第三話 特級バード 1/2
「なるほどな。エスカ・ペトルウシュカ男爵、やはり面白い男だ」
突然の声に、エスカは虚を突かれて思わず顔を上げた。
アイクの声ではないどころではない。その声そのものがエスカの記憶にない。要するにその声の持ち主は五大老の中にはいなかった。
エスカの言葉に反応したその声は若い女のものだったのだ。
(誰だ……まさか変装か?)
油断していた。
エスカは心の中で舌打ちをした。
まさか相手がそこまで用心深くこの場を用意していたとは思ってもいなかったのだ。
鼓動が高まるのを感じながら、エスカはそのままの状態であたりに気を配ったが、女の姿はない。謁見の間にはいくつかの隠し扉があり、その向こうに護衛が潜んでいるのはままあることだが、今の声は壁越しの大声などではなく間違いなく目の前から聞こえたものだった。
この状況にどう対処すべきかを考える時間はそう長くはなかった。エスカは五大老以外の人間に今の話を聞かれたことで、今回の作戦が失敗したことをもはや自覚していた。
有り体に言えば填められたのだ。今の声に対して五大老の誰も動揺を見せないことが何よりの証拠と言えた。
残された次善の策は、つまるところ沈黙以外にないとエスカは判断せざるを得なかった。
平静を装いながらも、心の中でエスカはほぞを嚙んでいた。
「無理をするな。驚いたであろう? エスカ・ペトルウシュカ男爵」
うれしそうなアイクの声にいらだちながらも、下手な態度を取るわけにはいかないエスカは、嘆息すると素直に答えた。
「はい。このエスカ・ペトルウシュカ、大げさではなく寿命が十年は縮まりました」
「わっはっは。まあ、ともかくお前の提案はわかった。それはそれとして、とりあえずは今日の本題に入ろうか」
アイクはそう言うと、椅子に座ったままの他の五大老に合図して起立させた。
「男爵が胸襟を開いてくれたのだ。我々も本音を晒すのが礼というものだな」
一番奥に居たアイク・ヘロンは自らも立ち上がり、五大老の面々と顔を見合わせるとそう言ってうなずいた。
それを見て、エスカは思わず音を立ててつばを飲み込んだ。
首の皮はどうやらつながったようだった。そして投げた賽の目がどう出たかがいよいよ判明しようとしていた。
「男爵は大佐でありながら一個大隊を指揮する身。なれど聞くところによると今は幕僚長を定めておらぬそうだな」
「は……田舎者ゆえ、なかなか気心を通わせてくれる人物を見つけられずにおります」
「よく言うわ。生まれてこの方ほとんどミュゼで暮らしている事くらい知っておる」
「恐れ入ります」
「戯れ言はいい。そこでペトルウシュカ大佐には我ら五大老が信頼する人物を幕僚長として推挙しようと言うことになった。勿論この件については、すでに元帥庁にも話が通っておる。この意味はわかるな? 要するに我々の監視役を副官としてお前の側に置けという命令だ」
エスカはアイク・ヘロン伯爵の顔をまっすぐに見た。
「監視役とはこれまたいかなる事でしょうか? いったい私の何を監視されるとおっしゃるのでしょう?」
「実の兄を毒殺するなどと抜かす人間にはどう考えても監視が必要であろうが?」
「これは異な事を」
エスカが異議を申し立てようとするのをアイクは手を挙げて制した。
「これがお前の申し出に対する我々の返答だ」
エスカはそれを見て一礼した。
なるほど、とエスカは合点した。
エスカに先に話をさせたのはアイクの戦術だったのだ。何を言うにしろ、監視役を付ける事を条件として提示するつもりだったのであろう。もとよりエスカの話がなくとも命令として伝えれば同じ事である。つまり、エスカはアイクにやや出し抜かれた格好と言えた。
とは言え、彼の首はこれで確実につながったと言える。その場で反逆罪の咎で捕らえられても仕方のない状況であったのだ。エスカとしては少なからず借りができたことは間違いなかった。
アイク・ヘロンがただの強欲貴族ではない事は理解していたが、それでもやや相手を侮っていたことを自戒したエスカは、そこでようやく先ほどの声がアイクの話と符号する事に気づいた。
「もしや?」
「さすがに察したか。まんざらただのバカでもないようだな」
アイクはエスカの反応に満足そうな笑い顔を浮かべた。
「ペトルウシュカ大佐から部隊増強の要請が陛下の後押し付きで元帥庁に再三にわたり出されていたのは私も知っておる。特にバードの小隊の要請はもうずいぶん以前から出し続けておるな」
「は。対ルーナー戦に於いて物量で処するやり方は得策とは言えません。効率と効果の詳細につきましてはあらゆる場面を想定した試算を書面にて出しております」
「アカデミーの秀才らしいもっともらしい資料には私も目を通した。元帥庁としても今回の事変を受けて重い腰を上げたようだな。しかし大佐の申し出に許可が下りなんだのはひとつ大きな問題があるからだ」
エスカはうなずいた。
「認識しております」
「うむ。たとえ陛下の肝煎りとは言え、他の者との均衡や優先の問題もあってなかなか希望通りに、という訳にはいかんのだ」
「御意。されど」
「そこで、だ」
アイクはエスカの言葉を遮った。
「これは失敬を」
「よいか? 大佐でありながら大隊の指揮官というのはそもそも異例だ。それだけでもいらぬ風当たりの種となろう。そこへ特級バードの派遣まで行うとなると他の者が黙ってはおらぬ。だが、それが大佐でなく少将の要請だとしたらどうだ?」
「……」
「わからんか? これは取り引きだ。ペトルウシュカ大佐は五大老の後押しを受けて少将になるかわりに、我らの飼い犬として動けと言っておる」
エスカは内心ホッとした。今のところ表向きの利害は一致していると向こうはとってくれたのである。いや、とっている「フリ」はしてくれたといいなおしたほうがいいのかもしれない。
「それは……望外の幸せでございますが」
エスカはしかし、脳のすべての回路を全開にして計算を働かせていた。
二階級特進という話がうますぎるのは間違いない。さらに言えばたとえ国王と五大老の肝煎りであろうと元帥庁が何の見返りもなく大佐を二階級も昇進させるとは思えなかった。ヘロン伯爵の話の核心はここからのはずであった。
「お前が今考えているとおり、もちろん何の見返りもなく元帥庁が我々の要請を吞むわけはない。そこで我々は元帥庁に餌を与えた」
「餌、ですか?」
「左様。正教会との仮同盟を条件に出したのよ」
「何ですと?」
さすがにこの言葉には、エスカは演技を忘れて思わず素の状態で驚愕の表情を見せた。思わず口を開いたままでアイクの顔をまじまじと見るばかりだった。
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