第六十八話 幾千の問いを込めて

 驚いたのはエイルやエルデばかりではなかった。

 ほとんどの観衆は騒然となった。もちろん、突然に婚儀が行われる事自体もそうなのだが、それより何より観衆の多くの興味はルーチェの相手だった。

 騒然となった観衆を眺めながら、ラシフは珍しくいたずらっぽい笑顔を浮かべていた。

「我らが共有する祝福は多ければ多いほど、大きければ大きいほどよい。すなわちルーチェと共にこの場で婚儀を執り行いたいものはここに参れ」

 住民達は当初、ラシフの言葉の意味がわからず、顔を見合わせあった。もちろんラシフとてそのあたりは承知していたのだろう。絶妙な間をとった後に補足した。

「婚儀と申しても旅装のままで晴れ着も着ずに挙げるものだ。だが新しい土地に着けば様々な仕事がそれこそ山のように待っていよう。とてもきちんとした婚儀を上げられるような状態ではない。いきおい婚儀は先延ばしになるであろう」

 それを聞いた里人は、ふむ、と頷いた。

「しからばこの住み慣れたジャミールの里で仮の婚儀を行おうと言うのだ。そして次なる里に我らが馴染んだ頃、その新しい里で新しい家族の為に新しい様式の婚儀を改めて執り行おうではないか。それに……」

 ラシフは一気にしゃべると、そこで言葉を句切り観衆を見渡した。全員が自分を見つめていることを確認すると、満足した顔で続けた。

「旅に出るのに楽しみは多い方がよい。祝福というものは、いくらあっても荷物にはならぬ。さあ、この場で婚儀を行いたいものは、互いに手を取り合い我が元へ参れ。言っておくが、むろん資格のある者だけだぞ?」

 

 会場はざわめきの坩堝と化した。

 エイルの近くでまさにその婚儀の資格を持つと思われる巻き毛の娘が親に何かを懇願している様子が見えた。

 ジャミールの婚儀は女の家の許可によって成立するとラシフが言っていたのをエイルは思い出した。巻き毛の娘はまだ許可をもらっていなかったのだろう。

 両親は顔を見合わせるとうなずき合い、苦笑して娘を抱きしめた。

 成り行きを見守っていたエイルがほっとする間もなく、巻き毛の娘は両親を置いてその場を駆けだした。だが彼女の疾走はすぐに終わった。近くで不安そうな顔をして様子を見ていた少年(にしか、エイルには見えなかった)を見つけると素晴らしい笑顔で少年の手を取った。

「いきましょう」と言ったのだろうか。

 声までは聞こえなかったが巻き毛の娘は目の前の少年に何かを言うと、すぐ未来の夫となる人を引っ張ってラシフの元へと再び走った。

 彼女達が参加する頃には、かなりの数の男女がラシフの周りに集まっていた。

 見れば、中には子供を抱いている者もいた。


「婚儀は本来、春に行うものなのです。

娘親に認められずとも子供が出来た者は婚儀で一族に祝福されます。彼らはそういう者達なのですよ」

 かけられた声に振り向くと、そこにはイブロドが立っていた。側にメリドもいる。

「この場合、『おめでとうございます』 でいいのかな?」

 エイルは二人を見比べて、おそるおそる尋ねた。

「ジャミールでは婚儀が終わった後、娘の両親に皆こう言います。『良き働き手でうらやましい』と。」


【言うとくけど、ここは女系家族やからな】

『なるほど』


「それより賢者様、そろそろ」

「え?」

 イブロドはそう言って会場中央のラシフの方を見た。エイルもそれに倣って目を向けると、そこにはこちらを見て小さく手招きをするラシフがいた。


【儀式。賢者。効果。祝福。演出】

『なんだ、それ?』

【今すぐ俺に代われっちゅうことや】


 エイルはラシフのもとへ歩きながらエルデと入れ替わった。手には精杖ノルンがもう握られていた。

 見ればラシフの周りには二十組ほどの男女が集まっていた。その中には薬草や薬作りを一緒に行った、エイルが見知った顔もあり、目が合うと照れたように微笑んでみせた。

(合図をするから、一つ何かハデなヤツを頼むぞ)

 エイルを出迎えるように近づくと、ラシフは礼をしながら耳元でそう囁いてきた。

(経やとアカンのか?)

