第二話 五大老 2/2

「待たせたな、男爵。さっそく本題に入ろう」

 最初に声をかけたのは、そのアイク・ヘロン伯爵であった。

「男爵をこんな時間に呼び出したのは他でもない。緊急を要する事があってな」

「は」

 緊急という割には五大老に緊迫した空気は読み取れなかった。だがエスカはこの場が重要な局面であることには違いないという確信を持っていた。だからこそ一言も聞き漏らすまいと緊張を持って耳を澄ませた。

「単刀直入に言おう。近く出兵がある」

「は」

 とりあえずそう返事はしたものの、この後どう答えていいかはまだわからなかった。エスカにとってここでヘマをするわけにはいかないのだ。

 どちらにしろ現時点で彼には何の情報もない。ここは下手にしゃべるわけにはいかなかった。

「耳の早い男爵のことだ。何か聞き及んでおるのではないか?」

「出兵の理由についてならば、否。出兵命令についてであれば早朝の招聘を頂いた時点でもしや、と踏んでおりました」

「ふん」

 アイク・ヘロンは面白くなさそうな顔でそう言うと話を続けた。

「つまらん返事だな。まあいい。実はシルフィードの国王が替わった」

「え?」

 エスカはさすがに一瞬我が耳を疑った後、息をのんで目を見張った。

 もとより冗談ではないはずだった。しかも生前の王位継承を行わないのがシルフィード王国のしきたりである。

 意味するところは一つ。

「アプサラス三世が崩御?」

 ヘロン伯爵はあいまいにうなずいた。

「病死という事だ」

 死因などはどうでもいいことだった。

 いや。死因などどうにでも発表できることだと言い換えた方が適切な表現であろう。

 エスカはそれについては何も質問をしなかった。

 アイクの言葉はアプサラス三世の死を確実に認識させるだけの意味しかなかったことになる。もちろん、この時点でエスカから口を出すべき事柄はまだ見つからなかった。

 ただひとつ確信したのは予想通り今この時が彼にとって大きな人生の山場になるということだった。

「今度の国王は女王だ。しかもまだ十七歳と聞く」

「王女のエルネスティーネ様が即位されたと言うことでございますね。ここは傀儡と見るべき、でしょうか」

 エスカはとりあえず軽い探りを入れるべく、そう発言した。

「感心せんな、男爵。一佐官が公式の場でめったなことを口にするものではない」

 だが、ここでエスカは引かなかった。

「出過ぎた言葉は承知しておりますが、不謹慎ながらこの情勢はわが身にとっては千載一遇の好機。なにとぞ、しかるべき命をいただきとう存じます」

「相変わらず欲を隠そうともせんな」

「私には家督がございませぬ故、好機とみるとすぐに焦ってしまいます。不徳のいたすところでございます」

「まあいい。そういうわけで、サラマンダの兵を増強しておく必要がある。お前はおそらくその第一陣に任命されるだろう。とは言え、今すぐというわけでもない。それについては元帥庁から追って詳しい沙汰があろう」

「は。しかと承りました」

 そう答えたものの、エスカは訝った。

 あまりに簡単で、かつ単純すぎる内容だったからだ。「追って沙汰」をするくらいなら未明に叩き起こしてまで招聘した意味がわからない。

 もちろんもたらされたアプサラス三世崩御の報は重大きわまりないものだが、それにしては指示内容が通り一遍すぎる。しかもこの内容であれば招聘されたのがエスカ一人であることも腑に落ちなかった。

「何か言いたそうだな、男爵?」

 アイクが向けた水を受けるべきどうかでエスカは一瞬悩んだ。

 だが、この機会を逃すと五大老、いやアイクと直接対話できるのはいつになるかわからなかった。

(ここで博打を打たず、いつ打つよ?)

