第六十七話 式典の朝 2/6
各自の荷物はいったん里の入り口にまとめて置かれていた。里人達は身軽になると夜明けを合図に全員が広場に集まった。
出立の日はジャミールで一番盛大な式典の日になった。
広場には式台が置かれ、すでにそこでは族長が静かに里人を待っていた。
だが、そこにいたラシフの様子が普段とは違った。
『あれ?』
【ほう】
族長ラシフは黄色い民族衣装を纏っていた。
それは特に問題はない。だが、いつもと違うのは頭からすっぽりとかぶり物をしていたことだった。それは頭巾のような形で……ただ、異常に長かった。なぜなら地面に届こうかと言うほど長い薄茶色の真っ直ぐな、ラシフの象徴とも言える髪を全て被っていたからだ。当然頭巾の先は地面に達していた。
多忙な日が続いた為だろうか、少し憔悴したような表情をしたラシフだったが、儀式にあたっては毅然としていて強い存在感を示した。
エイルには普段小さなラシフの体が、その日は二倍以上大きく、そしてまぶしく見えた。
全員が集まるのを待って、まずは先祖の霊の供養が行われた。
ジャミールには多くの墓がある。それらを捨てて出て行くのである。それなりの儀式が必要だった。そこでエルデの出番となった。
エルデははその最初の儀式には計画段階から進んで参画していたのだ。実際の式典にあたっても、賢者としての立場を効果的に使い、人心をまとめあげることに成功した。
何しろ賢者の徴である赤い第三の目は実に説得力のある存在だったのだ。
法要や宗教行事は本来賢者がやる仕事ではない。マーリン正教会においてオラクルと呼ばれる神官や司祭あるいは司教などの立場にあるものの役目であった。だが、賢者であるエルデが唱える教典の一節や精杖の一降りできらびやかな光を降らせるルーンには、住み慣れた里を捨てる事に対する人々の心にある後ろめたさを軽くする絶大な効果があった。
「マーリンの眷属、賢者の名において、この地に眠る汝らの偉大なる祖先の永遠の安寧を保証しよう。たとえこの地が溶岩に覆われたとしても、その祝福と安らぎは未来永劫変わることはなくこの場所と共にあり、このファランドールの糧となるだろう」
「賢者エルデがこんなに慈悲深く親切な事を口にする人だとは思いませんでした」
法要が終わった後でアプリリアージェがそう言ってからかうと
「『死に神』が人を生かすのに尽力するっちゅうのもどうかと思うけどな」
そうエルデが返した。
アプリリアージェはそれを聞くとうれしそうにふふふ、と笑った。
法要の後には、里人が楽しみに待っていた行事があった。アプリリアージェとラシフの間で取り交わされた「壮行試合」がそれである。
ジャミールの兵と賢者エイミイ側の戦士それぞれ六人ずつが小隊を編成し、一対一で勝負をして勝者の数が多い小隊が勝ちである。
勝負は真剣で行い、致命傷を浴びせたと判断された者が勝者となる。
審判長はラシフだった。
真剣での試合が可能なのは、もちろん事前にエルデが強化ルーンをかけることになっていたからである。
当初の予定と少し違う点があるとすれば、それはアトラックがジャミールの兵として出場することだった。
【予想外やないんかもな】
『え?』
【いや、こうなることもリリア姉さんは織り込み済みやったんかもな、って思って】
『まさか』
【まさかとは思うけど、ジャミールに一勝の可能性が出たわけやろ?】
『……』
双方の代表が一列に並んで向かい合った。
代表と言っても賢者側はエルネスティーネを除く全員がそこにいた。アプリリアージェがウーモスでやろうとして頓挫していた『試闘』が、形を変えてこんな場所で実現するというのはさすがの彼女でも予測していなかったことに違いない。
