からため息をついて見せた。

「なら教えろ。俺はどこに驚けばいいんだ?」

「私は大賢者天色の槢 十二色である「タ=タン」の王。つまり人の筆頭としての存在だ。よく覚えておけ。ただし不用意に他人にしゃべる事は許さん」

「はあ?」

「ふん。さすがに今度は驚いたか?」

 エスカは頭の上に指で輪を描いて見せた。

「お前は可愛そうなヤツだったんだな、という意味では驚いた」

 ニームは再びため息をついた。

「このボンクラに、いったい何をどう説明すればわかってもらえるのだろうな」

「何をどう理解しろってんだよ?」

 エスカはそう言うとニームと同じようにため息をついた。

「ボンクラというところは否定せんのだな」

「俺の兄貴が『うつけ』だからな。弟がボンクラでも何の不思議もねえ」

「言っている意味が全くわからん」

 今度は二人同時に小さなため息をついた。


 悪い夢でも見ているのかも知れない、とエスカは思った。

 受け入れ難い事象に立ち会った際、現実逃避に走る人間など最低だと常日頃思っていたエスカだったが、いざ自分がその立場になるとそれは無理からぬものだったのだと言うことを理解した。

(今まで、バカにしてスマン)

 エスカは誰にともなく心の中で謝った。

 もちろん現状把握を放棄してそういう行為に逃避しているだけの話なのであるが。


「面倒な奴だな」

 ニームは再度ため息をつくと、少し冷めた紅茶に手を伸ばした。エスカはそれを見るとニームの手に自分の手を重ねてやんわり止めた。

「え?」

 エスカのその行為に、不意を突かれたようにニームは驚いた顔をした。エスカはそれには反応せず、卓の上にある磁器で出来た呼び鈴を持ち上げて揺らし、乾いた涼しげな音を二度鳴らした。

「そのまま、ちょっとだけ待ってろ」

 その言葉が告げられた十数秒後に扉がノックされた。エスカが入室を許可すると、執事長ロンド・キリエンカが注ぎ口から細い湯気を上げる白いポットを恭しく掲げながら、足音もなく部屋に入ってきた。

「新しい紅茶でございます」

 そう告げるとロンドは、まずニームの前にコトンと小さな置物を置いた。それは品の良いリリスの枠細工がなされた青い砂時計だった。

「この砂が落ち切ったら飲み頃でございますので、恐れ入りますが今しばらくお待ちくださいませ」

 ロンドは心持ち胸を張ってそう言うと柔らかな物腰で一礼し、湯気の立つポットを砂時計の側にそっと置き、さらには冷めた紅茶が入ったニームのカップを受け皿ごと優雅な手つきで取り替えた。

「後は俺がやっとく。お前は器だけ下げてくれればいい」

「それはそれは」

 エスカの言葉に彼の執事長は少し驚いたような顔をすると、改めて小さな客人の顔をチラリと見た。

「かしこまりました」

 ロンドはそう言うと実に素早く、しかも長身のアルヴとは思えない柔らかい身のこなしで空になった白桃のシロップ付けの器をはじめとする食器類を全て下げると、一礼して部屋を出て行った。

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