第六話 ニーム・タ=タン 3/3

「ふむ。なかなか良い執事のようだな。ミュゼの王宮でも、あそこまで品の良い立ち居振る舞いをする者は多くなかろう」

「まあな。俺には出来た家臣だよ」

「今までの話、立ち聞きなどしてはいまいな?」

「それは請け合うぜ。でもあいつと俺は一蓮托生だ。俺としちゃどんな話だろうが、聞かれても何の問題もないがな」

「ふーん。まあいい。では順番に説明するから、できれば一回で覚えてもらいたいものだな」

「記憶力には多少なりとも自信はあるぜ。こう見えても……」

「こう見えてもアカデミー首席卒業、という訳か」

 ニームの言葉にエスカは眉をぴくりと動かした。

「お前。それ、わざと言っているだろ?」

「さてな。で、正教会が実のところは賢者によって支配されている組織だと言うことは一応でも理解したな?」

 エスカは両手を広げて呆れたという仕草をしてみせた。


 実のところニームの言うように彼は貴族学校、通称アカデミーを首席で卒業したわけではない。次席だったのだ。

 同期の首席卒業はアキラ・アモウル・エウテルペ。エスカはアキラに総合成績でわずかに後れをとっていたのである。

「何だ?  いまだに次席だった事を気にしているのか?」

「剣技試験の配点が学科に比べて高すぎるってんだよ、あのバカ学校は!」

「学科で首席だったのならばいいではないか」

「内容がどうあれ、次席卒業っていう事実は変えられねえだろ。そこんところが気に入らねえな」

「どうでもいい事であろう、些事だ」

「どうでもよくねえ。俺は今でも悔しいんだよっ」

「やれやれ。そんな些末な結果を悔しがっていてよいのか?」

「どういう意味だ?」

「この先、比ぶべくもないほど悔しい思いをしなければならぬ事になるのであろう? お前はその覚悟をしているのだと思っておったがな」

「ニーム、お前……」

 眉根を寄せたエスカを、しかしニームは無視しして話を元に戻した。

「さて、その賢者だが、ファランドールに百五人いると言うのは?」

「ああ、その話は誰でも知ってるだろ」

「誰でも知っているだろうな。しかし、誰しもが知っていることではない。なぜなら、実際に賢者はそんなには存在しておらぬ」

「……」

「百五色。それが賢者の名乗る色の数だ。正しくは『賢者の徴(しるし)』の数。賢者の人数ではない。お前にわかりやすく説明するなら、賢者の名前が全部で百五あるということだ」

「ほう」

「そしてその百五のうち、『庫(くら)』には誰にも継がれる事のない『徴』がまだ三分の一くらい眠っている。それどころかもはや『徴』すらない、失われた名前もかなりある。つまり、ファランドールに存在する賢者の数はざっと五十から六十といったところだ」

「ふむ」

「三聖を除く賢者は全員「賢者会」に所属し、実質的に教会組織の最終決定権を握っている。もっとも賢者会が正教会の通常運営に介入することは実際問題としてはあまりない」

「それも一般知識として知ってる。表に一切出ないからこそ誰も賢者なんて見た事がないんだろうしな」

 ニームはうなずいた。

「その賢者会の上に位置する存在がいわゆる大賢者。いわば賢者の頂点だな。大賢者の言葉は絶対で、たとえ賢者会で定めた事であっても大賢者の鶴の一言で覆せる。大賢者とはそれほどの力を持っておると言うことだ。そしてその大賢者は私を含めて四人いる。いや、正確に言えば今は三人だが」

「一人減ったって事か?」

「お前も知っておろう? 現世ではもっとも有名な大賢者真赭の頤(まそほのおとがい)が欠落したのだ」

「欠落?」

「本人が死んでも『賢者の徴』が『庫』に戻らない状態を言う。つまり消滅と言い換えてもいい」

「《真赭の頤》って言うと、シグ・ザルカバードってやつか?  ヤツは自称じゃなくて、マジで大賢者だったのかよ?」

「そうだ」

「死んだのか?」

 ニームは無表情のままうなずいた。

「それで、欠落するとその『徴』ってやつは二度と復活はしねえのか?」

「そう。今は」

「『今は』だと?」

「うむ。昔はそう言うこと……復活もあったという話だ。それこそ神話時代の話だがな。今はもう復活はしない。話が脇道に逸れる。そういう傍流の細々した話はまた今度にせぬか?」

「そうだな」


 話をしながらも、ニームは砂時計の事を忘れてはいなかった。

 青い砂が全部下に落下し終えると、無表情だった顔が急に崩れた。子供と呼ぶには相当理知的に見えるその整った顔立ちが、無防備な笑顔に取って代わったのだ。

 ニームはいそいそとその白いポットに手を伸ばそうとした。

 だがエスカはそれを制して立ち上がると、ポットを持ち上げて自らニームのカップにゆっくりと濃い蜂蜜色の液体を注ぎ入れた。

 白い磁器の壺から解き放たれた熱い液体は、マスカットのような清涼で甘い何とも言えないいい香りを部屋に放った。

「ほらよ」

 雑な言葉とは裏腹に、執事長のロンドに負けぬくらいに優雅な手つきで受け皿付きのカップをニームの前に差し出しながら、エスカはどうにもにやにや笑いを抑えられなかった。

 おかしかったのだ。

 そしてその笑いの源流は楽しいという気分に分類される感情だった。

 唯我独尊といった風情で、偉そうな事を尊大な口ぶりでしゃべっているニームだが、その態度と物言いの割にはロンドの言いつけをきちんと守って砂時計が落ちるまでは決してポットには手を出さない素直さときまじめさを見せた。さらに言えば偉そうな態度をしている割には他人に給仕を命令するようなこともなく、自然に自分で茶を注ごうとしたところを見ると、貴族や特別な家で召し使いにかしずかれて育っていない事の証左である。それを見たエスカは先ほどニームに言った「甘やかされて育った」という言葉を心の中で訂正していた。

