第四話 ハンネ=ローレ回廊の闘い 3/5

 しかし、横に並ぶ大柄なアルヴの猛将から投げられた言葉は意外なものだった。

「殿下、今こそ本物の勇気が必要な場面ですぞ。ここはマーリンの名にかけて、我らが食い止めます。殿下は我らがシルフィードの軍を率い、反転してお進みください」

 その申し出に第一王女は即座に反応した。

「何を言う。我が矜持にかけて、余はここで敵を殲滅する」

「なりません」

「何故だ?  余を女と軽視しているならば、許さんぞ!」

 興奮する第一王女に、キャンタビレイの司令官は落ち着いた声で語りかけた。

「冷静になられよ。真の過ちとは一度の過ちにあらず。多くの場合は一つの過ちを引きずる事により生まれる二つ目の過ちを指すものです。我らが次代の王ともあろうお方が、その愚を犯してはなりませぬ」

「しかし、そちを残して余一人で退却するなどカラティア家の嫡子として許される事ではない。我が桜花のクレストに賭けて、余はこの場に残り心ゆくまで戦う所存じゃ」

 学者とはいえ、若き王女は勇敢にして血気盛んであった。既に腰の短剣を抜き放っていたほどである。

 しかし、キャンタビレイ家の嫡子はさらに落ち着いた声でそれをいさめた。彼は第一王女が掲げた剣の刃を素手で握りしめると、力を込めてそれを下ろさせた。その行為に驚いた第一王女は、素直に剣を支える腕の力を抜いた。

「勘違いされては困ります」

「何だと?」

「我らは王女の為に壁となるに非ず。キャンタビレイ家はすなわちシルフィードという国の為にあるのです。万が一殿下がここで斃れるような事があれば、シルフィード大陸は混乱しますぞ。我らは我らの務めを果たすだけ。同様に殿下は殿下の務めを果たされよ」

 シルフィードの軍人にとって戦わずに退却するということは矜持に関わる。だがそれを「勇気を持て」と敢えて進言し、かつ「うぬぼれるな」とたしなめてもみせたのだ。


 この後二人にどのようなやりとりがあったのかは詳らかではないが、カラティア家の司令官である第一王女は結局大軍を率いて来た道を戻り、獅子奮迅の戦いぶりで後方に待ち受ける敵軍を突破した。

 この時のキャンタビレイの司令官の言葉には重要な意味がある。キャンタビレイ文庫に現存する複数の戦記によれば、当時のカラティア朝には直系の、いわゆる嫡子はその第一王女のみであったというのだ。

 ドライアド王国との戦況は依然混迷しており、カラティア王家の家訓に則り最前線に立って戦っている現王の身にひとたびなにかあれば、さらに唯一の嫡子である王女がここで死ねば、それはすなわちカラティア朝の滅亡を意味する。

 当時は王位継承権の明確な順位を決める法律などもなく、一つの王朝の滅亡が国の混乱を招く事は他国の例を見るまでもなく容易に予想が出来たであろう。


 前方に布陣する大軍を前に「後方の壁」として残り、使命を全うしたキャンタビレイの司令官は、次に自軍の撤退にかかった。その際、ここに残り自軍撤退の時間を稼ぐべく共に戦う者を募った。キャンタビレイ軍は全員が手を挙げたが、彼はその中からたった二十名ほどを指名した。多くは彼に近い親族だったが、選ばれた者の中には共にこの闘いに戦士として従軍していた若い彼の妻もいた。

 選りすぐりのアルヴで構成されたキャンタビレイ軍は前面の敵と対峙すると、本隊が退却を始めたのを合図に前方の大軍へ向かい馬を走らせた。かくして後に「ハンネ=ローレ回廊の闘い」と呼ばれる壮烈な戦闘は、ついに佳境を迎える事になる。

 キャンタビレイ隊にとって不幸中の幸いだったのは、そこがかなり狭い街道であった事である。自軍も前後に長く展開させられてしまったものの、敵方も左右には展開できず、数を利して一気に責める作戦が不可能だったのだ。

