第二話 五大老 1/2

 ファルナ朝の歴代の王は無駄に華美なものを好んでいた事で知られる。それはミュゼの王宮に入ればすぐにわかる事だ。

 一般の人間であっても王宮の門の両脇に目をやればその一端を理解するのは簡単である。もはや軍服とも呼べないほどばかばかしい姿をした衛兵の姿がそこにあるからだ。だが一度でも王宮に足を踏み入れた人間であれば、それがほんの序章に過ぎない事も知っている。

 王宮に一歩足を踏み入れるとその意味がわかる。およそ普通の感覚を持つ人間が目の当たりにするのは飾る為に飾っているとしか思えない無秩序な装飾で表面が埋め尽くされている柱、至る所にあるおびただしい数の彫像や置物が歴史背景や手法などおよそ何の脈絡もなくただ収集され並べられている様など。

 当時の貴族が陰で「世界一カネのかかった物置」と呼んでいたと言えばある程度の想像がつくだろうか。

 常軌を逸しているのは置物だけではない。説明しよう。

 広間の前室には横合いに靴拭いの為の部屋があり、訪れたものはそこで丹念に泥を拭わねば入室さえ許されない。広間の床にはガラスやタイルで極彩色のモザイク画が描かれているからだ。そしてその床に描かれた一枚絵はあまりに巨大すぎて一体全体どんな絵が広間を埋め尽くしているのかを正確に知っている人間はいないとさえ言われている。少なくともエスカが出入りの貴族連中に尋ねても何が描かれているのか知っている者は一人もいなかった。

 このばかばかしい宮殿の現当主であるエラン五世ですら見たことがないとエスカには漏らしていた。

 それもそのはずである。その広間には一階部分しか存在せず、その床絵の全体を眺めようとするならば壁から屋根を伝って天井の明かり取りになっているステンドグラスの窓を突き破って首を中に突っ込むしか方法はない。それゆえ「ガラス拭きの為の絵」などと陰口をたたく者もいるほどであった。

 来客にとっては広間はまだ何が書かれてあるかわからないだけ、ある意味で都合がいいものと言えるかも知れない。大変なのは王族の肖像画が掛けられている謁見の間や回廊で、ここには無秩序という言葉以外に適当な表現が見あたらないほどおびただしい肖像画が並んでおり、否が応でも目に入る。

 それというのも歴代の王は競うように自らの肖像画を前王よりも大きな号数で描かせたからである。時代が下がるにつれ大きさにも限界が来たようで、最近の王はもっぱら枚数を増やす手段に訴えはじめていたものだから、一人あたり数枚の肖像画をいたる所に飾るようになっていた。たとえ肖像画と言えども王の前では最敬礼をしなければならないという不文律があるため、これだけ肖像画が多いと来客はたまったものではなかった。絵と目を合わさぬよう、うつむいて歩くしか手段がないのだ。

 玉座もひどいもので、椅子自身が翡翠の巨岩をくりぬいて作られているのはまだしも、その表面には所狭しとあらゆる宝石が埋め込まれており、それは座面にまで及んでいる。

 その嘲笑の対象たる玉座を造らせたのはファルナ朝の三番目の王であるエクラ二世だが、座面に加工した宝石を埋め込んでいたために座ると尻が痛くなるという構造上の欠陥が生じてしまった。玉座のお披露目の日、その「仕様」に気づいた当のエクラ二世はたまらず立ち上がると、その場の末席に参列していた痔瘻を煩う臣下から麻の尻敷を二枚とも奪い、それをそのまま玉座に敷いて尻を降ろしたという言い伝えがいまだに残っている。それもあってこの玉座は貴族連中にとっては常に笑い話と二人連れで語られるのである。

 もちろん現在では臣下の粗末な麻布などではなく金糸でファルナ家の大鷲のクレストが刺繍された真っ赤なビロードのたっぷりと綿の詰まった尻敷に取って代わられているが、要するにこの王宮は万事において節度というものを感じられない過度な装飾に彩られたものの集合体と言えた。


 エスカは例の玉座を前にして、心の中でその日何度目かの深いため息をついていた。

 膝をつき頭を垂れて五大老を引き連れたエラン五世が現れるのを今や遅しと待っていたのだ。いや、現れるのを渇望していた。ばかばかしい空間に長くいると自分自身もばかばかしい存在であるような思いに駆られてくるのである。その思いが確信に代わり、それに伴って人生観が変わってしまう前に事を済ませてしまいたかった。

