第六十九話 リリアのルーン 1/4

 里人達の出発はすなわちエイル達の旅立ちでもあった。

 婚儀が終わると興奮冷めやらぬジャミールの人々は今行われた儀式について語り合いながら里の出入り口に向かった。それぞれの荷物を背に、あるいは手にして。

 エイル達も急いで荷造りを済ませると皆の出立を見送るために里の出入り口に向かった。入る時には歓迎されなかった、あの出入り口である。

 一足先に準備を終えていたラシフは里人達を従えた格好でエイル達を待っていた。

 ラシフ自身もそれなりの荷物を背にしており、見れば後ろに従うイブロドもルーチェもそれぞれの荷を背負っていた。その姿でこれから数日かけて入り江まで歩き続けるのである。

 ただ、どうにも様子がおかしい。ラシフは例の儀式用と思しき長い頭巾を被ったままの姿なのだ。


【相変わらず顔色も悪いし、なんか妙やな】

『確かに』


 アトラックがルーチェとともにアプリリアージェのもとへ挨拶の為にやってきた。仲間一人一人と声を掛け合った後、最後にエイルの前に立ち止まった。


「魔人エイル。みんなを頼んだぞ」

「魔人?」

「剣も名人、ルーンも別格。歩きながらルーンは唱えられるわ、スカルモールドの動きを一撃で止められるわ、おまけに正教会の賢者としての権威もある」

 そう言った後でエイルの耳元に口を寄せると

(さらに、異世界の人間ときた)