 同じようにエルデも返す。

 エルデはその時、その日はじめてごく近くでラシフの顔を見たが、族長の体調がおかしいことに一目で気付いた。


【どうしたんやろ?】

『聞いてみる?』

【うーん。場合が場合やからな。気はしっかりしてるみたいやし、後にしよか】


(経など、絶対に読んでくれるな)

(んじゃ、ありがたい説教は?)

(それもいらん。そもそもお前の説教はありがたくない)

(はいはいわかった。最後くらいは族長に花を持たせたるわ)

(頼む。だが……)

(『だが』……何や?)

(私はもうお前にはたくさん花を持たせてもらっておる)

(え?)

(頼んだぞ)

 ラシフは目の下にクマのある蒼白な顔を上げるとルーチェの隣に戻った。ルーチェは一同の中央に一人でいて、その隣には微妙な空間が空いていた。もちろん結婚相手の為の場所なのだろう。

 エルデは主役達から少し後ろ側に下がったところに控えてラシフの合図を待つことにした。


「ルーチェ、お前の夫となる者の名を皆に告げ、ここへ呼ぶのだ」

 ラシフはルーチェの肩に手を置くとそう命じた。ルーチェは頷くと観衆……この場合は参列者、あるいは立会人と呼ぶべきだろうか。つまり一族全員を見渡した後、緊張に少し震える声で夫となる者の名を口にした。

「我がもとへ来たれ、アトラック」

 緊張していたのはジャミール一族の人々も同様だった。一体誰の名が呼ばれるのか固唾を呑んでルーチェを見守っていたのである。

 そこへ告げられたのは誰あろう、賢者の付き人の一人、デュナンの剣士だったのだ。観衆の驚きは並大抵のものではなかった。そして人々はその時初めて悟った。壮行試合の順番と、彼がジャミールの名で闘い、勝利した意味を。

 会場の隅でそのまま控えていたアトラックは、バツが悪そうに中央に進むとラシフの指示に従いルーチェの正面に立った。

 儀式の始まりだった。


「幾千の問いを込めて、今汝らにひとつを問う」


 ラシフの声が広場に朗々と響いた。この婚儀に相応しい、それは胸の奥底に染みこむような声だった。

 ラシフはまず、ルーチェとアトラックに向かい合った。

「汝ら、今日から共に歩む長き旅の伴侶に、自らの命を捧げることを誓うか?」

 そして手に持った精杖をまず、新婦の頭にそっと載せた。

「ルーチェ」

「はい。我が母と父と先祖の名にかけて誓います」

「よし」

 次はアトラックの番だった。

 同じように族長の精杖が頭に当てられた。

(私と同じ事をいうのです)

 ルーチェが小声でそう囁いた。だが、それを聞いたラシフは同じく小声でそれを制した。

(いや、お前はお前の言葉で答えよ)

 アトラックはルーチェをちらっと見てからラシフに頷いた。


「アトラック」

 ラシフの問いかけにアトラックは右手を胸にあてて答えた。

「はい。我が矜持にかけて」

 アトラックの答えは、この後そのままジャミールの婚儀で新郎が答える言葉として伝わることになる。本来ダーク・アルヴなどのアルヴ族は命よりも誇りを大事にする種族である。その命よりも大事なものをかけて誓うと言うのだから、これ以上の誓いはない事になる。

 ラシフはアトラックの機知に富んだ対応に満足げな表情をすると、次の二人に移った。

 同じように精杖を頭に載せ、同じ問いをする。新婦はルーチェの言葉を、そして新郎は今聞いたばかりのアトラックの言葉を復唱した。

 それを眺めていたエイルはあることに気付いた。ラシフはその場に並んでいる全員の名前を何も見ずに呼びかけていたのだ。子供がいる二人の儀式の前には赤ん坊の名前を呼んで「元気そうじゃな」「夜泣きは治ったか」などと言葉をかけたりもしている。


