第六十九話 リリアのルーン 3/4

 ラシフは改めてエルデに向かって口上を述べた。

「最初に出会った時から気になっておったのだが、そのマントはお前には丈はおろか大きさがそもそも合っておらんな」

 ラシフはエイルのアルヴスパイアのマントを指さした。

 確かにエイルが羽織っていたのはもともとはアトラックが着ていたアルヴサイズのマントで、手直しを加えられているとはいえ、収まりがいいわけではかった。

 だが、エイルはラシフが唐突にマントの悪口を言い始めたのかが理解できなかった。

「かっこ悪くても、こいつは性能がいいんだ」

「うむ。そのマントの性能は聞いた。そこでだ」

 ラシフは盆の上にかけられた黄色い布をとった。そこには薄茶色の柔らかそうな布がきちんと折りたたまれていた。

「お前の背丈に合わせてマントを仕立てた。これを代わりに羽織ってはくれないか?」

「いや、そう言われてもアルヴスパイアに代わるマントは」

 エイルは正直に言ってこれはありがた迷惑だと思った。

「性能については案ずるな。アルヴスパイアもよい生地だが、これはそれよりさらに性能がいい」

「え?」

「嘘は言わん。同じ強度ならより薄く、同じ厚さならより強い。汗は通すが雨や風は通さず、火にくべても燃えぬ。切りや裂きにはめっぽう強く生半可な剣ではこの布に傷一つ付けることすら出来ぬ。さらに雨をはじき水に浮く。気候よく邪魔になれば、こうしてまとめるとごくごく小さくもなる」

「へえ……」

 エイルは興味を持ってマントを手にとった。ラシフの言うとおりアルヴスパイアのマントより断然軽かった。

「確かに軽いし、手触りがなめらかで気持ちがいいな」


【もらっとこ】

『なんか、特別製っぽくて悪いよ』

【特別製やからもらっとかなアカンと思うで】


「是非お納め下さい、エイル様」

 盆を掲げたイブロドがエイルにそう進言した。控えめなイブロドがそういう態度をとるのは意外だった。

「ラシフ様はそのマントをお作りになるのに二晩も夜なべをされたのです。我々の手伝いを断り、これは自分一人だけでやるのだとダダをこねられてまで」


『……』

【それで顔色が悪いんか。ルーンもたっぷり使うたんやろな】

『オレ……』


「いらぬ事を言うでない、イブロド」

 ラシフは鋭い声で娘を叱った。

「て、手伝いを断ったのは、私にしか出来ぬ細工やルーンが多々あったからだ。いや、そういうことはどうでもいい事。そういうわけで性能は私が保証する」

「……」

「もし遠慮しておるなら、それは無用だ」

「でも」

「是非に使ってはくれまいか? お前には感謝しても仕切れないほどの恩がある。むろんこれでそれが返せたと思っているわけではない。そもそもこれは恩返しの為ではない。ただ、純粋にお前に着て欲しいと思って作ったのだ」

 なかなか受け取ろうとしないエイルの態度に、ラシフは不安そうな顔をして懇願するような声になった。

「気持ちというものは、いざとなるとうまく言葉では言えぬものだな。つまり、私はお前が着たら似合うだろうな、と思いながら仕立てたのだ」


【何迷ってんねん】

『どうしていいかわからないんだよ!』

【何でやねん】

『オレ、こんなに親切にしてもらった事、初めてなんだ』

【……エイル】

『それに、おいエルデ』

【ん?】

『代われ』

【え? 俺にこの場の雰囲気引き受けろ言うんか?】

『ラシフとの人間関係はお前の担当だろ? 俺はほとんど寝てたんだぞ』

【いや、そやかて】

『か・わ・れっ! 礼儀なんだろ。俺は剣をもらった。充分だよ。だから今度はお前だ』

【うう】


 エルデはエイルから体を受け取ると、一度そっと目を閉じてから、着ていたマントを脱いだ。横にいたティアナがその脱いだマントを受け取った。

 それを見たラシフはまるで少女のように嬉しそうな微笑みを浮かべると、エルデが持っていたマントを受け取って広げ「後ろを向け」と言った。

 エルデは無言のまま素直にそれに従い、ラシフに背中を向けた。

 ラシフは広げた薄茶色の布で出来たフード付きのマントをそっとエイルにかけてやった。

 その時だった。ラシフの体がグラリと傾いた。

「母上!」

 ラシフのその様子を見ていたイブロドはそう叫ぶと盆を取り落とした。

 里人からどよめきがあがった。ティアナがイブロドを抱き止めようと動き出したが、誰よりもエルデの反応が早かった。

 エルデは倒れる寸前でラシフを抱き止める事に成功した。小柄なラシフは、案の定子供のように軽かった。

「大丈夫か?」

 エルデはラシフを抱き上げるようにして立たせた。幸い、ラシフには意識があった。

「心配は無用だ。ただの立ちくらみだ……すまんな」

 そう言ったラシフだったが、自力で立とうとしても体に力が入らないようだった。


【思てたより、そうとうヘバってる】

『大丈夫なのか?』

【命には別状無いやろけど……】


 エルデはしっかりラシフの体を支え直そうと腕を背中に回した。だがその拍子にラシフが被っていた例の長い頭巾に引っかかり、そのままうっかり頭巾を剥ぎ取るような形になってしまった。