 とささやいた。

「それが魔人じゃなくて何て呼ぶんだよ」


【神と呼べ、神と】

『おいおい』

【ついでに崇めろ】

『ついでかよ』


「アトルも元気でな。でも」

「何だ?」

 いきなり腕を組んで悩むような仕草をして見せたエイルに、アトラックは何事かと眉をひそめた。

「オレの居たところ……フォウではさ、アトルみたいなのをこう呼ぶんだ。『鬼畜』ってな」

「は? 何でオレが鬼畜なんだよ」

 気色ばむアトラックに、エイルはそっとルーチェを指さして見せた。

「子供相手にその……既成事実を作ったりするヤツのことだよ」

「子供相手って……」

 アトラックはそう指摘されて自分の妻とエイルを見比べた。

「おい、ルーチェはちゃんと成人してるんだぞ」

「ジャミールの成人は一三歳かよ!」

「こんな時に何をもめているんですか?」

 ひそひそ話をするエイルとアトラックを見かねたのか、アプリリアージェが側にやってきた。

「いえね、こいつがルーチェの事を子供だと言ってオレを責めるんですよ」

 アトラックは口をとがらせるようにしてアプリリアージェに文句を言った。

「あんたは弟のいたずらを母親に言いつける兄貴かよっ」

 エイルはアトラックの告げ口にムッとして口を尖らせた。

「あらあら」

 アプリリアージェはにっこりと笑うと、二人を無視してルーチェに尋ねた。

「実は私もちょっと気になっていたんです。ルーチェは実のところおいくつですか?」

 尋ねられたルーチェはにっこりと笑い返すと屈託のない声で答えた。

「十二歳」

「えええええ!?」

 エイルとアプリリアージェ、そしてアトラックの三人は、一瞬の沈黙のあと、異口同音に叫んだ。

「おい、ルーチェっ!」

 アトラックの顔はひきつっていた。そしてエイルはその時初めて凍り付いた表情をしたアプリリアージェを見る事になった。

 もちろんその場には異様な空気が張り付いていた。


「これこれ、その若さで年を偽るものではないぞ、ルーチェ」

 今度は話を聞いていたラシフが首を突っ込んできた。その顔色はまだ悪いままだった。

「ほ、本当は何歳なんですか?」

 少しほっとしてエイルはラシフに尋ねた。

「誕生日がくるまではまだ十一歳だ」

「ええええええええ?」

 顔色の悪いラシフだったが、一同の驚く顔を見ると満足そうな表情でニヤリと笑った。

「嘘に決まっておる。うろたえるな」

「うろたえるわ」

 エイルは思わず反射的にそう返した。

「お前がまだ半人前だからうろたえるのだ」

 ラシフは勝ち誇ったような顔をすると、恨めしそうな顔を向けるエイルにそう言ってからかった。

「春が来ればルーチェはもう二十歳だ。花嫁としては少々薹(とう)がたってきていた所だ」

「は、二十歳だって?」

 エイルはむしろ、十二歳と言われた事よりも驚いていた。

「これは本当だぞ」

「私は一人前のつもりなのですが、さすがにうろたえてしまいました」

 アプリリアージェはそういうと参ったという風にラシフに頭を下げた。

「わはは。どうやら私の家系の女は実年齢よりも少々幼く見えるようだな」


『少しじゃないって』

【よくて一四歳くらいかなとは思ってたけど、もう二十歳なんか……】


「十九歳って、オレより年上だぞ。というか、十七歳のネスティより年上にはとても見えないだろ? どっちもアルヴィン系の種族なんだろ?」

「いやいや。次期族長ともなると里の男共は怖じ気づいてなかなか近づこうとせんようでな。このままでは生涯独り身かと案じておったのだ」

「ばばさまが『ハンパなヤツが来たらこの私が全力で叩き潰すから覚悟しておけ』っていつも里の若い男衆を見る度に吠えているからではないですか」

 ルーチェは不満そうにそう文句を言った。

「何を言う。その私のおかげでお前はこの男と結ばれたのであろうが?」

「そ、それはそうだけど」

 ラシフの反撃に、ルーチェは真っ赤になって白旗を揚げた。ラシフの論理に釈然としないものを感じつつも、一行は何も言えなかった。

 どうやら今日のラシフは体調は悪そうだが舌戦においては絶好調のようだった。


「ところで、出立前に賢者殿にいくつか渡すものがある。受け取ってはもらえぬか?」

 ラシフは改まった口調になるとエイルにそう言った。エイルのもとへやってきた本来の目的はどうやらその件のようだった。

「渡すもの?」

「皆の前で手渡したい」


 エイルはなぜかラシフに手を取られて、里人達の前に引っ張り出された。

 そこにはイブロドとメリドが控えていて、メリドは黄色い布で包まれた細長い物を二つ、イブロドは黄色い布がかかって中身が見えない大きな盆をそれぞれ両手で掲げていた。


「渡す物は三つある。まずは一つめだ。これは本人のたっての頼みでな」

 ラシフはそう言ってメリドに目配せをした。メリドはラシフに一礼すると、エイルの前に歩み出て、膝をつき頭を垂れた。両手には黄色い棒を掲げたままだ。

「不肖メリド、族長の許可を得、ヴェリーユまでの道案内として賢者様のお供をさせていただきます」

「え?」

 エイルはびっくりしてメリドを見た。そしてラシフを見て、最後にアプリリアージェの方に顔を向けた。そういう話が出来ていたのかと思って確かめたのだ。

 だが、アプリリアージェは「私、知りません」という風に小さく首をかしげて金色のスフィアを揺らせて見せただけだった。

「すでに道順は説明したとおりなのですが『龍の道』は想像以上に複雑に入り組んでいて、賢者様といえども初めてではさすがに道に迷いましょう」

 メリドはエイルにそう説明をした。

 整った精悍な顔の少年兵と言った風情のダーク・アルヴの兵士は、確かに頼りになりそうに見えた。

「でも……」

「さりとてメリドは我ら一族にとって大事な兵士長。新しいデュナンの副兵士長が凄腕とはいえ、肝心の兵士長を失うわけにはいかん。そんなことになればイブロドが泣き叫ぶだろうしの」

「母上!」

 ラシフの軽口をイブロドがたしなめた。珍しい構図だった。

「コホン。公の場では族長と呼べ」

「公の場で要らぬ事をおっしゃる方が悪うございます」

「そ、そういうわけでヴェリーユまでの期限付きだ。遠慮せずに役に立ててくれ。それに」

「それに?」

「先ほども言うたが、何かの形でお前達の役に立ちたいというのはメリドのたっての希望でな。叶えてやってはくれぬか?」

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