第六十五話 訃報 1/3
「カラティア朝シルフィード王国国王、アプサラス三世陛下が……崩御されました」
何の感情もこもらない、いや、あえて感情を排除した淡々とした抑揚のない声でファルケンハインはそう告げた。
「なんだって!」
瞬間的に声を上げて反応したのはアトラックとアキラだった。ラシフも立ち上がっていた。だが、アプリリアージェはいつもの表情を変えることもなく無言でそのままの姿勢を続けていた。
それはまるで、わかりきっている報告を聞いているような様子だった。
エイルはハッとして横にいるエルネスティーネの方を見た。アプサラス三世と言えば、要するに彼女の実の父親の事なのである。
まさにその時、エルネスティーネは目を閉じ、エイルの方に崩れるように倒れかかってくる瞬間だった。
「ネスティ!」
エイルは声をかけると慌ててエルネスティーネを抱き止めた。体に力がない。明らかに失神だった。
その様子を見たティアナは思わず立ち上がろうとしたが、拳を握りしめ、何とか自分を抑えることに成功した。その代わりに恨めしそうな顔でアプリリアージェを見たが、アプリリアージェはいつにも増して落ち着き払った声でファルケンハインに報告を促しただけだった。
「続きを」
「はい」
史実に依れば、アプサラス三世は星歴四〇二六年黒の六月九日に崩御したことになっている。享年五八歳。エッダ王宮医師部の記録には急性心不全と記されている。
翌十日、王位継承権第一位にあった王女エルネスティーネは戴冠式を終えて王座に就いた後、一年間の喪に入る事を宣言した。
イエナ三世の誕生である。
歴史上は史上初のエレメンタルの王の下にカラティア朝シルフィード王国が継続したという事になっているが、すでに記した通り、この物語は前提としてそれを否定している。
この物語ではアプサラス三世の死をもって悠久の時を刻んだカラティア朝の終焉とし、エルネスティーネの変わり身であるイース・イスメネの戴冠は即ちバックハウス朝シルフィード王国の誕生であるという立場をとることになる。
だがもちろん、この物語においてもそれはただの事実であって「真実」ではない。歴史における普遍的な真実とは、あくまでもイエナ三世が戴冠したという事のみなのである。
ファルケンハインとティアナがジャミールの里に戻ってくるのは予想よりも少し遅かった。それというのも情報収集に時間を割いた事が理由だった。国家の一大事とも言えるその事件とその顛末についての詳細を少しでも知り得た上でアプリリアージェに報告したかったからだ。もちろん、彼らの今後の行動に直結する情報に違いないからである。
「お疲れ様。素晴らしい仕事をしてくれました。さすがです」
ファルケンハインの報告を一通り聞いたアプリリアージェは、そう言って副官をねぎらった。
「では、良い方の報告をお願いします」
アプリリアージェとファルケンハイン以外は誰もが口をつぐんでいた。
一行にとって、いやジャミール一族にとってもファルケンハインがもたらした報はたとえようもなく激しく大きな衝撃だった。
エルネスティーネにとっては唐突に実の父親の死を告げられたのだ。心が受けた衝撃は一番大きいと言えた。エイルはエルネスティーネを抱きかかえたままファルケンハインの報告を聞いていた。アプリリアージェはエルネスティーネの介抱について何も指示はしなかったが、それは抱きかかえているのが他の誰でもなく治療の専門家であるハイレーン、それも彼女の知る限り最も信頼が置けるハイレーンだという事を含んだ上でのものなのだろうとエイルは考えていた。
『大丈夫なのか?』
【脈も安定してるし体温の低下もあんまりない。多分昼間の慣れへん肉体労働の疲労蓄積もあってきれいに落ちたんやろな】
『なんかえらいことになったな』
【変わり身が即位か。バレる前に急いで本物が帰国するのが一番ええんやろけど】
『けど?』
【ネスティは王女という立場を捨てて国を出てきたん、やろ?】
