第六十七話 式典の朝 1/6

 ダークアルヴの一つの隠れ里の住民達が、住み慣れた辺境の山奥を離れる準備を整えたのは、結局それから三日の後であった。

 アプリリアージェがラシフに対して啖呵を切って見せた日から数えて都合二週間弱。

 彼女は公言通りに事を運んでみせた。


 エイルとエルデは残り少ない時間を全て薬作りに充てた。ただ、昼食はずっとアトラックの側で過ごす事にした。ルーチェには悪いと思ったが、そもそも夜は二人きりで過ごせるのだから昼食くらいは大目に見てもらうことにした。

 そこでアトラックの口から事前の段階では知らされていなかった移住の細かい手筈について、その詳細を聞く事になった。

 目を丸くしたというのはこの事だろう。エイルとエルデは戦術家や策士と言った方面とは違うアプリリアージェの『本当の力』を思い知らされた気がした。弓や剣を構えて戦う強さではなくアプリリアージェ・ユグセルという人物が持つ名前の力だった。

 もちろん、それは眠っていて得る家柄や財産といったものもあるのだろうが、その時アプリリアージェが駆使したもっとも大きな力は、どうやら自らの力で得たもののようだった。


 ジャミール移住に関してラシフから承諾を得たアプリリアージェは、その場で書状を二通用意した。それをファルケンハインとティアナに持たせ、そのたった二枚の書状と二人の部下を使って二週間後には実際に移住が始められる状態になったのだから、その力の持つ意味は計り知れない。

 しかも海を隔てた別の大陸の内陸部に居ながらにして、である。

 

「ファルさんの言っていた入り江は地理的にワデュカ湾の端にある。あの辺りは全部氷河の跡で水深が深いから、大型の船が入っても問題ないだろう。ファルさんはいいところを見つけたと思うよ。あそこからなら天候さえ安定していれば海路一週間程でファルンガの入植予定地付近に上陸が可能だろう」

 アトラックは日に日に質素になっているスープの具をつつきながらエイルに説明した。

「おそらくいずれ本国に対して正式な手続きが必要になる可能性もあるが、公爵領への客人として招かれる事については現状でも法的にはまったく問題はないんだ」

「そうなのか?」

「ああ。なぜならこの手の許可は貴族法によると公爵の裁量範囲だからな。忘れたか? リリアさんは一応まだ公爵領ファルンガの領主なのさ」

 シルフィードの貴族が管理するいわゆる領地にはいくつか格付けがあり、公爵領は特別扱いになっている。

 陸軍・海軍は言うに及ばず、近衛軍であろうと公爵の許可なしに領地に入ることは許されていない。ゆえに公爵領の治安維持はいわゆる公爵軍、一般には州兵と呼ばれる独自組織の軍が行う。

 とはいえ現在シルフィード王国にある九つの公爵領のうち七つまでは領地もそれ程広くなく自治とは名ばかりで実態は政府に管理委託をしているようなものである。従ってそれらの地域は王国軍の一部を公爵州兵として「貸与」されている。つまり実質的には軍隊が駐留しているわけだが、公爵という立場を尊重する為便宜上あくまでも「州兵」を名乗る。

 また、貸与される州兵は近衛軍の管理下にある。

 ユグセル家が統治するファルンガは領地が広大なこと、また土地が豊かで各種産業も盛んであることから経済的に余裕があり、公爵軍、いわゆる州兵を自前で持っていた。ユグセル家が並の貴族と違うのは、その州兵をまかなう為の経済的な循環機関をも設定していた事である。州兵は交代制で生産を主とする仕事に従事し、対価を生み出す。また領内では州兵の為の軍需産業もあり、生み出した対価はそこに流れる。単純な言い方をするならば、州兵に関する物資については領地外にカネを出すことなく賄っていたのである。

 ファルンガ州兵の規模はもちろん王国軍とは比べものにはならないが、所属する兵達の士気の高さや能力は王国軍でも高く評価されている。公爵推薦として王国軍に抜擢されたものは州兵での実績、つまり階級を考慮され、ほぼ同等の地位に就ける程である。完全な能力主義のシルフィード軍に階級付きで配属されることは通常ではあり得ない事なので、いかにユグセル公爵軍が一目置かれる存在なのかをうかがい知ることが出来る逸話と言えるだろう。

