第四話 ハンネ=ローレ回廊の闘い 4/5

 シルフィード本国に「凱旋」した王女は、翌月には戴冠し女王となった。

 「ハンネ=ローレ回廊の闘い」と時期を同じくした別の闘いで負傷を負った父王が逝去し、その跡を継いだのである。そもそも彼女の闘いは父王の軍隊の作戦を脇で補佐する為の陽動作戦であったのだ。大軍を首都に向かわせ、敵を攪乱させつつ、シルフィード軍の本隊がドライアドの首都を攻めるというものであった。この時点で、ハンネ=ローレ街道の戦いは歴史的に大きな意味を持つ事になった。あの戦いで第一王女が斃れていたとしたら、カラティア朝シルフィードは終焉を迎えていたからである。

 キャンタビレイ文庫にある記述では、その女王の名こそ後の歴史において「賢王」として記される事になるイエナ二世その人であるという。

 彼女はシルフィード王国の現在の国家組織の土台を構築した名君として名高く、爵位の整備や領地法など、多くの仕組みを近代化し法律の整備に努めた。一説にはシルフィード独特の遷都法を定めたのもイエナ二世であるという。


 彼女は戴冠の儀式に際し、側に控える役目、すなわち側臣にキャンタビレイ家の嫡子を指名した。その嫡子こそ、後のイエナ二世を名乗ることになった王女を守る為に生涯を捧げた人物である。すなわち彼の地で力尽きた誇り高きアルヴの戦士、ハンネ=ローレの夫であり、イエナ二世の血気に逸る突出を諫め、シルフィード軍二万の兵を守ったキャンタビレイの司令官その人であった。

 戴冠の際の側臣の役割とは、王が「マーリンの知恵の冠」と呼ばれるシルフィードの建国当時から伝わるとされる王冠を頂く前に、腰から外した剣を受け取る役である。剣を預けると言うことはすなわち新しい王が命を預けるという意味である。それはもっとも信頼する者、つまり臣家の筆頭者として王が認めた人物であると言うことになり、その儀式は無言のうちに列席者にその事を認知させるという意味があった。

 戴冠してイエナ二世を名乗った女王は、その場で側臣としたキャンタビレイの嫡子に恩賞を与えた。

 それこそが今日まで長く続くキャンタビレイ家のクレスト「六翅(ろくし)のスズメバチ」である。故事に拠ればキャンタビレイのクレストに描かれているのは普通のスズメバチではなく、ラダ・スズメバチであるという事である。

 通常四翅であるスズメバチになぜ六翅を与えたかは定かではないが、四翅を超える存在、つまりスズメバチの王という意味合いを持たせたのではないかと思われる。

 また当時のキャンタビレイ家のススメバチのクレストには銘文が付記してあったという。イエナ二世が戴冠の儀において、クレストを縫い取った旗章を下賜した際に言葉にし、その後国王自らの血でその言葉を章旗に書き加えたという曰く付きの銘文である。

 キャンタビレイ家の本家のみが許される赤いクレストの所以はイエナ二世の血の色が由来である事は容易に想像がつく。


 ではその銘文にまつわる逸話を紹介しておこう。これを記さずして、この話を中途で終えるわけにはいかない。


 章旗と共にそのクレストを下賜する直前、すなわち戴冠の儀の直後にイエナ二世は驚くべき行動をとった。

 それはその場に居合わせた列席者のすべて、すなわち自国のお歴々や参列した多くの国民のみならず、他国から祝儀に駆けつけた要人達全員の度肝を抜く行為であった。

 彼女は預けた剣を側臣から受け取る際、あろうことか、その側臣であるキャンタビレイの嫡子になんといきなり婚儀を申し込んだというのである。

 戴冠の儀の会場はいったい女王が何を口にしたのかが理解できず、ひとまず水を打ったような静けさに包まれたという。しかしそれもつかの間、たちまち会場は大混乱に陥った。

 察するに一番面食らったのは当のキャンタビレイの嫡子であろう。だが、誰よりも早く正気と冷静さを取り戻したのもまた彼であったようだ。

 王女は婚儀の申し出に続いて彼の妻ハンネ=ローレが先の闘いで命を失った事に触れ、彼女に対して最上級の感謝の意を唱えた。そしてその上で自らの申し出を極めて真剣なものである旨、重ねて強く念押ししたという。

