第六話 ニーム・タ=タン 1/3
「念のために訪ねるが、三聖の名は知っておろうな?」
「紳士録の正教会の頁を開けば最初に目に入る三人の名前を知らない大人がいたら俺の前に連れてこいよ。耳元で百回くらいは名前を連呼して覚えさせてやるぜ」
「ふふふ」
「まあ、物語の登場人物を実在の人間よろしく堂々と紳士録に載せ続けるってのはどうよ? って俺はいつも思ってんだけどな」
「なるほど。やはりお前達の認識はその程度なのだろうな。別の意味で安心した」
「何だと?」
ミュゼの市街地の中心部からは少し外れた所にあるエスカ・ペトルウシュカの屋敷では、ドライアド王国軍の新米少将と大佐が円卓を間に挟んで向かい合っていた。
そこは応接間で、エスカの屋敷に同居する事になったニーム・タ=タンはそこで自室の準備が整うのを待っていた。エスカの計らいで出された軽い食事をとりながらエスカとニームはお互いに腹の探り合いをしている状況であった。
もっともニームの方はエスカの質問にはあっけないほど簡単に様々な情報を提供していたので、腹の探り合いという形容は不適切なのかもしれない。
だが、どう考えても重要事項……いや機密事項としか思えないような情報まで、問われるままにあまりにあっさりと喋るニームに、エスカはかえって不信感を募らせ始めていた。そして話がまさにマーリン正教会の中枢に関する事に及んでいた。だが、この時にはもうエスカの不信感は馬鹿馬鹿しさに変わりつつあった。
そもそもニームの自己紹介にエスカはひっくり返りそうになったのだ。小柄な少女はいきなり自分は正教会の賢者で、ドライアドには諜報の為に入り込んだのだと告げたのだ。もちろん真顔で、しかも陽気の挨拶でもするかのようにあっさりと、である。
開いた口がふさがらないと言った表情のエスカに対して、ニームは極めてまじめくさった態度で自らの背景を語りはじめていた。
そしていよいよ三聖の名が出たのである。
「三聖が架空の人物だと思っているようでは飛ぶ鳥を落とす勢いのエスカ・ペトルウシュカ男爵の器量も底が知れると言うものだぞ。各国の要人ともなれば『王族・貴族・教会名鑑』 すなわち『紳士録』に偽りがないことくらい知っているものだ。そもそもこれからの戦いで勝利を得ようと考えているのならば、もっと精度の高い情報源を確保した方がいい。それから相応の知恵者も配下に持つべきだな」
エスカは頭をかきながらニームの話を止めた。
「あのな」
「なんだ?」
「いや、そのお子ちゃま顔でまじめくさってそういう国際的に見ても重ーい部類に入ることを言うのは勘弁してくれねえか?」
「だ、誰がお子ちゃま顔か!」
ニームは目をつり上げると、ムッとした顔でそう言った。
出会ってからたいした時間は経っていない。だがその間にもエスカはいろいろな言葉を投げかけて注意深くニームを観察していた。そしてどうやらニーム・タ=タンは子供扱いされる事と身長の低さをからかわれると敏感に反応することを突き止めていた。
「じゃあ何か? お前は紳士録に書かれている青と赤と黒を名乗る三聖ってヤツが実在する人物だっていうのかよ?」
「無論だ」
「ほーお……」
エスカは紅茶の受け皿をテーブルに置くと目の前の茶色い瞳の少女を値踏みするかのようにわざとじっとりとした眼差しで見回した。
ニームの艶やかな焦げ茶色の髪は癖もなく首筋あたりで切りそろえられている。ただ、左右の耳のあたりの髪だけは長く伸ばし、それぞれを色のついた幅の細い結布(ゆいふ)でまとめてあった。巻き付けられているその紐状の布は一本や二本ではないようで、さらにそこにはエスカが見たこともない文字とも記号ともとれるようなものがびっしりと記されていた。
客観的に見て、ニームは極めて美しい少女だと言えた。もっともアルヴィンの血が入っているのならそれも納得である。当然とさえ言えた。すなわちニームはデュナンにしては造形的に整いすぎた顔立ちで、黙っていると血が通っていない人形の様に見える。つまり、アルヴィンのよう、だったのだ。やや小柄なのもアルヴィンの血のせいに違いなかった。
そう思ってあらためて見れば、笑いをあまり見せず、総じて表情に乏しい所はアルヴ系の人種そのものである。
アルヴィンの血が入っているとなると、見かけ年齢があてにならないのが常である。デュナンの物差しを持ち出すなら、エスカにはまだニームは成人前の少女にしか見えなかったが、ドライアドのバード庁ではその実力故に彼女に逆らえる者は居ないとまで言われている存在だという。であれば素質があったとは言え、それ相当の期間を修練や鍛錬に費やしていなければならない。
そもそもバード庁の重鎮になる者の多くは老人と呼んでいい年齢に達している。その中にあって二八歳という年齢は、異例に、いや異常に若いと言ってよかった。しかもただのバードではない。特級バードという特権だらけの極めて高い地位にある人物なのだ。普通に考えるならば、その才能は計り知れない。要するに想像出来ないほどすごい、という事になろう。
エスカは勿論、ニーム・タ=タンという特級バードの存在を情報としては知っていた。正確に言えば名前とその評判の断片程度を知っていただけである。そもそもバードは国家の秘密兵器のようなものであるから、その名前が一般に漏れることはない。エスカの情報網だからこそ何とか知ることが出来る程のものである。だが、実際に目の前にいるこの十三、四歳にしか見えない少女に自分はニーム・タ=タンだと名乗られても、これが噂の特級バードなのかとすんなり飲み込めるわけもなく、その時点で名前から何からすべてが半信半疑の状態だったのである。
さらに言えば、ニームが告げた「自分は賢者の一人である」という話にいたっては、いきなり意味不明なホラ話が始まったとしか思えなかったのだ。
とはいえ先刻五大老との謁見の場で姿を消したままその場に存在し続けていた事はどうやら事実であり、そこまでのルーンが使える高位のルーナーであるらしいことだけは認めざるを得ない状態であった。
要するにエスカはいまだに軽い混乱の中をさまよっていた。
「本当に居るんだな、三聖は?」
エスカは冗談ではなく真剣にものを尋ねるときに見せる、相手の目を覗き込むような仕草でニームを見た。
ニームはエスカのその目でじっと見つめられると、少し黙り込んだ。
「どうした?」
「い、いや」
ニームはエスカの前で初めて少しうろたえたような表情を見せると、視線を逸らした。
「急にそんな真剣な目で見るからだ」
「見るから……なんだよ?」
「ともかく、三聖は正教会にれっきとして実在する」
ニームは語気を少し荒らげるとそう言って今度はエスカを睨み据えた。エスカも負けじと目を逸らさずに、自分を睨むニームの顔をのぞき込むように近づいた。すると、ニームはまたもやあっさりと視線を逸らして顔を退けた。
「あ、あまり寄るな!」
「おっと」
エスカは無意識に身を乗り出して腰を浮かせていた事を認識すると、元の位置に座り直した。
「ちょっと待てよ。お前の言う通りだとしたら、三聖どもは一体何万年生きている事になるんだよ。大昔からずっと紳士録にゃ青と赤と黒の同じ名前が載ってんだぜ?」
「愚か者。そもそも正教会が出来て何万年も経っておらぬし、紳士録が初めて編纂されたのはたかだか二千年前だ」
「冷静なご意見、どうも」
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