 ファルンガ州兵、正式名称ユグセル公爵軍は殊に海軍が有名で、北方の海峡にあって約半分の戦力で百戦錬磨の海賊達と堂々渡り合っていたという記述は数多く残っている。

 

「入植地に近づけば公爵軍の船団が迎えにくるだろう。しかもリリアさんが信頼する人物が窓口ということだから文字通り大船に乗ったつもりで居られるってものさ」

「『向こうに着いたらその者に何なりとおっしゃってください』っていう感じ?」

「勿論、要望がすべて通るわけではないが、ワルド子爵が『人物』であることについて疑いはまったくないよ」


 それにしても、エイルは気になっていた。

 アプリリアージェは書状を二つ用意したと言っていた。

 一通はマキーナ・ワルド子爵宛だとして、もう一通は一体誰宛のものなのか?

 そう。アプリリアージェが自ら作り出した力とはつまりその手紙の先にあるものだった。

 それを尋ねると、アトラックはニヤリと笑って目配せをした。

「今は秘密だ」

「けち」

「まあ、そのうちわかる時も来るさ。ちなみに言っておくと、二通ともワルド子爵宛じゃないぜ」

 ワルド子爵には伝信所から鳥を使って連絡を取ったという。なんでもアプリリアージェとマキーナとの間には、ある暗号が取り決めてあり、ファルケンハインは指示されたとおりそれを使って連絡を取ったのだという。

 そして残り二通はティアナがマキーナの返事を待つ為に待機している間にファルケンハインが別の場所へ届けたということだった。五千人以上の人間を運ぶ移送船団はそこからやってくると言う。

 ほんの数日でそこまでの数の船を用意できる人間。しかもたった二通の書簡で、である。

 アトラックがポツンと言った。

「故アプサラス三世でも不可能だと俺は思うよ」


『移送船団って、シルフィード船籍じゃないんだ』

【いくら何でもシルフィード籍の船、いや船団を勝手にサラマンダ領に近づけるわけにはいかんやろ?】

『言われてみればそうだな』

【それでもユグセル公爵がその気になれば軍隊でもない数千人規模の人間をここまで短期間で移動させられるっちゅう事やな。悔しいけど、ここは素直に心の底から驚くしかないな】

『そうだよな』


「大丈夫ですよ。マキーナ・ワルド子爵は私の守り役だった者です。相当歳はとっていますが、アルヴですからまだまだ壮健です。族長のわがままに多少振り回されてもそうそう倒れることはないでしょう」

 夕食の席で受け入れ先の話題が出ると、アプリリアージェはそう答えた。

「そなたの守り役か」

 ラシフはそういうと腕組みをして考え込んだ。アプリリアージェはその様子を見て首をかしげた。

「私の守り役だとご不満ですか?」

「いや、マキーナ・ワルドなる人物とは是が非でも懇意になり、そなたの幼少の頃の恥ずかしい逸話など聞いて慰みにしたいものだと思ってな」

「そんなこともあろうかと既に手は打ってありますよ」

「なんだと?」

「族長が変なことを尋ねてきたら……」

「尋ねてきたら?」

「いえ、さすがの私もあまりに残酷な事なのでこの場で口にだすのもはばかられます」

 そう言って珍しく片側の口を持ち上げるようにして笑って見せた。

「お前が言うと冗談に聞こえん」

「冗談ではありませんから」

 ラシフはそう言って笑うアプリリアージェを恨めしそうに睨むとため息をついた。



 そしてついに里人達の準備が完全に整った。

 出発の日が来たのだ。

 ラシフは不安がったが、最終検分を行ったアプリリアージェの強い要請で最終的には各自の荷物は身の回りに必要な最低限のものに制限された。食料も一人あたり一週間分を基本として後は里に置いていくようにすすめた。数日とはいえそれなりに長い行程を歩かねばならない。アルヴならともかく、体力のないダーク・アルヴが持つ荷物は出来るだけ軽い方がいいのは間違いない。「移送船に乗ってしまえば、食事の心配は一切ない」という説得で、ラシフはしぶしぶそれを承諾した。さらに入植地に着けばしばらくの間の衣・食・住に困らないような準備が整えられているという。

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