【たぶん一族全員の顔と名前を覚えてると思う】

『すごいな』

【お前が考えてるより、ラシフはまじめで熱心で心根の優しい人やと言うことや。おまけに里人に本当に尊敬されてるな】

『お前もそんなことを言うんだな』

【俺は最初からあのおばあちゃんの事は好きやで】

『え?』

【意外そうやな】

『いや、そりゃそうだろ』

【まあ、向こうがこっちをどう思っているかは別にして、最初に会うた時に『何があってもこの村を守るんやー』ていう思いが顔中に出てたから、あの時点で憎めんようになってもうたんや】

『そう言えばお前、あの時……』

【おっと、話はここまで。そろそろ出番や】



 そうこうしているうちにラシフは全員の婚儀を終えた。二十組の男女は、族長の前で数千の誓いに匹敵する『一つの誓い』をおこなったのだ。

 ラシフは再び中央に歩み出ると、夫婦となった二人に向き合って互いに手を取り合うように命じた。二人だけの男女はそれぞれ両方の手と手を取り合い、すでに家族のいる男女は父親が片手で子供を抱き、空いた手を子供の母親が両手で握った。

 ラシフはその様子を穏やかな微笑で一通りゆっくりと眺めた後で、チラリとエルデの方を見た。エルデはそれに小さく頷いて見せた。

 族長ラシフはその場にいた全員を抱きかかえるように両手を広げ、婚儀を締めくくる言葉を告げた。

「我らの未来を紡ぐ、この者達に大いなる祝福あれ」

 それは飾りのない短い言葉であったが、それだけにその場にいた全員の心に素直に響いた。

 エルデはその言葉が終わると同時に精杖ノルンを水平に構え、短い認証文(ルーン)を二つ、続けざまに唱えた。それはエルデのルーンにしては珍しくハッキリと発音され、近くに居た者達の耳に届いた。

「シエル・エリュネ・ナダ・リューン……ラント・フルエ・マリミュール」


「まあ!」

 程なくあちこちで歓声が上がった。

 人々は空を見上げていた。ラシフもその声で空に目を向けた。

 そこには、空全体を覆ってしまうほど大きな虹が架かっていた。しかも、一つではない。重なるように無数の虹が半天を覆っていたのだ。

「おお」

 ラシフは思わず自らも感声を漏らした。演出家の方を振り向くと、すでにノルンを指輪に戻したエルデが、ややはにかんだように笑っていた。


「完璧だ」

 アキラは虹を見上げながらそうつぶやいた。

「良くできた演劇をあまた見てきた私ですら、ここまで完璧になされた演出は見たことがない」

 アキラが感心していたのはもちろん虹についてではない。三部構成ともいえるこの日の一連の儀式が一つの目的に沿って和声を奏で、美しく調和していたからだ。

 第一部の慰霊と感謝の儀式が今までの価値観における過去の清算行為だとすると、第二部にあたる壮行試合は新しく向かう世界における自分たち一族の立ち位置を認識し、新たな価値観の胎動を示唆するものと言えるだろう。そして第三部の合同婚儀は、この里と新しい里の両方で都合二度行われると宣言された。つまり二つの里をつなぐものとして捉え、新しい夫婦をその祝福と希望の象徴として一族全員の祝福の中で示して見せた。

「予祝」という言葉があるが、第三部はまさにそれにあたるだろう。そして儀式の最後を飾ったのは見たこともないような豪華な虹の饗宴である。虹は美しい希望の象徴となり、今日のこの日は「良き日」として人々の心に印象深く刻みつけられたに違いない。


「そうだな」

 アキラの独り言にファルケンハインが反応した。

「完璧で、美しい」


 結婚式に虹が出ると、その二人は末永く幸せに暮らせるという言い伝えがファランドール各地にある。その原典はさだかではないが、エルデがルーンで作り上げたこの虹から伝説は始まったのかもしれない。

 もちろんジャミールの人々の間では、この日の事は様々な尾ひれ付きで長く長く語り継がれたという。

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