 キャンタビレイ軍はシルフィードは勿論、ドライアドの歴史にも残る闘いを行った。押されながらも決して破られず、殿(しんがり)としての役割を成し遂げたのである。

 第一王女が率いたシルフィード軍の本隊が後方の敵軍を破って森の中へ入り込み、退路を確保したのを見届けると、キャンタビレイ率いる猛者達はようやく撤退をはじめた。

 デュナン主体のドライアド軍に対して、アルヴで固めたキャンタビレイの精鋭達は個としては圧倒的な戦力を誇ってはいたが、当然ながらやがて数の差が個々の力の差を上回り始めた。

 そうこうしているうちにキャンタビレイの精鋭部隊はカラティアの本隊に突破された残軍とぶつかり、後方から追ってくる敵本隊とに前後を塞がれた。彼らが退却するという事は王女が突破した別部隊に遭遇するという事なのである。

 多勢に無勢。それも圧倒的な差である。さらに前後を閉ざされては、壁となった猛者達による精鋭部隊もさすがに全滅は時間の問題となった。

 シルフィード王国の記録に依れば、ドライアド軍の数は六万。ドライアド王国の記録では五万五千とある。対してシルフィード王国の合同軍の数は二万であったと伝えられている。キャンタビレイの精鋭達は二万の兵を逃がすためにたった二十人で二千倍もの兵を相手にその場を持ちこたえて見せたのである。一騎当千という言葉はその時に生まれたとされる。つまりそれほど、彼らの戦いはすさまじかったに違いない。

 だが、それもそこまでであった。狭い通路のおかげで一対一もしくは二対二程度の闘いを交代でこなしてなんとか時間を稼いでいたのだが、前後を攻められてはさすがに全滅はもう確定したようなものであった。


 シルフィードの人間であること、そしてキャンタビレイ軍の一員であることを恥じぬよう最後の一兵まで戦い抜こうと彼らが誓い、最後の力を振り絞って鬨の声を上げたその時、戦局が一変した。

 いったん退却したはずのシルフィード軍本隊が再反転して後方側の待ち伏せ部隊に襲いかかったのである。つまり敵・味方双方がお互いにお互いを挟み撃ちする形になった。

 シルフィード軍はただ戻ってきたのではなかった。聡明で鳴る第一王女は、短時間の間に戦術を練っていたのである。

 戦場の狭さはいかんともしがたいが、シルフィード軍はドライアド軍と違い、フェアリーの兵が多い。彼女は部隊をフェアリーの属性ごとに編成しなおし、戦場を立体的に活用する戦法を編み出していた。

 風のフェアリーはその身軽さを活かし森を駆けて敵の後方部隊を側面から攻撃し、大地のフェアリーの部隊は堅牢な盾の部隊となりドライアド軍を力で正面から押し戻し、水と炎のフェアリーが遠隔的な攻撃でそれを補助すると言った具合である。

 闘いは壮絶を極めたが、ドライアド側の指揮官が自軍の消耗を嫌い休戦を申し出る事により、ついにその闘いは幕を下ろす事になった。

 わずか数時間の、しかも辺境で起きた小競り合いとも言える闘いであったが、その闘いの名が歴史に残っているのは、もちろんキャンタビレイ軍の壮絶な闘い振りがあったからである。

 数で上回り、戦術的にも戦略的にも圧倒的に有利に事を進めたはずのドライアド軍は、兵の三分の一を失う予想外の結果に茫然自失であったという。「双方いかなる優位をも主張せずおのおのの軍を完全に撤退させる」といういわば引き分け宣言で闘いは終わったが、客観的な評価としては殆どドライアド軍の敗戦と言って良い状態だった。

 死傷者の数がドライアド側よりも圧倒的に少なかったシルフィード軍だが、それでも犠牲は少なくはなかった。彼らが自国シルフィードに持ち帰った戦死者の名簿にはキャンタビレイ軍の司令官の妻の名が記されていた。

 キャンタビレイ家嫡子の妻の名は、ハンネ=ローレ。

 以降、ドライアド大陸の東海岸と西海岸のミュゼをつなぐその南側の経路をシルフィードでは「ハンネ=ローレ回廊」と呼称し、その闘いは「ハンネ=ローレ回廊の闘い」と呼ばれる事になった。

 特に経路に名前などを付けていなかったドライアド側でもその呼称を使っているのは、停戦交渉時にシルフィードの王女が相手側に唯一求めた条件であるという話も残っているが、それは定かではない。


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