第六十五話 訃報 3/3

【おい】

『ああ』


 アプリリアージェの言葉に、その場の全員が凍り付いたのは言うまでもない。

 彼女はアプサラス三世の死因が自然死ではない……つまり極めて婉曲ではあるが暗殺されたのではないかと言ってのけたのだ。

 それは言い換えるならばアプリリアージェにはその首謀者に心当たりがあるという事に他ならない。

 だがその場にいた者たちは、それ以上にゆゆしき言葉を耳にする事になった。


「もっとも、どのみち地獄に落ちるのは既定路線でしたが」

「え?」

 独り言、だろうか。

 ほんのつぶやき程度の小さな声であったが、それはアプリリアージェの口から確かに発せられた言葉であった。

 主語はなかった。だがそれがアプサラス三世の事を言っているのであろうことは全員が理解していた。


 独り言をつぶやいたこと、それが全員が聞いた事を自覚していないのか、邪気のない笑顔を貼り付けたアプリリアージェは続けた。

「従って皆さんもその話題について口にするなどという軽率な行為はくれぐれも控えるように願います」

 全員が互いに顔を見合わせた。

「とりあえずは我々の計画には何も変更事項はありません。出立港が変わった事くらいですね」

 こともなげにそうまとめると、アプリリアージェはラシフに一礼した。

「そろそろ食事にしましょう。この二人の分もお願いできますか?」

「あ、ああ。むろんだ」

 あまりに日常的な会話にラシフは面食らいつつも、卓の上にあった呼び鈴を持ち上げた。そしてもう一度確認するかのように、黒い髪の間から見える金色のスフィアにちらりと目をやった。


 それはお世辞にも楽しい食事風景とは呼べない情景だった。

 エルネスティーネはエルデの指示で控えの間に敷いた夜具の上に横になっていた。それ以外の人間は言葉もなく、のろのろと料理をただ口に運んでいた。

 そんな中、エルデが切り出した。

「ええ機会やから確認しときたいことがあるんやけど」

 ティアナはエルデが口にした『ええ機会』という言葉に反応した。

「何が『いい機会』なのだ?」

「は?」


【あちゃ】

『うーん』


 だが、ここはアプリリアージェの対応が早かった。

「過剰反応はいけません、ティアナ。エイル君がどういう人間かまだわからないなどとは言わせませんよ」

 ティアナはさっきのアプリリアージェの一言が気になっていた。いや、二言というべきだろうか。どちらにしろそれは彼女の胸の中に形容しようのない不安と疑惑の種を芽生えさせていた。自分でもはっきりとわからないのに、ざわざわとした物がどんどん広がっていくような居ても立ってもいられない焦燥感にも似た感覚だった。

 ティアナの中にある不安を増殖させているもの、それは彼女がエッダを出発した、あの夜の情景にさかのぼる。勿論それはアプサラス三世との謁見の場面で、ティアナはそこに闇のようなものを見た気がするのだ。勿論その時には何ら感じたなかったものの、事が起こったからこそ辿りつける記憶もある。

 だが、ティアナは自分自身が見つけたその闇を振り払おうとしていた。だが闇が生まれる可能性を否定する自分と闇に踏み出した片足をなぜか引き抜けないでいる自分との狭間で揺れていたのである。

 だからエルデの言葉に、簡単に心が乱れたのだ。

「申し訳ありません」

 ティアナは深呼吸を一つした後で素直に詫びた。その肩をファルケンハインがポンと優しく叩く。

「でも、エイル君もティアナの性格を考えた発言を心がけるべきでしたね。もっとも私が原因になっているのは自覚しています。ごめんなさい」

「いや、配慮が足りん発言やったんは認める。でも、こっちも大事な話やから聞いて欲しい」

 エイル……いや、エルデはそういうとティアナをちらりと見やってから切り出した。

「確認事項や」

「なんでしょう?」

 エルデは全員を見渡すとゆっくりと話し出した。

「ジャミールの皆んなが出発するのを見送った後、オレは予定通りヴェリーユへ行く」

 それだけ言ったところでアプリリアージェが制した。

「待ってください」

「え?」

「何を言いたいのかは今の一言でわかりました。でも我らが賢者様は、どうやら私がさっき言ったことを聞いてはくださらなかったようですね」

 エイルとエルデの人格が一つの肉体に同居しているという事をその場にいる全員が知っているわけではない。だからアプリリアージェはそういう場ではエイルであろうとエルデであろうと、普段は『エイル君』と呼び、特にエルデに対して呼びかけたい時は『賢者様』という言い方をしていた。つまり、この場合は「エルデ」と呼びかけたのである。