 ラシフの頭を覆っていた頭巾が地面に落ちると、廻りに大きなざわめきが起こった。

 エルデはラシフの姿を見て息を呑んだ。

 そこにはもうラシフの象徴とも言えたあの地面すれすれまであった豊かで長い髪はなかった。薄茶色の髪は首の下あたりで切りそろえられ、つまりはすっかり短くなっていた。

 ただ、それをごまかす為なのだろうか、両耳脇の髪だけは房にして長いまま残し、髪飾りを編み込んで前に垂らしていた。

 頭巾を被りながらもその長い髪を前に垂らして見せていたので、誰も気付かなかったのだ。


「本当にただの立ちくらみだ。もう、大丈夫」

「族長、あんた……」

 エルデはもちろん既に察していた。ラシフの髪の行方を。

「バレてしもうたな。お前には秘密にしておくつもりだったのだが」

「自慢の髪やったんやろ?」

「自慢などしとらんわ」

「あんなに長くてきれいな髪やったのに……」

「ふふ。お前がそんなことを言ってくれるとはな」

「何でそこまでして、ウチなんかに……」

「賢者様ともあろうものが、妙な格好をしていてはおかしかろうと思ってな。お節介とは思うたが、私にはそれくらいしか思いつかぬ故」

 エルデは羽織った薄茶色のマントの手触りを確かめるようにそっと撫でてみた。

「これ、髪の毛とは思われへん……特殊な布やな」

「私のとっておきのルーンを使った、それこそ自慢の布だ。他の誰にもこれは出来ん。縫製ができるのも私のルーンだけだ」


【アホめ……】

『エルデ』

【こいつのことや。たぶんルーンを強化する為に自分の血をかなり使うたんやろな】

『そう、なのか?』

【そやなかったらあの血の気が多いラシフがこれほどまで消耗せえへんやろ。……くそ!】


「うん……ええ出来やな」

「着てくれるか」

「もちろんや。ありがたく、着せてもらうわ」

「そうか。うむ。よかった」

「その代わり、もうこんな真似は二度としたらアカンで」

「最後までこの私に説教か」

「ああ、こんな説教やったらナンボでもしたる」

 エルデはラシフを抱えたままイブロドを見た。

「イブロド!」

「はい」

「この暴走癖のある族長を、ちゃんと見といてくれ。ウチからのお願いや」

「はい。でも今度の事は大目に見て上げて下さい。私もまったく止めるつもりはありませんでしたよ」

「ホンマに、この里の連中は……」

 エルデは言葉を切ると、ラシフを抱いたまま右手にノルンを呼び出した。

「な、何をする気だ?」

 気配を察したラシフが体を硬くした。

「ええ子やからじっとしといてや」

 そうラシフに声をかけると、エルデは素早く短いルーンを唱えた。その回復ルーンは詠唱が終わるとすぐに効果が現れた。ラシフの顔に朱がさし、腕に力が入るのがエルデに伝わった。

「立てるか?」

 エルデはラシフに尋ねた。ラシフはうなずいた。

「大丈夫だ。しかし……」

「ん?」

「もう少しこのままでいさせてくれぬか?」

「え?」

「こうしておるとけっこう心地よい」

「族長……」

「お別れだな」

 ラシフがぽつりと言った。

「そやな」

 エルデも改めてその事に思い至った。ここで別れたら、おそらくもう二度と会うこともないだろう。

「不思議だな。こうしているとなぜかお前とは、ずっと以前からの知り合いのような気になってくる」

 里人達は、咳払い一つ立てずに、二人のやりとりに耳を澄ませていた。

「出会ってからまだ一月も経っておらんというのにな」

「そやな」

「おまけにその間お前は一週間も眠っておったのだから、実質は顔を合わせたのはもっと短い」

「そやな」

「お前とはもう少しゆっくりと話がしたかった」

 そういうラシフの声は小さく震えていた。

「お前は酒が飲めぬそうじゃな。それがちと残念じゃ」

 ラシフは本当に残念そうにそうつぶやいた。

「……」


【そやな。酒はともかく、ラシフさまとはゆっくり話をしたかったな】

『そうだな』

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