 大騒ぎの列席者や観衆達は、すぐにその行為の「とんでもなさ」よりも一人の若い娘の婚儀の申し出に対し相手の男がどう答えるかという一点に興味が移ったようで、やがて喧噪は静まり、その場は固唾を吞んで答えを待つ者達の期待と不安で異様な雰囲気につつまれていた。


 一人のアルヴィンの娘から婚儀の申し込みを受けたアルヴの男は、静かな声でこう答えたという。

「もとより我が身も我が心もシルフィード王国のものなれば、今更ながらの念押し、無用でございましょう」

 新しい女王はその言葉を聞くと、目を閉じて天を向き、長い長いため息をついた。そして何も言わずに側臣が掲げる剣を黙って受けとり、その剣を腰の鞘に戻したという。その後は何事もなかったかのように列席者に凛とした顔を向け、式次第に則った戴冠の挨拶を行った。

 その後ざわめき始めた観衆をよそに、イエナ二世は予め用意してあった例のラダ・スズメバチのクレストをキャンタビレイに下賜した。

 銘文は、その際に女王が求婚した相手に贈った言葉なのである。

 イエナ二世は再度剣を抜くと、自らの指先にその刃をあてて傷を付けた。そしてその指で自らが今口にしたことを書き綴った。

 その銘文とはすなわち、

『キャンタビレイは永久にシルフィードのキャンタビレイであれ』

 という短いものである。

 側臣はその銘文が記されたクレストを見て両膝をつき、深々と頭を垂れて礼を尽くしたという。


 さて、そのやりとりを見ていた観衆の殆どはカラティア家とキャンタビレイ家との婚儀を心から祝った。対して残りの一握りの者は、この歴史的な珍事の顛末に胸をなで下ろしていた。

 そう。

 キャンタビレイの嫡子は女王の求婚の言葉を、あの一言で王と臣家の絆に対する誓いという話にすり替えてみせたのである。

 有り体に言えば女王の求婚は断られたのであるが、それは女王としての威厳を損なうことなくなされた。まさに側臣にふさわしい彼の機転である。

 一聴すると、彼の答えはどちらにもとれるのだ。つまり列席していた観衆に対しては承諾となり、彼らの熱を奪うこともなかった。そしてそれは式を本来の進行に戻す間を女王に与えたのである。

 キャンタビレイ家の嫡子のこの時の立ち居振る舞いは、その言葉のやりとりの意味を理解していた列席の貴族達に大きな感銘を与えた。以来、戴冠の儀において側臣を務めるのはキャンタビレイ家の人間であることが、シルフィード王国の不文律となった。


『キャンタビレイは永久にシルフィードのキャンタビレイであれ』という銘文は、現在でもエッダにあるキャンタビレイ文庫の扉の上に刻まれている。

 この言葉の解釈については諸説ある。単純に解釈するならば、「ハンネ=ローレ回廊の闘い」に於いて、たとえ相手が次期国王といえどその意見に盲目的に従う事はせず、状況に即した冷静な判断と深い知識で自軍を導く事を矜持にかけて進言した行為は、王や王子といった権力ある人間を超越し、シルフィード王国という国の為を第一に考えた国の忠臣として素晴らしい。今後もそうあれかし、という程の意味であろう。

 だがそこには女王としてではなく、一人の娘がそれこそ一世一代の舞台で、おそらく必死の思いでおこなったであろう求婚を、ものの見事に誤魔化され断られたことによる……よく言えば一人の適齢期である娘の寂寞たる裸の気持ち……悪く言えば精一杯の意地悪が込められていると考えるのはうがち過ぎであろうか? 

 要するに、こう意訳出来ない事もないのである。

「この私の申し出を断っておいて、他の女と結婚なんかしたら絶対許さないわよ」

 と。

 言葉の真意はどうあれ、キャンタビレイのその嫡子は家督を継いで侯爵となった後も再婚することがなかったのは事実である。

 どちらにしろキャンタビレイの一族は以降イエナ二世の血で記されたその言葉を唯一無二の家訓として、時にはその後の国王の言葉よりも上位に置く事になった。

 彼らはキャンタビレイという族名を重んじたが為、他の名前の中で埋没する事をよしとせず、名を変える事になる公爵の爵位を何度も固辞してキャンタビレイ侯爵でありつづけたと言うわけである。

『名より実』という言葉があるが、キャンタビレイの一族に限っては『実より名』と言っても良い程の徹底ぶりである。

 そしてもちろん、それは彼ら一族にとっての誇りであり続けたのである。

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