第四話 ハンネ=ローレ回廊の闘い 5/5

 デュナンの価値観で客観的に見た場合、そんなキャンタビレイ家に生まれるという事は結構な不幸ではないかと思える。もしくは相当な覚悟が強いられる事になると思われる。

「武ならキャンタビレイ」と言われる程、その侯爵家の歴代の当主は当時の貴族の中でも特筆できる功労を残し、長きにわたりカラティア王朝から厚い信頼を受けていた。長く続く平和な時代の中にあっても、彼らが軍の中枢に存在感を示し続ける事ができたのは、弛(たゆ)まぬ努力という通り一遍の言葉では修飾しきれぬ労があったに違いない。

 キャンタビレイ家のそういう家風は、必ずしも長子が家督を継ぐ事を是としなかった。兄弟姉妹で切磋琢磨し、最もふさわしいと思われる人物が本家を預かる事が暗黙の了解であったのだ。

 このあたり、長い歴史の中では様々な軋轢が存在したと考えるのが妥当なのであろうが、アルヴ系の純血を守っている旧家だけの事はあり、記録に残っている限りでは「お家騒動」が勃発した気配すらない。

 この辺りもドライアド王国をはじめとする他の三大国との国家気質の差が見て取れる。有史以前より、ただ一つの王朝であるカラティア朝が長く存続したのも、国民全員に大なり小なりその気質が脈々と流れているからであろう。


 シルフィードの「王国軍親衛隊」も実はイエナ二世の治世下に発生した制度である。これは実は国王の親衛隊ではない。王国軍の歴代の大元帥の立場にある人物の身辺を固める為の組織なのである。国王の親衛隊は別にあり、そちらは近衛軍の管轄で「近衛軍親衛隊」と呼ばれ区別されている。他国からすると特殊な慣習ではあるが、シルフィードでただ「親衛隊」と呼ぶ場合はその歴史の古さゆえ、近衛軍ではなく王国軍の親衛隊を指すのが常である。

 ちなみに国王の親衛隊の歴史はせいぜい一千年と言われており、大元帥の親衛隊と比して、かなり歴史が浅い事を付け加えておこう。


 親衛隊は王国軍の軍章とは別に四翅のスズメバチをあしらった黄色い部隊章を身につけた槍使いなので、すぐにそれとわかる。もちろんそれはキャンタビレイ家のクレストの意匠であり、六翅を四翅に変えたものである。

 親衛隊は皆、ドライアドでイエナ二世率いるシルフィード軍を撤退させる為の盾として名乗りを上げ、キャンタビレイ軍の大将と共に長槍を掲げて壮絶な闘いを繰り広げた二十名の豪傑の末裔達である。多くはキャンタビレイ家の親族・姻族であったため、イエナ二世の命により四翅のスズメバチの部隊章を掲げる事になったという。


 リーンをはじめ、速駆け馬車を駆ってラクジュ街道を行く部隊の三分の一はその「親衛隊」と呼ばれる兵士達であった。

 彼らが守るガルフ・キャンタビレイは炎のフェアリーであると伝えられているが、フェアリーの能力よりはむしろ文字通り一騎当千とも言えるその武功で名高い。

 ガルフという名は伝説の当主から受け継いだものである。それはもちろんイエナ二世の後方の壁となって戦い、戴冠式でそのイエナ二世に求婚されたあのキャンタビレイの名である。

 彼もまた、リーンが仕える大元帥と同様、炎のフェアリーであると伝えられている。


「『その話』がお気に召さないのならば、畏れながらこのリーン、敢えて言わせていただきましょう。先の私の言葉は閣下のお体を気遣ったものではありません」

 ラクジュ街道を南東に向けて走る馬車の中にはシルフィードでは並ぶ者のない名誉と名声を背景にし、自身も現在の王国軍で最も尊敬される存在であるガルフ・キャンタビレイを睨みつける若い士官の姿があった。

「何?」

「閣下が休まねば部下が休めるわけがございません。我が隊はアルヴだけの部隊ではございません。気力でもってはおりますが、アルヴィンやダーク・アルヴ達の体力はもう限界です。ですからここではっきり申し上げましょう。いや、問いましょう。いざとなった時に役に立たぬ兵隊を増やす事が指揮官としての矜持であるか否か」

「こやつ、儂に説教をするつもりか?」

「閣下もガルフという大それた名を名乗っておられるのならば、血が上ったままのその頭でシルフィード王国の窮状を救う事が出来るかどうかの判断をすべきではありませんか?」