 多少の慰めになっていたのは彼の価値観で言うところの「死んだ方がまし」なマントを脱ぐことが出来たことである。

 重くて仰々しい縁飾りがついた佐官に支給されている屋外儀式用の白いマントを着ずにすんでいるからこそ正気でいられるのだろうな、とエスカは真剣に考え始めていた。だがそうやって頭を垂れていると胸に貼り付けた無数の勲章が垂れ下がり、あらゆる価値観に照らしてみても相当みっともない格好になっていた。

 ドライアドの場合、例によって勲章の形や大きさに脈絡など一切無く、特に国王から下賜される勲章にいたってはその勲章を定めた国王が好き勝手な大きさや形にしたものだから、エスカが付けている一番長いものなどは頭を垂れると床に着きそうになるのだ。もちろん国王から賜った勲章を床につけるなどあってはならぬ事であり、かといって頭の垂れ方が浅いと王に対する忠誠心が低いとなじられる。不敬を避けるには微妙な腰の角度に神経を使う必要があった。

(一体どうしろってんだ)

 心の中でそんな呪詛の言葉を呟いた頃、玉座の奥の扉が開く音がして先触れが王の到来を告げた。エスカは勲章がギリギリ床に着かない距離まで腰を曲げ、首の角度をさらに深くして頭を出来るだけ低く下げる格好をした。

(さっきロンドにはああ言ったが、最悪なのは軍服ではなくて勲章だな。後で訂正しておくか)


「しばらくぶりだな、ペトルウシュカ男爵」

 玉座についたエラン五世がエスカに声をかけた。

 エラン五世はまだ若い王であった。エスカとは貴族学校の同期である。若いのも道理だ。

 エスカに挨拶をしたエラン五世だが、その日の彼の役割はそれが全てであった。

 あくまで五大老とエスカの謁見であり、国王は立会人であった。いや、実際は立会人ですらなく、玉座が暖まる間もなく国王は立ち上がってその場を五大老に譲る内容の宣言をした後、謁見の間を退出する事になっていた。

「忙しかろうが、たまには茶でも飲みに来い。余はそれなりに退屈をしておる」

「身に余るお言葉でございます」

 国王はエスカにそう声をかけると何かを言いたげな顔を投げかけたが、それ以上は何も告げずに短い逡巡の後、形式通りに五大老に場の全権をゆだねる旨を告げ、そのまま謁見の間を辞した。

 通り一遍の挨拶をしたエスカは再び最敬礼の姿勢で五大老の言葉を待つことになった。


 五大老。

 わかりやすく説明するならばドライアド摂政組織である。

 名目上全ての権力が国王に集中しているドライアドにおいて政治の実質を牛耳っている言わば実行機関が五人の伯爵によって組織される五大老と呼ばれる組織であった。

 ファルナ王家が全王家の親族からなる公爵家をすべて地方へ封じた後、公爵家に取って代わったのが、公爵家の姻戚からなる有力な侯爵家であった。彼らはミュゼに確固たる地位を築き、そのまま宮廷内にも権力の橋頭堡を得ようとしていた。

 そんな侯爵達の台頭に危機感を持ったファルナ王家は自らの息がかかった伯爵家をミュゼに招き、国王補佐の地位を与え、行政に招き入れた。その時の五つの伯爵家こそが五大老の始まりであったと言われる。

 そもそもは有力な公爵家のミュゼ出張所のような意味合いが強かったそれぞれの侯爵家だが、元々公爵・侯爵を重用する旧ドライアド王家をよしとしていなかった下位の爵位を持つ貴族は、重用された伯爵達に肩入れをし出した。王家の後ろ盾もあり、歴史の流れの中で伯爵家と侯爵家の立場は逆転していった。

 やがて五つの伯爵家が実質的にすべての貴族の頂点に立っていったと言える。

 ファルナ朝が開かれた時に出来た「公爵家は政治に不介入」という法律が、彼ら五大老の力を揺るぎないものにしていた。

 「大老」とあるが、もちろん老人の組織というわけではない。その証拠に当時の五大老の筆頭と呼ばれていたヘロン伯爵ことアイク・ヘロンは四十歳そこそこの若さであり、最年少のプロコ伯爵などはまだ二十歳になったばかりであった。


 エスカはその日の五大老の招聘にある予感めいた物を感じていた。だからこそロンドに対し様々な重要事項について指示を出した上で屋敷を後にしたのである。

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