『賢者側』にはアキラの姿もあった。彼はアプリリアージェにその話を持ち出された時、話が終わらぬうちに是非自分も出してくれと懇願していたくらいだから、実にうれしそうな顔で参列していた。おそらく側近のミヤルデが上官のその様子を見たら、間違いなく苦虫を噛み潰したような顔でセージに愚痴を並べる姿を見る事が出来たであろう。
ジャミール側には完璧に傷が癒え、体調も万全のメリドがいた。隣には筆頭副兵士長のヒノリもいる。後の四人もダーク・アルヴながら見るからに屈強の戦士と言った面構えの兵士が並んでいた。
第一試合にはエイルが出た。
最初にかける強化ルーン以外、ルーンは一切使わないという決まり事だったので、エルデの出番はない。純粋に剣士エイルの実力だけの勝負だった。
エイルは武器の選定について試合前に少し悩んだが、近くに生えていた木から細い枝を折り、それを手にしていた。
精杖ノルンを使わなかったのは相手がそれを見て賢者だと萎縮してしまうかもしれないというエルデの判断があったためだ。
だが試合前に一悶着あったのは言うまでもない。
「剣なら武器庫より好きなものを選べば良かろう?」
エイルが持つ枝を見咎めたラシフにエイルは首を振った。
「いや、オレはこれが使いやすいんだ」
剣での試合という名目だったが、ジャミール側の剣士も承諾したため、変則として認められることになった。
第一試合に最も注目していたのは他ならぬ味方のアプリリアージェだった。
スカルモールドと戦った時にはエイルの剣技を見る余裕などなく、蒸気亭の戦いはルーンを併用しており、そもそも相手の技量が低すぎて参考程度にしかならなかった。あとは稽古をしている姿を一度見たきりである。
エイルの相手は茶色の髪をした精悍な顔つきの兵士で、細身の片手剣と木と革で出来た軽い盾を持っていた。
「はじめ」
双方、ジャミール式の礼をすると試合が始まった。
この試合はこの日でもっとも地味な戦いと言えた。
「うおおおりゃああああああ」
開始と同時にダーク・アルヴの兵士は突進した。
枝が剣ならば枝ごと切り倒してやる、という意志が会場中に伝わるかのような力の入った突進振りだった。
だが迎え撃つエイルは微動だにしない。
相手の兵士はエイルの右目が見えないことは知らない。もちろん左耳が聞こえないことも伝えていなかった。知っていれば有利に戦えたかもしれないが、戦場で相手がそれぞれ自分の弱点を言ってくれるわけではない。それに気付いて戦い方を工夫するかどうかは現場だけで通用する問題であった。
勝負の方はあっけなくついた。
勢いをつけて切りかかる相手に対し、エイルは枝でそれを受けようなどとはしなかった。相手の剣が自分の体に突き刺さる直前に必要最小限だけ動いてそれを避け、そしてすれ違う際には手にした枝を相手の胴に当てていた。
剣を避けようとする相手の動きが見えれば、動いた方向へ剣を向け直すものである。事実ジャミール側の剣士もエイルが直前で避けようとしたのを確認した上で修正は行っていた。だが、その修正の外側にエイルはいたのである。
「ほう……」
それを見ていたアキラは思わず感嘆の声を漏らした。
「賢者殿が腕の立つ剣士だという話は本当だったのだな」
声をかけられたファルケンハインはしかし、アキラ以上に驚いた顔でエイルを見ていた。
「不思議な剣だ。てっきり相手の剣で貫かれるものと思ってしまった」
「必要最小限の動きで相手を倒す。口で言うのはたやすいがそれを実践できるものは我らレナンスを名乗る者にもそういないだろう。まだ若いというのに」
ラシフの隣で試合を観戦していたエルネスティーネは、相手の兵士がエイルに斬りかかった時、思わず腰を上げ、悲鳴を押さえるために両手を口に当てていたが、エイルの勝利を見て、腰を抜かしたかのように音を立てて椅子に座り込んだ。
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