「リーン!」

 リーンの言葉に、ガルフは顔を真っ赤にすると、椅子から腰を上げ、上から部下をにらみ据えた。

 しかしリーンも然る者である。同様に腰を上げると、大元帥の睨みを堂々と受けてみせた。

 それだけではない。ガルフよりさらに大きな声でピシャリと言ってのけた。

「今の我が言葉、決して取り消しはしませんぞ」


 リーン・アンセルメはキャンタビレイ家の姻族で、シルフィード大陸南端にある古都スッダの近くに小さな領地を持つ子爵家の二男であった。

 幼い頃に我が子の利発さを見抜いた母親が、エッダのガルフに推薦状と共に我が子を送り出したという。彼の母親であるアンセルメ子爵の正室リューズは、ガルフの孫で、クラルヴァイン男爵の下に嫁ぎテンリーゼンを生んだとされるイルジーの姉に当たる人であった。つまり、リーン・アンセルメとテンリーゼン・クラルヴァインは従兄弟同士という事になる。

 ちなみにその従兄弟同士は共にキャンタビレイ家の屋敷で暮らした事はあるが、同時に過ごした時期はなかったようである。

 ガルフは聡い「ひ孫」であるリーンをすぐに気に入ると英才教育を施した。

 力は弱いながらも水のフェアリーでもあるリーンは、しかしどちらかというと武人というよりは知略に優れており、ガルフは武人として訓練することより参謀としての特性を行かす方向で育て上げた。

 ガルフの功績は自分自身の功労もさることながら、リーンをはじめとする能力ある者を多く育てた事にあるのかもしれない。

 キャンタビレイ家の屋敷にはいわゆる食客が引きも切らず、一種寄宿学校のような様相であったと伝えられている。

 そのいわゆる『キャンタビレイ学校』の出身者でも一、二を争うと言われる知略の持ち主は、ともすればガルフのそれを上回り、彼はいっそうひ孫であり部下である青年に対する信頼を深めていった。

 ガルフがリーンを信頼するのは、頭の良さからだけではない。なによりその心根が素直で一本気である事が、大元帥の眼鏡にかなったのだ。また、相手がたとえ自分よりはるかに階級が上であろうが、高い爵位を持っていようが、相対しても阿らない強い心を持っている事も重要だった。それは時としてガルフをしても腹に据えかねる場面を招く事になるのだが、最後には大元帥という肩書きに決して屈しないその姿に眼を細めるのであった。

 ただ、それだけにリーンは常に大きな影を背負う事になっていた。周りの人間が、すべて彼の理解者であるとは言えなかったからである。むしろ彼の理解者はほんの一握りであると言えた。

 ガルフが彼を側近として使い続けている一番の原因もそこにある。本来であればその知謀知略をもって事に当たれば、より高い地位に就いているはずであったからだ。しかしリーンには部下の心を掌握しその士気を高めるだけの存在感の魅力や求心力というのものに欠けていると言わざるを得ず、さらに本人が一切それを望もうとしない事にガルフとしてはもどかしい気持ちを持たざるを得なかったのである。

 リーンはそう言う話がガルフの口から出る度に同じ言葉を繰り返した。

「私の能力は司令官に能わず。それにバカな司令官の下につくくらいなら、田舎に帰って民と共に土に鍬を入れ、汗を流す生き方を選びます」

 まさにとりつく島もないのである。

 ガルフ・キャンタビレイ大元帥をして「当代一の頑固者」と言わせた人物こそ、このリーン・アンセルメ少尉なのであった。


「言ってみろ」

 しばらくにらみ合いをしていた上官と部下であったが、先に視線を外したのは上官の方であった。

 ガルフは座り直すと、若い副官に尋ねた。

「お前はいったい何を焦っている?」

「この際ですから、率直に申し上げます」

 リーンもガルフに倣って椅子に腰を落ち着けた。

「よく言う。お前が率直に物を言わなかったためしなどない」

「この件、陰謀の匂いがします」

 ガルフが放った軽い嫌みを涼しい顔で無視すると、リーンは核心を突く言葉を口にした。

 大元帥はあからさまに不機嫌な顔でリーンをたしなめた。

「アンセルメ少尉。率直なのは結構だが、人前で滅多な事を言うものではない」

「いかに冗談好きな私でも、素面でこんな事は言えませんよ、キャンタビレイ大元帥」

 向かい合う両者の間に再び沈黙が流れた。

「言っておきますが、私は今、素面ですから」

 リーンの言葉にガルフは肩をすくめただけだった。

「もちろん私の推測はいくつかの理由によって成り立つものです。決定的だったのは、エルネスティーネ王女が、よりにもよって『イエナ三世』を名乗られた事なのです」

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