第六十五話 訃報 2/3

 そんな彼の下へユグセル領主からの使者が訪れる。

 ワルド家の領民の多くをファルンガで保護しているという。

 自分の領民を奪われたと思い込んだワルド子爵は激高し、あろう事かその場で使者の首をはねると戦地から戻ったばかりの疲弊した軍隊の尻を叩き、ユグセル公爵領に向けて出陣した。

 夜になりワルド子爵一行は領境で待ちかまえていたユグセル公爵と相まみえた。領民を誘拐し我が物にした罪を問う巨人のようなアルヴのワルド子爵に対し、大軍に囲まれた小柄な少年のようなダーク・アルヴのユグセル公爵は言う。

「子爵殿の申すこと至極もっとも。されば我が身を持って償うべし。ただし我が身を貫くは貴殿の持つあまたの剣の中でも、誠の剣のみと知るがいい」

「片腹痛いわ」

 腰にさしていた片手剣を鞘ごとその場に置くと、丸腰で自分の方に向かって悠然と歩いてくるダークアルヴ……後に『北の大樹』と呼ばれることになる……ユズカ・ユグセル公爵に対し、ワルド卿は手に持った両手剣を振り上げた。

 その時、ユグセル公爵の周りに控えていた一群が二人の間に割って入った。

 それを見たワルド子爵は驚いた。夜でよく見えなかった為に今の今までファルンガ軍だとばかり思っていたその集団、つまりユグセル公爵を取り巻いていた人々は、実はワルドの領民達だったのだ。

 松明で照らし出された顔を見れば、旧知の農民も大勢いる。さらに目を凝らせば子爵邸に仕えていた使用人の姿も一人二人と言わず、そこにあった。

 彼らはその場に座り込むと子爵に頭を下げ、口々にこの間の嵐の被害とひどい飢饉の報告をした。

 そして善意から主が不在中の隣国の被災状況を視察するためにやってきたユグセル公爵が彼らの状況を見かねて自領に招き入れたこと、そこで暮らす場所を用意してくれたこと、翌春にはワルド領の荒れた農地を回復させるためにその人手としてファルンガ中からの有志を集める算段が順調に進んでいたこと、さらには三日と明けず、国外れの避難村に公爵自らが慰問に訪れてくれたことを。

 そしてワルド子爵帰還の情報を受けて、こうして領民らが声を掛け合って国境まで迎えに来たことを。

 その場に兵が一兵たりともいないことに気付いたワルド子爵は、そこではじめて自らの犯した過ちの大きさを知った。ワルド子爵は確かに器量としては近視眼の典型とも言える貴族ではあったが、根はアルヴの気質を強く持つ正義の人である。


 彼は抜いた剣を空中でくるりと回転させると、持ち替えた。すなわち、自らは剣先を掴んだのだ。

 ワルド子爵はユグセル公爵に歩み寄るとその前でひざまずき、両手剣の柄をユグセル公爵に差し出した。そして驚くユグセル公爵に、使者の首をはねてしまった事を告げ、この場で自分を処刑してくれるよう懇願した。

「我が狭量ここに極まれり。ワルドの土地はユグセル公爵殿下の下にあってこそ安寧たりえましょう。我が領民はすでに公爵の器量を知っております。その忠誠、我が命に替えて保証いたします」

 ユグセル公爵は使者の死を知ると心から悲しんで涙を流したが、子爵を一言たりとも責めはしなかった。処刑はもちろんの事、土地譲渡の申し出も受けなかった。

 ワルド子爵はそんなユグセル公爵に深々と頭を下げると、領民と彼の軍隊のことをユグセル公爵に委ね、すぐさま単身で首都へ向かった。

 彼は登城すると国王に領地譲渡の許可と公爵家の使者を殺害した罪に対する罰を請うた。

 当時のシルフィード国王は領地譲渡の願いをたちどころに却下した。だが、使者殺害については最大級の罰を与えた。

 すなわち、ワルド子爵家の所有する領地の大部分を賠償としてユグセル公爵家に譲り渡す事、さらにワルド子爵家は今後ユグセル家の臣家(しんけ)としてこれに仕えること。

 こうしてその願いをことごとく国王に聞き届けられたワルド家は、その後長きにわたってユグセル公爵家の筆頭臣家として忠義を尽くしているという。

 アプリリアージェ時代のユグセル家に仕えていたワルド家の当主マキーナこそ、そのワルド子爵直系の子孫なのであった。



 ファルケンハインはアプリリアージェの独り言には反応せず、そのまま公爵のクスクス笑いが収まるのを待って、さらに付け加えた。

「少し補足をします」

「ええ」


 アプリリアージェのクスクス笑いにどんな意味があるのかは、彼女のみが知ることであったが、一つ言える事は、その場の誰一人としてそれが不謹慎なものだとは感じなかった。むしろその笑いはアプリリアージェの泣き声であるかのように心に染み込むような気がしていた。

