第四話 ハンネ=ローレ回廊の闘い 2/5

 それはシルフィード王国の黎明期にまでさかのぼる。

 まだ公爵や伯爵などという爵位が存在しなかった時代に、当時シルフィード王国の首都であった大陸西部の古都ヴェッダを拠点としたカラティア家の兵がある重要な作戦を携えてドライアド大陸に攻め込む事になった。王家からの呼びかけに応じて合力を申し出た大陸東部の有力貴族であったキャンタビレイの軍が名乗りを上げた。

 大軍を擁する指折りの貴族であるキャンタビレイ軍とカラティア王朝の直轄軍が連合して合同軍を編成し、ドライアド大陸に出兵した折りの話である。


 上陸後、大陸内の移動について連合軍の二人の司令官、つまりカラティア王国の直轄軍を任されたカラティア家の長子とキャンタビレイ軍の指揮を執るキャンタビレイ家の長子との間に言い争いが起きた。

 記録では戦術的な意見の相違と言う簡単な記述になっているが、従軍した下士官の日記の一つにその言い争いの内容が克明に記されている。それを信用するならば、要するにある分岐点に来た合同軍が、その先の経路を右にするか左にするかで意見が対立し大騒動にまで発展したというのである。

 カラティア家の司令官は左、つまり南側の温帯寄りの道を、キャンタビレイ家の司令官は右、つまり熱帯地域の湿地帯を通る経路を主張し、どちらも自説を曲げようとはしなかったのだ。その議論はやがてつまらない言い争いにまで発展し、双方が率いる軍同士の雰囲気は一触即発になっていったという。

 カラティア家の司令官は学者として一流で、その知識を背景に自説を推す。すなわち地形学的・気象的な見地から、キャンタビレイ家の推す右の経路が不適当である事を説いた。

 ドライアド王国首都のミュゼへ西進するにあたり、北回りの進軍は中途に広大な沼や大小の河川、深い森など自然の障害が多数あり、この先すぐに訪れるであろう雨期には突発的な湖の発生や大雨による水害が待ち受ける可能性が高く、下手をすれば軍隊が孤立する羽目にも陥りかねない。そうなれば補給もおぼつかない。つまり右の経路を征くには多くの労力を伴うとして、比較的平坦で整備された街道を多く含む左回り、すなわち南側の回廊を主張した。

 南の経路は昔から集落や都市もある地域であり、故に道路状況などの情報もそれなりに得やすい。亜熱帯と熱帯地域を抱える北部と違い、温帯域の南部を通る道であるから、北部が雨期であってもさほど影響せず、地形変化の可能性が極めて低い為に進軍の計画が立てやすく、見通しの良い場所も多く軍の展開に有利だとし、どうあっても左周り、すなわち南側経路しかあり得ないと主張した。

 そもそも当初の戦略では南回りの経路をとる事になっていたのである。


 対するキャンタビレイ家は南の経路からラダ・スズメバチが飛来したのを兵が発見したという理由だけで当初案をなぞる事に反対していた。

 要するに北回りを積極的に選んでいたのではなく、南回りの危険性を危惧して、その対案としての北回りを主張していたようである。

 客観的に見てもそれだけの理由ではキャンタビレイ家の案がカラティア軍の司令官を納得させるにはおよそ説得力に欠けると言わざるを得ない。


 結論を出せないまま長く続く堂々巡りは双方の軍の末端兵にまで影響を及ぼし始め、やがて味方であるはずの兵士同士が言い争いを始めた。

 やがてそれは取っ組み合いにまで発展し、ついには全軍が完全に二分したあげく剣を抜き対峙するまでに混迷した後、ようやく収束を迎える事になったと記述にはある。

 収束、すなわちキャンタビレイの司令官が折れたのである。

 そもそもラダ・スズメバチが飛来した方角を避けるべきだという主張が、カラティア家の司令官にとってはおよそ重要視すべき現象だとは思えなかったのだ。しかしそれは無理もないと言わざるを得ない。カラティア家の司令官だけでなく、ほとんどの人間が異口同音の主張をするに違いない。


 ラダ・スズメバチは、ドライアドの温帯を中心に亜熱帯域まで広く分布するファランドール最大のスズメバチで、通常の働き蜂でも成人デュナンの人差し指ほどの大きさがある。雄蜂にいたってはアルヴの人差し指ほどの大きさを誇るという。