 ご大層な立場と肩書きを考えると、エスカにはニームという少女の行動は見た目とは違って少々庶民的に過ぎるような気がしてきた。

 しかしエスカは目の前に行儀良く座っている焦げ茶色の髪をした美しい人形のような少女には、むしろそういう仕草が似合っていて好ましいと感じ始めていた。

 五大老との謁見の場で初めて会った時の「強大な存在」とも言える近寄りがたい印象がここへ来て大幅に変わりつつあったのだ。やや年寄りじみた尊大な言葉遣いは初対面の時からそう変わらないが、感じる雰囲気が柔らかいものに変化しているような気がしていた。

 だからこそニーム・タ=タンという「自称大賢者」が五大老を欺いてまで自分に近づいた意図をはかりかねた。

 ニームのいう事が全て真実だとすれば、最終的な目的が不明である。それがいったい何なのか、エスカは早く知りたかった。


「ありがとう」

 ニームは素直にそう礼を言うと、エスカが差し出した湯気の上がるカップを受け皿から取り上げ、その香りを深く吸い込んだ。

「陳腐な感想で悪いが、このお茶の香りはまったくもって素晴らしい」

「そりゃ、どうも」

 ニヤリとしてそう返すエスカの態度に、ニームは反応した。

「何だ?  妙に嬉しそうだな。ひょっとしてこれはエスタリア産か?」

 エスカはうなずいた。

「エスタリアの紅茶は産出量こそ少ねえが、質は最高だぜ。良質な茶で有名なシルフィードのエトワール産の最高級茶葉にだって負けちゃいねえよ」

「ふむ」

「もっとも領内の消費で消えちまって市場に回すほど生産量がねえんだ。だから、隠れた名品ってやつなのさ」

「ふーむ。エスタリアの紅茶消費量が異常に多いのは知識としては知ってはいたが、産地としてもこれほどの品質の茶を生産している土地だとは正直言って驚いた。エスタリアはなかなか面白い土地だな」

「エスタリア人の座右の銘は『量より質』だからな」

「また単純な座右の銘だな」

「単純で悪かったな」

「いや、褒めているのだ。含蓄や蘊蓄がありそうな難しい言葉を座右の銘だと抜かす輩にろくなヤツがいないのはここへ来てよくわかったからな。座右の銘とはそういうわかりやすい言葉こそふさわしいと私は考えている」

「あ、いや……」

「何だ?」

「そこまで素直に褒められると俺の冗談が宙に浮いちまうんだが」

「心配するな。私が敢えてそうしたのだからな。まあお前の下らぬ冗談はさておき、鉱物の精錬でもエスタリアの物は品質については飛び抜けているそうだし、座右の銘はともかく言葉を地で行く地域であることは間違いないのだろうな。しかし量より質というのはシルフィード王国ならともかく、お前のようなデュナン族の治める領地にしては異例だな」

「エスタリアは色々あってドライアドでもアルヴが多い土地だからだろうな。アルヴは骨の髄まで職人って奴が多いんだ。いい職人を見れば後進も育つってもんさ。そこにはアルヴもデュナンもねえよ。俺もほとんどこっちで暮らしてるが、ミュゼの物は高い割に質が悪いものが多くてな。ついついエスタリアから取り寄せちまうのさ。それに、茶の木の栽培に関しちゃ、俺はちょっとした専門家なんだぜ」

「『アルヴもデュナンもない』 か」

「それがどうしたよ?」

 ニームはエスカの話を聞くと、クスッと小さく笑った。それはニームがエスカに見せる、初めての少女らしい笑いであった。

「お前のアカデミーの専修論文は読ませてもらった。気候と茶の木の育成について大まじめに研究してあって、けっこう笑えた」

「あれは笑って読むような論文じゃねえよ」

 エスカは思わずムッとした顔をしたが、身辺調査の一環とは言え学生時代の論文にまでわざわざ目を通しているという事を知ると、ニームが決して中途半端な思いつきで自分に近づいてきたのではないという事がわかった。

「内容がまじめすぎて笑ったのだ」

「はあ?」

「まあ『領主』が領地の経済に関わる産業について熱心なのは良いことだ」

「おい」

 エスカはニームの『領主』という言葉に当然ながら反応した。エスカは「まだ」領主ではないのだ。その言葉の意味するところは重いのである。

「わかっている。私を誰だと思っておる?  人前で不用意な発言をすると思うか?」

「頼むぜ、おい。俺はこう見えて実は小心者なんだからよ」

「ふふ。五大老アイク・ヘロンではないが、器量の良い男の慌てた顔というのも、なるほどなかなかに良いものだな。さて……と」

 ニームは一杯目の紅茶を飲み干すと、エスカを上目遣いに見て、そっと空のカップを差し出した。ポットを持ったままのエスカはその遠慮がちな態度に苦笑を隠しながらも、いそいそと二杯目の紅茶を注いだ。ついでに自分のカップにも、ポットに残った残りの茶を注いだ。

 それはエスカが紅茶を飲みたかったからではなく、ニームが三杯目を所望した際、うっかり渋みが強すぎる茶を注がなくて済むようにであった。

 ニームにエスカの行動の意図が伝わったかどうかはわからない。もとよりそれはエスカの性分のようなもので、敢えてその気遣いをニームに気付かせようなどと言う気持ちは毛頭なかった。

 果たしてニームはエスカが自らのカップに注いだ、やや色の濃い紅茶を口に運ぼうとしないのをじっと観察していた。

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