「というと?」

「『計画は何も変わらない』そう言いました」

「あれか」

「はっきり言って、今の言葉は心外ですね。お忘れですか? 私たちはあなたに『緩やかな死の呪法』をかけられているのですよ?」

 エルデが何かを答えようと口を開いたが、アプリリアージェはその言葉を待たずに続けた。

「もちろんそれは脅しで、賢者様が実際に私にかけたのは極めて優れた回復呪法でした。でも、同じ事です。あの時私はここにあなたの呪印を刻み、私は対価として絶対の守護を誓ったのですよ」

「リリア姉さん……」

「確かに《真赭の頤》が亡くなったと聞いた時点で我々が彼に会うという目的は消えました。でもあなたの目的は消えていない。当初の予定通り、あなたは最後の庵に向かうのでしょう? 違いますか?」

 エルデは両手を挙げると首を横に振った。しかし、アプリリアージェは引き下がらなかった。

「私はウーモスであなたにこう言いました。『今後我々はエイル君の呪法を解く事を最優先に動きます』と。念のために言っておきますが、『我々』の中にはもちろんネスティも入っています。くれぐれもそのことを忘れないで下さい」

「いや、しかし」

 エルデはアプリリアージェがそこまで言っても、なお煮え切らない返事しか口にしなかった。その場にいた面々は、固唾をのんでアプリリアージェとエルデのやりとりを見守っていた。中でもラシフはまたもや不安に駆られていた。なぜならエルデとの会話の途中から、アプリリアージェがまたもや金色のスフィアの耳飾りを触りだしたからだ。


 歯切れの悪いエルデの言葉の後、一拍あった。

 誰もがアプリリアージェの次の言葉に耳を澄ませていた。そして当然ながらその場の誰もがアプリリアージェのゆったりしたいつもの口調で言葉が綴られると思っていた。

 だが……。

「我々アルヴの一族が立てた誓いをなめるな!」

 アプリリアージェは大声でそう一喝すると、卓を両手でドンと叩いた。

 それは決して大きな音ではなかったが、その場に居た全員の体中に響いた。それはまさに落雷のような衝撃を一同に与えた。

 そしてそれは勿論、エイルとエルデが初めて聞いたアプリリアージェの怒声であった。

 度肝を抜かれたエルデが目を見開いたまま何も言えないでいると、ダーク・アルヴの稀代の戦術家はすぐににっこりと笑ってピクシィ姿の賢者の前に人差し指を一本立てて見せた。

「一人、デュナンがいますけどね」

 アトラックがそれに反応してはにかんだような顔で小さく手を挙げて見せた。

「厳密に言うとデュアルだけどな。でも、俺の心はアルヴと同じさ」


【エイル】

『ん?』

【後は任せた】

『ええ? おい、この状況でそりゃないだろ!』

【やかましい! 任せたっちゅうたら任せた】

『いや、一体どうするんだよこの雰囲気』


「えーっと……」

 エイルは頭をかきながらアプリリアージェに愛想笑いをしてみせた。

「どうやらバツが悪いみたいで……たぶん照れてるんだと思うけど」

 エイルのその言葉にアプリリアージェは思わずくすっと笑って見せたが、そのやりとりを見ていたラシフが怪訝な顔で声をかけた。

「なんだ、その人ごとのようなごまかし方は?」

「ですよねー」

 エイルはそういうと一同に頭を下げた。

「反省してます。この通り!」

「それでいい」

 そのことがきっかけで、場が少し和らいだ。さすがに『和やかな』とまではいかないにしろ、食事の場に会話が戻ってきた。


 ファルケンハインがもたらした訃報はジャミールで穏やかな労働生活にいそしんでいた一行に激震をもたらした。特にシルフィード出身の者達は誰しも人生観が変わったかのような思いに囚われていたのは間違いないだろう。

 この件についての部外者でしかないエイルは客観的に彼らを観察できたのかもしれないが、多かれ少なかれ一行の雰囲気が変化したのを感じていた。

 仮面で顔を覆い隠している一人を除いて。

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