第六十七話 式典の朝 6/6

 抵抗をやめたアトラックを肩にのせたティアナが剣を空に掲げると、初めて大きな歓声が沸き起こった。会場を大きく廻り観衆達のすぐ近くを通りながら、ジャミールの民族衣装を着たアトルは、勝者として敗者のアルヴを文字通り尻の下に従えながらその雄姿を披露し、そして最後に審判席にいるルーチェの前にやってきた。

 婚約者の前でようやく解放されたアトラックは、族長ラシフの前に歩み寄り、膝をついてジャミール式最敬礼をもって勝利の報告をした。

「我が勝利をラシフ様に捧げます」


 歓声がひときわ高くなる中、ティアナは最前列で自分たちを見つめるルーチェを見つけると、先ほどまで物凄い形相で両手剣を振り上げていた戦士とはとても同一人物と思えないほど穏やかな笑顔で声をかけた。

「お前の夫はデュナンだがアルヴより強い。里人にはせいぜい自慢するのだな」

 それに対し、ルーチェは首を横に大きく振った。

「いいえ、それでは里のみんながアトルを好きになってしまうので困ります」

「これはしたり。既に織り込み済みではなかったのか? デュナンとは、浮気が仕事のような種族なのだぞ?」

「おいおい、ティアナ。頼むからルーチェに変なことを吹き込まないでくれ」

「大事な行事の最中じゃ。私語は慎め、バカものめ」

 ティアナ達のやりとりをしばらく聞いていたラシフは該当者達をそう叱責すると立ち上がった。


 族長は試合の勝者を称え、敗者のさらなる鍛錬を奨励し、その日の試合を新たな土地に旅立つジャミール一族全員の健康と安全に捧げられると宣言した。

 広場に集まった多くのジャミール一族に気付くものは少なかったが、この日のラシフが行った行事は今後のジャミール族にとって大きな意味を持つことになる。

 賢者まで引っ張り出して執り行った最初の儀式は唯一神マーリンの名を使った完全な宗教行事だった。

 ジャミール一族の誇りと共に土に帰った多くの先人に対する鎮魂の儀式は、彼らの精神世界であったジャミールが守ってきた神事こそが相応しい。それはラシフだけでなく里の誰もがそう思っていた事であった。

 だが、次に行われた壮行試合において、ラシフは一度もマーリンという言葉を使わなかった。そして壮行試合という儀式を里人全員の為のものだと宣言したのだ。

 そもそもその儀式には賢者ですら一戦士として参加者全員と対等の立場で里人と戦ってみせたのである。これは、ジャミールの里が変わったという事を、儀式を使い、ある種の目に見える様式として全員に宣言した瞬間でもあった。

 この演出をラシフが一人で考えたのか、あるいはアプリリアージェの底知れぬ叡智が主導したのかは知るよしもないが、生まれて初めて独裁者としてのその力を行使し、鶴の一声で今ある里を捨て新たな地へ移住する事を宣言したラシフは、同時にシルフィードに渡った後、一切の宗教的な行事を廃止し、それに変わる祭礼を行う事も伝えてあった。

 里人は族長に従う以外の選択肢は持たなかったが、宗教行事がなくなり祭礼に置き変わる事が一体どういう事なのかという実感が得られないでいた。

 その一つの答えが壮行試合という『儀式』で参考提案されたということなのだ。


 族長の総評を聞きながら、エイルはそっとエルネスティーネの姿を探した。彼女は審判席でラシフの隣に座り、穏やかな表情で前方を見ていた。その視線の先にいたのはルーチェだが、そのルーチェを穏やかに見つめるエルネスティーネの笑顔は気高くさえあると、エイルは思った。


【どうした、ネスティがまだ心配なんか?】

『そりゃあ、な』

【言葉遣いは置いといて底抜けに気さくやからついつい忘れがちになるけど、ネスティは広大な領土と強大な力、それに悠久の歴史をもつ大国の王女や。しかも誇り高きアルヴの一族、アルヴィンなんやで】

『そんなこと言われてもオレなんかにはピンとこないだろ?』

【ならハッキリ言うたるわ。ネスティはお前なんかより百倍しっかりしてるし精神的にもお前の視界に入らへんくらい高みにある。そんな足もとにも及ばへんやつに心配されてると知ったら、さぞ屈辱やと感じるやろな】

