第六十六話 守るべきもの 1/3
しばらくして目覚めたエルネスティーネはファルケンハインとティアナを呼び、彼らが知る範囲の情報を得た後、ティアナに抱きついて長い間幼い子供のような声を上げて泣きじゃくっていたという。
だがエイルが翌朝会ったエルネスティーネはいつもの『ネスティ』だった。
ただ、依然と全く同じというわけではなかった。
エイルはいつも通りにっこり笑って駆け寄ってくるエルネスティーネの姿に違和感を覚えた。何かが違うのだ。
肩にいる『マナちゃん』……はいい。普段通りだ。あの細くて小さな肩の上でよく毛繕いができるものだと見ていていつも感心するが、それよりも今までエルネスティーネが身につけていなかった物がその細い腰にぶら下がっていた事が違和感の原因であった。
「ネスティ」
普段通りの明るさにも戸惑ったが、およそ似合わない物が腰にぶら下がっているのを見てエイルは朝の挨拶も忘れてエルネスティーネの顔と腰の物とを見比べた。
「ああ、これですか?」
エイルの視線に気付いてエルネスティーネは腰に差している物に手を当てた。
「今回の旅立ちにあたり、父上から授かったものです」
いわゆる短剣の一種だが、より小振りで懐剣と呼ばれる種類のものだった。普段は懐にいれておいて、いざという時に使ったり、眠る際枕元に忍ばせておく物だと聞いていた。
「我が国の風習だ。剣を持つものが喪に服する時の徴(しるし)だ」
エイルの横で同じようにエルネスティーネを見つめながら、ティアナがそうエイルに教えた。見ればその腰にも同じような懐剣が刺さっていた。
「本来、肉親が喪に服する場合は紫色の服を着るか、もしくは紫色の装飾品を身につけておくのが風習なのですが、私の場合そういうわけにもいきません。私は兵士ではありませんが、剣の修練はしていました。ですからこうやって形見の懐剣を身につけることで冥福を祈りたいと思います」
【『そういう訳にもいきません』……か】
『オレはどうすればいい?』
【え?】
『オレ達、ネスティに何かしてやれないのか?』
【そやな。こういう時に男の子がとる態度は一つと相場が決まっとる】
『というと?』
【黙ってそっと抱きしめるしかないやろ?】
『ば、馬鹿なことを言うな』
【もちろん冗談や】
『あ、あたりまえだ。だいたい今そんなことやったらあの腰にぶら下げた懐剣でティアナに刺し殺される』
【あ、それはお前さんには珍しく推理として完璧やわ】
『まったくお前ってヤツは』
【冗談はともかく、俺達にしてやれることなんかないやろ。そもそも何かをしてやりたいなんて思うことが傲慢かもしれへん】
『お前に傲慢とか言われたくないがな』
「えへへ」
エイルとエルデの会話が聞こえないエルネスティーネは、二人の思いなどお構いなしにそうやって笑うとエイルの腕を取った。それも今までとは違う事ではあった。
「さあ、お食事にいきましょう。きっとお腹を空かしたラシフ様が首を長くして待ってますよ」
「え? ちょ、ちょっと」
エイルは横から身に覚えのある殺気を感じたが、恐ろしいので確認するのをやめた。
エイルの右腕を抱きしめるように絡め取ったエルネスティーネは、なぜか上機嫌でエイルを引っ張って族長の屋敷へ向かった。
「アトル」
少し遅れて合流したアプリリアージェはラシフに遅れた詫びを入れた後で食卓に着くと、アトラックに声をかけた。
卓には燕麦のパンと細かい野菜がたっぷり入った熱いスープが並べられていた。
「これは……どういうことですか?」
旅立ちの準備を進めるうちに、食事の内容が質素になってきているのは仕方ない。それでも温かいスープがあるのはうれしいことだった。
「荷造りが進んでいるということでしょう。種類は少ないですが量は充分にありますよ。まあ、俺好みのベーコンがないのはいつものことですしね」
「いえ」
アプリリアージェは別に食事の内容に不満を漏らしたのではなかった。だがアトラックにしてみれば、ここ最近のアプリリアージェの言葉の端々から、ベーコンの厚さに関してはどうも「厚切り陣営」に属しているのではないかという疑いがぬぐい去れなかった為、けん制の為にそうやって水を向けてみたのだ。
いや、実のところそうではなく、その場は敢えてアプリリアージェの質問の意図を曲げて解釈したと言った方が正しいだろう。
もちろんそれだけの理由がその場にあったからである。
「そうではなくて、アレはどういう事かと聞いています」
アトラックは「やっぱり」と言わんばかりにため息をついて見せた。
「俺に聞きますか?」
アトラックにそう言われたアプリリアージェは視線をすぐ近くにいるラシフに向けた。二人の会話をそれとなく聞いていたラシフは慌てて両手を顔の前で振った。
「私に聞くな」
アプリリアージェは何も言わずににっこりと笑ってそれに答えると、視線を変えた。
彼女の視線の先では、ある珍しい見せ物が繰り広げられていた。エイルの横にピッタリと寄り添ったエルネスティーネが、手に持ったスプーンからなにやら流動食のような物を食べさせていたのだ。
「餌付け、ですか?」
アプリリアージェの問いかけに、アトラックは首をすくめた。
しばらくその様子を眺めていたアプリリアージェはいつもよりいっそうにっこりとしたした笑顔でイブロドが取り分けてくれたスープを口に運びはじめた。
その様子を子細に見ていたアトラックは、アプリリアージェに変化が起きているのを今更ながらに気付いて驚いていた。
アプリリアージェはいつも笑顔だが、それは地顔のようなものである。その口調はいつも穏やかだが、常時機嫌がいいわけではない。すなわち、アプリリアージェの笑顔は「真顔」なのである。彼の「中将」は感情を表に出す事はまれで、声を出して笑うことも滅多になかった。
だが、ランダールから始まったこの旅で、アトラックはル=キリアに配属されてから今までに聞いた回数の何倍ものアプリリアージェの笑い声を聞いているような気がした。今も自然に「笑って」目を細めるようにしてエイルとエルネスティーネのやりとりを見つめている。
「うーん」
そんなことを考えていると、アプリリアージェは普段の顔に戻って小さな声で唸った。
「どうかしましたか、司令」
「喪失感があります」
「は?」
「エイル君をネスティに取られてしまったかのように感じる自分を見つけて、今愕然としたところです」
「それって……まさかヤキモチってヤツですか?」
アトルは目を見開いた。そんな言葉がすんなりとアプリリアージェの口から出てくるとは思ってもいなかったからである。
「そういうのではなくて、気に入っていたおもちゃを取られたような残念感というか……」
「そっちですか」
アトラックは再び肩をすくめた。
「でもまあ、ネスティがしっかりしているようで安心しました。反動は大きそうですが」
アプリリアージェはエルネスティーネの腰に刺さっている短剣を見てそう言った。
『言っとくけど、これっきりだからな』
【それは同感や。これで勘弁してもらわなな】
「そうそう、アトル」
「はい?」
「今後一切『司令』はやめてください」
「あ。つい……すみません」
「忘れたのですか? 我々はアプサラス三世直属の部隊です。つまり、もう部隊は存在しないということです。存在しない部隊の司令など存在しないのですよ」
「いや、しかし……」
言葉遊びだと指摘するのは簡単だったが、アトルにはある予感があった。アプリリアージェがこういう切り出し方をする時には、大きな動きがあるのだ。
だから軽口を叩きかけた唇を、途中で閉じた。
それを見たアプリリアージェは、満足そうに少し笑いを深くして話を続けた。
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