 少ししていつもの表情に戻ったアプリリアージェは、その後は淡々とファルケンハインの報告を聞いていたかのように見えた。しかしその場にいた数名だけが気付いていた事があった。

 アプリリアージェはクスクス笑いを止めると無意識に左耳に着けた金色のスフィアを指で触り始めていたのだ。

 それにまず気付いたのは誰あろう、ラシフだった。彼女はアプリリアージェがその仕草の後に目の前に落としてみせた落雷の衝撃の大きさを体で覚えていた。直接腹の奥に届くような鈍い音の波の後、地面が揺れた。不吉に折れ曲がる白い光がくっきり焼き付いていて、しばらくの間は目を閉じてもまぶたの裏にアプリリアージェの雷が描く軌跡が見えていたほどであった。

 だからこそラシフはアプリリアージェのその仕草を良いものとして認識できなかった。

 一方エイルとアキラも少し遅れてその仕草には気付いた。

 彼らはラシフと違い、まずアプリリアージェから出る「気」の変化を感じた。それは一部のフェアリーやルーナーが感じるエーテルの変化などではなく違う種類の波動で、一般には『殺気』などと呼称されあるいは既述される種類のものだった。

 アプリリアージェが発したその殺気に驚いた二人は、その次に珍しく彼女が耳飾りをしきりに触っている事に気付いたのだ。


 アキラはアプサラス三世崩御の情報を聞いて、その時すでに居ても立っても居られない状態になっていた。すでにミリアには情報として伝わっているだろうとは思ったが、出来るだけ早く会って情勢の分析と今後の戦略について相談すべきだと思ったのだ。ウーモスからの旅で自分が知り得た新たな情報は、ミリアに取って未知の物が多いはずで、それは即ち激動が走ったファランドールの今後の事について様々な対策を練る為のいい材料になるはずだった。

 だが、アキラは地理的にも立場的にもすぐには動きようのない状態にあった。今はただ自国と、そしてミリアが拙速な判断をしないことを祈るのみであった。


 ファルケンハインの補足とは、出立港の変更に関する事だった。

 当初計画していたクヴェン港は小さいながらも国外航路を持っていたため、アプサラス三世崩御の影響でサラマンダ軍、すなわちドライアド軍の監視範囲に入る可能性が高かった。そこでファルケンハインは往路で発見していた小さな入り江を出立港とする計画変更を独断で決めた。その事後報告であった。

 その決断は、彼が長く海軍籍であり、港湾や船舶に対する深い知識と経験があってこそのものであった。

「少しだけ険しい道がありますが、あそこまでなら丸二日以上時間短縮にもなります。砂浜も少しですが存在しますし、船は入り江に入り込むと外海からは見える事はありませんから、落ち着いて乗船作業が可能です。外洋で往復船を使うよりも安全で確実と判断しました」

「極めていい判断です」

 ファルケンハインの報告を聞いたアプリリアージェは、スフィアを触るのをやめた。だが、アキラとエイルが感じた殺気はいっこうに収まる気配がなかった。


「いかがされるのですか?」

 アキラはたまらず、アプリリアージェに声をかけた。

「立場上、一度お帰りになる事になりますか?」

「帰る? 立場上?」

 アキラの質問に、アプリリアージェはそう質問で返すと、微笑みを横笛奏者に向けた。

「そうです。大葬等の国儀もございましょう?」

 アプリリアージェは大きなため息をついた。それも珍しい行為だった。

「公式には『雷鳴の回廊』で死に、非公式にはアロゲリクでもう一度死んだ人間が、葬儀などに出られるわけがありません」

「それはそうだが、首領はどうにも先ほどから珍しく何かにイラついていらっしゃるようだ。気にかかることがあるなら帰国された方がいいのではないかと思いまして」

 アプリリアージェは再びふっと息を吐くと少し肩を落とした。

「さすがはスカルモールドを一撃で行動不能にするという剣技の持ち主ですね。私の揺れている心がお見通しでしたか」

 そういうと今度は視線をエイルに向けた。

「エイル君も、ですか?」

 エイルは素直にうなずいた。

「リリアさんは国王が亡くなったという事に、何か気になることがあるんじゃないのか?」

 エイルの問いかけにアプリリアージェは眉をひそめた。だがそれは一瞬で、すぐにもとの静かな微笑に戻った。そして低い声でこういった。

「さすがに情報が少ない現時点で、立場上私が国王陛下の死についての疑惑を口にする事は思慮を欠く判断だと言わざるを得ません」

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