『そこまでオレはけちょんけちょんかよ?』

【それだけネスティとお前は釣り合わへん存在や、言うてんねん】

『それはまあ確かに、な』


 エイルはルーチェを見つめるエルネスティーネが今何を考えているのかが気になっていただけだった。訃報の件はエイル自身がじたばたしてもどうしようもないことだったからだ。それにエイルにはエルネスティーネを慰めるだけの覚悟も自信もなかった。


『なあ』

【何や?】

『オレはこのファランドールに係わってもいい存在なのかな?』

【なんやねん、藪から棒に】

『誰にも係わるな……それが俺達の合い言葉だったろ?』

【そやったな】

『ランダールでリリアさん達と出会ってから……いや、違うな。あの道でカレンに出会ってから、オレ達、かなり他人と係わった生活をしてるよな』

【それも、命のやりとりまで発生する深〜い関係になってもうてるな】

『このままファランドールに関係を持ち続けて、オレはフォウに帰れるのかな』

【なるほど】

『それに、お前が言わないから聞かなかったけど、ずっと気になってることもある』

【だいたい予想してるけど……一応言うてみ?】

『シグ・ザルカバードは死んだそうじゃないか?』

【うん】

『お前はもう一つ方法があるって言ってたよな?』

【ああ】

『それって、気休めなんだろ?』

【気休めでもでまかせでもない。ちゃんともう一つ方法があるんや】

『誰も信じるなって言う奴の言葉を信じろっていうんだな?』

【信じろ。絶対お前をファランドール・フォウへ帰したる】

『わかった。よし、じゃあ、オレも決めた』

【決めたって、何を?】

『フォウに帰るまで、オレはネスティの騎士になる』

【騎士? 何やそれ】

『知らないのか?』

【知らんわ】

『ほら、よくあるだろ、姫君に付き従う護衛の剣士というか……フォウでは騎士(ナイト)って言うんだけど……』

【それは下僕の事やろ?】

『下僕って……ファランドールにはないのかよ、その概念』

【ないない。だいたい専属護衛やったらティアナがおるやろ】

『ティアナみたいな存在は何て呼ばれてるんだ?』

【そやから専属護衛】

『他にいい呼び名はないのか?』

【いや、他にとか言われても……あ、シルフィードには……】

『あるのか?』

【あ、いや、ないない】

『嘘つけ』

【ホンマに知らんわ! それよりなんでお前がネスティの護衛役にならなあかんねん。俺は絶対嫌やで】

『だからお前には頼まないって。だいたいお前はティアナに触れないんだから連携しにくいだろ? 俺とティアナなら剣士同志だしな』

【そこまで言うなら勝手にしたらええけど、絶対反対の立場は変わらへんで】

『というかだな、何でお前はネスティ相手だと意地になるんだよ?』

【なってへん!】

『なってるだろ!』

【なってへん、言うたらなってへんねん!】

『はいはい、さよですかい』

【ふん】


 総評を終え、壮行試合の終了を宣言すると同時に、ラシフはその日の最後の仕上げにかかる事にした。


「さて、続いてこれより本日最後の儀式を執り行う」

 ラシフのよく響く声に、観衆のざわめきは波が引くように収まった。

 普段のラシフは普通、いやむしろ声は小さいくらいであったが、この行事では終始大勢の観衆の後ろの方まで届く程の溌剌としたのびのある声を出していた。

 それを不思議がるエイルにエルデが説明したところによると、『そういうルーン』があると言うことだった。


【風属性の中位ルーンや。ちょっと前にこれと似たような体験したことあったやろ? ほら、蒸気亭のあの喧噪の中でリリア姉さんの小声だけが明瞭に聞こえてたやろ? あれは風のフェアリーの能力の一つやけど、ラシフのルーンはそれと似たようなもんや】

『なるほど』


「ルーチェ、こちらへ」

 ラシフは観衆の見守る中、ルーチェの手を取ると今まで白熱した戦いが繰り広げられていた会場の中央へ連れ出した。


『何が起こるんだろう』

【さあな。あ、ひょっとしてあのオバハン、族長の座をこの場で孫に譲るつもりかも】

『なるほど、あり得るな』


「我らが旅立ちにあたり、大いなる祝福を共に得んが為、ここで今、我が後継者ルーチェの婚儀を執り行う」


『え?』

【えええええ?】

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