 エスカはそう決心すると口を開いた。

「おそれながら」

「うむ。言ってみろ」

 エスカの言葉に、心なしかアイクは嬉しそうな声でそう言ってうなずいた。

「アプサラス三世の崩御は寝耳に水でございましたが、この機に出兵という事になれば我が身の処遇について何かお言葉があるやも知れぬと思いつつ本日は参上いたしました。もしそのような機会があれば私の方からお願いしたい事案もございます。そのあたりは如何に?」

「フン」

 アイクは肩をすくめた。

「相変わらず食えんヤツだな、ペトルウシュカ男爵」

「恐れ入ります」

「朝っぱらから腹の探りあいは疲れる。どれ。先にお前の企み、いや頼みとやらを聞こう」

 エスカはゆっくりと息を吸い込んでから、静かに話し出した。

「これはかねてより進めていた計画でございますが、このたびようやく当方の準備が整いまして」

「前置きはいい。要点を申せ」

「は。わがペトルウシュカの領地、エスタリアの半分を国王陛下に献上したいと考えております」

 その場の数人が息を呑む気配があった。だが誰も声は出さなかった。それはそうである。彼らも五大老の最高権力者であるヘロン伯爵の出方を窺っているのだ。

 当のヘロン侯は案の定、眉ひとつ動かさなかった。だが、さすがにエスカの意図をはかりかねているのであろう。沈黙が長かった。要するにエスカの話は彼らにとって想定外の事柄であるということがそれで判明すると同時に、すなわち場の主導権を握れる可能性を示していた。

 少し間を置くとエスカは続けた。

「来年は陛下も戴冠五周年。相応の引き出物になればと企図しております。つきましてはそのおとりなしを五大老様にお願いしたく」

 そこまで言うと、エスカは深く頭を下げた。

 そして五大老側の反応を待つべく、そのまま控えた。

 やや間があって、やがてヒソヒソとなにやら意見を交わす声が頭を下げたままのエスカに届いた。話の内容までは聞き取れなかったが、エスカの真意をはかりかね、いったいどう対処すべきかを話し合っているのは間違いないところだった。

「男爵」

 やがてヘロン伯爵がエスカに声をかけた。

「は」

「何が言いたい? そのような見え透いた下心を報告したいわけではあるまい? そもそもお前には領地など存在せぬであろう? それとも我ら五大老に謎をかけてほくそ笑むのがそちの趣味か?」

「め、滅相もございませぬ」

 エスカは狼狽した風を装うと顔を上げて両手を大きく広げて弁明した。

「ならば真意はなんだ?アプサラス三世亡き後の対応は急を要する。戯れ言につきあっている暇はない」

「お許しを頂戴し、申し上げます。ペトルウシュカ公領の献上の議については私には二心ございます。もちろん一つはいうまでもなく国王陛下のご関心を引かんが為。されど本心は別にございます」

 そこまで言うと、エスカは意味ありげな目でアイクを見上げた。

「遠慮はいらん。申してみよ」

「は。ご存じの通り我が領地は兄ミリア、つまりペトルウシュカ公爵の手にございます。実弟とはいえ、私には庭付きの屋敷一つ所有物はございません。これは土地割譲をよしとせぬペトルウシュカ公爵家の決まり事でございして、その点はどうにもなりませぬ」

「聞き及んでおる」

「しかし、でございます。私が公爵家を継げば、家の決まり事はすなわち我が胸先三寸。さらに言えば近頃我が兄の体調が思わしくなく別荘にて静養中なのですが、聞けば医者もすでに匙を投げているような事態でございまして……」

「貴様……」

 ヘロン伯爵はエスカの言葉をさえぎるように立ち上がった。だがエスカはそこで言葉を切ることはしなかった。

「さらに申し上げるならば、直接国王陛下に所領を献上しても旨味はさほど持続しませぬ故、どうせやるならば事は最大限に利用するのがわが流儀。すなわち、先ほど申しました我が領地の半分は五大老を経由して献上させていただければと愚考した次第でございます」

 エスカは一気にそこまで言うと、そのつもりで見れば解る程度の薄ら笑いを浮かべて頭を下げた。返答を待つ態度である。


(言っちまったぞ。さてさて、奴らはどう出る?)

 エスカは賽を振った。

 後は出た目を確認するだけであった。アイクの出方次第で彼の今後の動きが決まる。できればエスカがお膳立てした形で進めたい計画であったが、今回のアプサラス三世崩御という状況の大変化は間違いなく歴史の分岐点になる。この機を逃すな、と彼の中の何かが叫んでいた。

 とはいえ目算はあった。

 エスカにしてみれば、ここまで言って「謎」が解らなければそれだけの相手だと判断し、違う手を打つべく行動を開始すればいいだけであった。

 だが、そのエスカの思惑はまたもや思い通りには通用しなかった。彼が投げた劇薬のような言葉に最初に反応したのは当面の目標であるアイク・ヘロンではなかったのだ。

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