 黒と黄で彩られた巨大な蜂の姿は勇猛で「蜂の王」と呼ばれているが、他のスズメバチとは違い攻撃的な性格ではない。むしろ姿形に似合わず温厚な蜂と言える。また、腹の先から突き出した体長の半分にも及ぶ長い針からは毒液が出ない事はこの当時でも充分知られていた事だろう。少なくともラダ・スズメバチに刺された人間が死亡したり重篤な状態になることはなく、巨大で恐ろしい蜂に刺されたという事実に驚いて人間が勝手に失神する事があるだけなのだ。そもそも何もしない人間をラダ・スズメバチが襲ってくる事はない。

 彼女たちの好物はミツバチと同じく花の花粉と蜜で、これまた意外なことに肉食性はない。スズメバチという名がついてはいるが、ラダ・スズメバチはその実いわゆる一般的なスズメバチとは全く違う独立種なのである。亜種はなく、現存するのはラダ・スズメバチただ一種である。

 ただし温厚とは言え、巧みに隠してある巣をひとたび攻撃されると猛烈な攻撃形態を成し、標的を完全に駆逐するまで戦い続ける。巨大な蜂がその怖ろしく長い針で「敵」を闇雲に刺し続け、戦いの為だけに発達した大あごが粉砕するまで敵をかみ続けるのである。それは相手が動かなくなるか、自分自身が動けなくなるか、あるいは巣から一定の距離まで敵が敗走するまで執拗に行われる。これにはさすがのクマも太刀打ちできず、蜂蜜好きの彼らをして絶対にラダ・スズメバチの巣だけは襲わないとまで言われている。

 少数部族の中にはこの蜂を神聖化して祀っているところもあるほどだが、周知の通り、今日絶滅が危惧されている種の一つでもある。

 個体数の減少理由はラダ・スズメバチの特性である「極度の嫌人性」に拠るところが大きいようだ。ラダ・スズメバチはいわゆる「渡り」の習性がない。女王蜂の寿命が近くなれば巣分けが行われ、その際に大規模な移動がある程度である。彼らは人里から遠く離れた所にしか生息していないのが普通で、開墾などにより人間による集落ができると、付近に巣を持つ女王は特殊な音波を発し群れに対して巣分けを促すという。

 既に飛ぶ為の翅(はね)を持たぬ女王蜂は食料を運ぶ部下さえ失い、結果そこで命の営みを終えるが、彼女の忠実な子供達は卵やさなぎを大事に抱えて新天地で彼女の遺伝子を継ぐ新しい女王を選び、育て上げるのである。

「渡り」の特性のないラダ・スズメバチの群が飛来するという事は、その方角に人間がいる可能性を示唆している。シルフィード軍の持つ情報では南回りの経路上にしばらくは大きな集落はない。つまり大量の人間がラダ・スズメバチの縄張りに進入している可能性、つまりは待ち伏せの罠が存在するというのがキャンタビレイ家の大将の主張の根拠であった。

 だが、その主張はたった一度目撃されただけのハチの動きから推測されるあやふやな可能性であり、物理的な地形の特性から導き出された論理的な選択を主張する者を納得させるだけの力を持たなかった。当然であろう。

 またカラティア家の長子といえば、すなわち王位継承権の第一位にある存在である。その時の嫡子はアルヴィンの女であった為、第一王女という事になる。同じく嫡子ではあるものの、臣家であるキャンタビレイ家の人間としては、最後の段階では王家の意見を尊重する必要もあった。

 ましてや士気にほころびが出始めた自軍をそれ以上混乱させぬ為にも、十歳程歳上であったとされるキャンタビレイの大将側が折れたのは自然な流れであったろう。


 果たして左、つまり南回りの経路には敵の待ち伏せがあった。

 通路の両端を深い森で、そして側面を谷と山で囲まれた場所にさしかかり、軍が長く伸びきった時点で森の中に配備されていた敵軍に前後を挟み撃ちにされたのである。

「それみたことか、小賢しい小娘め」

 唇を嚙みしめるカラティア家の第一王女は、馬を並べたキャンタビレイの司令官にそう罵られる事を覚悟した。名誉を重んじるアルヴ系種族としては、これ以上の屈辱はない瞬間であった。

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