『そうだったな』
【うーん。イエナ三世が死んだら次は誰やったっけな……】
『おい、不謹慎だろ』
【いや、リリア姉さんも同じ事を考えてると思うで】
『ファランドールではそんなもの、なのか?』
【それだけきな臭い話やっちゅうことやろ】
『きなくさい?』
【……】
「全行程に渡り天気と風向きが良かったので当初の目的である船の手筈については極めて順調に事が運びました。予定よりも数日以上短縮できています。具体的には明日ここを出発しても大丈夫でしょう」
「それは素晴らしいですね」
アプリリアージェはその前の報告が無かったかのような明るい声でそういうと、ラシフに向かってにっこりと笑いかけた。
「それから、鳥を使った伝信が成功してワルド卿ともすでに連絡が取れています」
「あらあら、まあ」
「伝信をお伝えします。『ファルンガはラシフ様ご一行の帰郷を心より歓迎します』と」
「それだけですか?」
「いえ。もう一つ。『お嬢様は檸檬が恋しいお年頃でしょうから、くれぐれも帽子を風で飛ばされぬように』と」
ファルケンハインの二つ目の言葉を聞くと、アプリリアージェはフフフフと笑い声を声に出した。
「相変わらずマキーナには詩の才能がありませんね」
そしてラシフに向かっていつもと変わらない微笑を向けた。
「安心して下さい。今度の里にもクチナシの群生があるそうですよ」
「知っておったのか?」
「新しい里でも、その美しい黄色の布を作って下さい」
ラシフは目を閉じると、アプリリアージェに小さな礼をした。
アプリリアージェの配下であり、同時にシルフィード王国の子爵でもあるマキーナ・ワルドについて少し記しておきたい。
彼の家は元を辿ると当時既にユグセル公爵領であったファルンガの南方に隣接する地域を治めていた地方豪族であるという。
シルフィード王国成立の後は長く子爵として直接国王に仕えていたが、ある時期に持っていた土地のほとんどをユグセル家に割譲して家臣的な立場をとるようになった。
シルフィード王国の法律では無償・有償にかかわらず、貴族同士が勝手に土地のやりとりをすることは禁じられている。国王と軍の代表によるいわゆる元帥会議で認められた場合のみ許可されるという。それはたとえ婚儀や養子縁組みなどから生まれる姻戚関係や親族関係が生じていたとしても例外ではない。
その理由をドライアド的な価値観に照らし合わせてわかりやすく説明するならば、中央集権国家にあって、地方に強大な勢力を作る隙を与えないようにする為であるが、シルフィードの価値観を通すと違う答えが返ってくる。
シルフィードにおける貴族とは、領民達を保護し、その生活を豊かにするために命を張るべき存在である。つまり土地や資産の問題ではなく、貴族が矜持にかけて守るべき領民を他の人間に簡単に委ねるという行為そのものが背徳だと思われているのだ。
だが何事にも例外が存在するように、ワルド子爵家の場合にもそれが当てはまった。これについてはいくつかの逸話があるが、ここでは信憑性が高いものを紹介しておこう。
当時のワルド家の当主は……アルヴにはよくあることだが、血気盛んでさらに腕自慢であった。彼は領地の経営もそこそこに軍隊を編成しては国外に討伐遠征を行い、戦いに明け暮れていた。
そんなある年、ファルンガを含むその地方一帯に暴風雨が襲った。天から滝のように注ぐ雨と山からの濁流で作物は全滅し、海の水を巻き上げた風は大地を塩漬けにした。ただでさえ度重なる遠征の為に重い税に苦しんでいたワルドの領民達には満足な蓄えがあろうはずもなく、あっという間にワルド領の広い地域が未曾有の飢饉状態に陥った。
そんな出来事も知らず、しばしの休息を求めて外地から自領に戻ったワルド子爵を迎えたのは、目の前に広がる荒れ果てた農地と幽霊屋敷のような我が屋敷であった。
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